第45話 白銀の女騎士 その3


(承前)



 広間に人々のざわめきが復活し、ここぞとばかりに有名貴族たちが王女のもとへ集う。


 ほんの短い挨拶が交わされるだけであっても誰もがクーリアのまとった威厳に感服していた。剣術の稽古などとは無縁のはずなのに今夜の彼女には確かな騎士のたたずまいがあり、美しい容姿とあいまって不思議な魅力を放っていた。


 凛々しくもあり、高貴でもある。華麗でありながら見えざる迫力さえ感じるのは内に秘めた霊力の発露であろうか。このような王女は見たことがなく、そしてこのような騎士にも覚えがない。


 そこに至ってさすがに混雑が過ぎると思ったのか、クーリアはするりと人々の間を抜け出し、リーンを従えて夜会の中へ進み出た。むろん、そこここで話の輪ができる。


 そんな中、一人の大物貴族が彼女の前に立った。


「これは姫さま、今宵はようこそ」


「こんばんは、公爵どの、お久しぶりですね」


「なに、田舎貴族には少々今の王宮は窮屈でしてな、無沙汰をお詫びします」


 マグナス・ルードワンは軽く会釈した。言葉は丁寧だが、多少の棘もある。若年の王女に対して頭を下げるのはただの儀礼とでも思っているのか、浮かべた笑みにも親しみは薄かった。


「窮屈、ですか? それは気づきませんでした。風通しのよいところだと思っておりましたのに」


「ぬるい風は性に合いませんのでな。姫さままでがそのような格好でお戯れになる」


「あら、お気に召しません? 意外と似合うと言われたのですけど」


「僭越ながら私にはいささか座興が過ぎるとしか」


 クーリアは軽く口元を押さえて笑い、公爵も苦笑いで応じたが、彼がふと「おや」という顔をしたのがリーンにはわかった。王宮で顔を合わせるたびに微妙な皮肉と揶揄で応じることの多いこの大貴族にとって、いつになく「応えない」王女の態度がやや意外であったようだ。


「慣れぬ騎士姿などより魔法陣のひとつなりともお見せくだされば皆も喜びましょうに。私は信心には縁がなく、神殿には足が向きませんのでな」


 これは神官長でもあるクーリアを揶揄したものだったが、彼女がなにか言う前にリーンがやんわりと抗議した。


「公爵さま、姫さまの魔法はそれこそ座興の見世物ではございません」


「おう、確かに従騎士どのの言われるとおりですな、許されよ、高貴なお方にせがむことではありませんでした」


「いえ、よろしいのです。ここは夜会の場、お気になさることはありません」


 クーリアは形だけリーンの差し出口を咎めたものの公爵の戯言など気にも留めていないふうだった。ただ、公爵がこう続けたことにはやや困惑の表情を浮かべた。


「確かに王女殿下に芸を望むなど無礼が過ぎましたな。幸い、魔法士ならば、そら、そこにもおります。宴の座興ならばあの者に願おうではありませんか」


 そう言って公爵が軽く手を挙げた先にいたのは葵であった。恭一とともにこちらを見ていた彼女がそれまでクーリアと距離を置いていたのは馴れ馴れしいと誤解されることを避けていたからだが、いきなり話が自分に振られて小さく目をみはった。


「アオイさまに?」


「ご友人とうかがっております。姫さまのご希望とあらばよもやご辞退などなさるまい」


 これはさすがに想定外であったらしく、クーリアは公爵と葵の顔を見比べて言葉を選びかねている。期せずして人々の視線が葵に向いた。


 するとなにを思ったか葵はするすると人々の間を抜けてルードワン公爵の前に進み出たのである。クーリアがかすかに申し訳なさそうな顔をしたのへ軽くうなずいてみせ、当の公爵にはこう応じた。


「公爵さま、お初にお目にかかります。魔法士の娘に宴の座興をお望みですか?」


「うむ、黒騎士どのと連れの魔法士の娘の噂は田舎貴族の耳にも聞こえてくる。せっかくの宴だ、近づきの印に魔法士ならではの挨拶を所望したい」


「未熟者ですので大した芸も持ち合わせていませんけど、それでもよろしい?」


「それならば是非に」


 いつの間にか周囲の人々はこぞってこのやり取りに聞き耳を立てており、数百の目がこの場に向いていた。


「承知しました。ではお目汚しで恐縮ですが」


 公爵も一興と思ったのか「ほう」という顔になり、周囲の人々に向け広間の中程を空けるようにと手を振った。


「姫さまのご友人が一芸を披露なさるそうだ、謹んで拝見するとしよう」


 ここまで言われると稚拙なものは見せられない。それをあえて周知しようというのだからかなりの皮肉である。


「アオイさま、よろしいのですか」


「大丈夫、これっきりだからちゃんと見ててね」


 クーリアの肩を軽く叩くと葵はそれまで控えめな楽の音を鳴らしていた楽士たちのところに歩み寄り、最も緩やかな曲を演奏してくれるよう頼んだ。


 次いで居並ぶ貴婦人たちに近づくと中の一人が手にしていた扇を借り受けた。なにが始まるのだろうという思いで誰もが興味津々だ。


 人々が壁ぎわに退き、空いた広間の中央に葵は立った。


 そのまま静かに呼吸を整え、楽士たちに合図を送る。そうして扇を手にした右手を前に差し出し、誰にともなくこう告げた。


「では、古き神々に捧げる舞の一差ひとさしなど」


 一歩を踏み出しゆるりと体を回転させる。足の運びが独特でまるで床の上を滑るように右に左にと回る。誰もが固唾を呑んで見入っているのは葵の周囲に微細な光点が浮かび始めたからだ。それは彼女が舞うたびに輝きを増し、ついには腕のひと振り、足のひと踏みごとに細い光の帯となってその身の回りを縦横に舞った。さながら光のリボンを操るような葵の動きに感嘆の声が上がる。


「あいつあんな真似もできたのか」


 恭一の隣に来ていたガーラが感心していた。


「あれは……たぶん巫女舞だろう。多少手を加えてあるようだが」


「巫女舞?」


「葵は神職の家の出だからな、巫女の立ち居振舞いのひとつとして覚えたのだろう。本職になる気はないと言っていたが」


「どことなく剣舞のようにも見えるな」


「古いものだからな、元をたどれば案外剣術や武術の動きも流れ込んでいるのかもしれん」


 二人がそんなことを話している間に葵を取り巻く光の帯はさらに輝きを増していた。


 のみならず、徐々に広間の天井近くに凝集し始め、人々が気がついた時にはもう三重の円と不思議な幾何学模様が形作られつつあった。


「魔法陣だ……」


 人々のひそやかな驚きの声が広がる。直径五メートルを超える光の幻像は金色の光点を撒き散らしながらみるみる明瞭になっていく。


 そしてほとんど足音も立てず滑らかに舞っていた葵が初めて、たん、と軽い一歩を踏み込んで動きを止めた。さっと突き出した扇の先にいるのはカルネル・デュトワ子爵であった。


「エレ・ナムル・カント・リール・オトマヌ・ザベリウ・コ・サントレ・ナイン」


 魔法陣の中央に古代文字がさっと浮かんで輝く。ひた、と見据えられたデュトワ子爵は意味がわからず怪訝な目をしていた。


 ただ一人、クーリアだけが目をみはっていたが誰一人気づいた者はいなかった。


 ほんのひととき静止した葵は再び流れるような動きで舞い始めた。じっと見ていると葵の体に絡み合う光の帯が幻惑的で目が離せない。


 そして再び葵の動きが止まった。彼女の舞を追っていた誰もがはっとする。今度彼女の扇が指していたのは伯爵のグレイン・ラウドであった。腕を組み黙して見ていたルードワン公爵の目に初めてかすかな疑念が浮かんだが、むろん気づいた者はいない。


「エレ・トゥルワ・カント・リール・ルーシャ・ラウル・ガム・クオト・ベツレ」


 またしても葵の呪文とともに魔法陣の古代文字が配列を変えた。葵以外で唯一、読み解けるクーリアの顔に再び驚きの色が浮かぶ。そして——。


 三度、葵の足が止まった。


 彼女が指した扇の正面にマグナス・ルードワンがいた。その目はなぜか大きく見開かれ、まっすぐに自分を見つめる娘の瞳から目をそらすことができなかった。


「エレ・ゴウト・アルドセ・メオウ・クム・ヘルニト・キンザ・エペラ・シドゥ」


 魔法陣の古代文字がまたも配列を変えた。クーリアが異様な集中力で食い入るように見つめているさまにリーンは気づいていたが、その意味するところは不明だ。


 むしろ傍のルードワン公爵の表情こそ不審だった。明らかに顔色が変わっている。まさかという顔。だがその理由もまた不明である。


 やがて葵は元の広間の中央に足を止め、右手の扇をさっと広げると天井の魔法陣を軽く扇いでみせた。風を送るようなその仕草に金色の幻影はたちまち元の光点に戻って舞い散り、人々がはっと気づいた時にはもう消え去っていた。


 笑顔で頭を下げる少女に一斉に拍手がわいた。感嘆の声が止まない。


「素晴らしい、実に見事な舞だ」


「これはまた稀有な見ものでしたなあ」


「まさかこれほどとは、さすが姫さまがお認めになっただけのことはある」


「よいものを見た。ジェルムの宴にふさわしい一芸でしたな」


 クーリアの笑顔に迎えられた葵はルードワン公爵に一礼した。


「未熟者ですのでこれが精一杯です。稚拙をお許しください」


「いや、なかなかの芸、感服した」


「ありがとうございます」


 葵の笑顔に含むところは見えないが公爵の心なしかぎこちない表情には彼の動揺が垣間見えるようであった。彼にはこの娘の意図がほの見えていたのだ。だが、それを口にすることは決してできない。なぜなら——。


「では公爵どの、いずれまた。王宮は決して窮屈などではありませんよ」


 クーリアはそう言って軽く会釈するとその場を離れていった。今度は葵も一緒である。従騎士がちらと公爵の方を振り返り、主人とその友人に付き従う。人々はひとときの余興に満足し、再び夜会の喧騒に身をまかせるのだった。


 夜会の中に紛れてこの様子を見ていたイアンの表情はこわばっていた。


 普段のとぼけた顔を忘れるほど彼は驚き、緊張していたのである。アオイ・キサラギの舞は見事であったが、重要なのはそこではない。イアンは直感的に彼女の意図を見て取ったのだ。


 葵が舞に見せかけて示した三人、そのうちの二人、カルネル・デュトワ子爵とグレイン・ラウド伯爵は昨日ラダルが一連の陰謀の関係者として疑念を示した相手だったのだ。


 これは偶然だろうか?


 いや、と内心の声が否定した。あの少女の霊感は森の異変も青い獣の出現も予知していた。三百人もの夜会の客の中から指し示したのが偶然にもその二人だった、などということがあるだろうか。彼女は顔を見ただけで相手の本質を直観すると言われている。それが事実であるらしいことはガーラも呆れ顔で証言していた。


 だとしたら——。


 彼女はこの場であの二人が怪しいと告発してみせたのではないか? 事情を知るごく一部の人間、イアン、ガーラ、黒騎士、そしてクーリアに向かって。


 しかももうひとつの恐ろしい事実とともに。


 マグナス・ルードワン公爵。彼女が指し示した三人目の人物は王家とさえ無縁ではない大貴族である。それを陰謀に加担した謀反人として糾弾しようというのか。


 いかに実績が確かであろうと一魔法士の勘だけで人を訴追することはできない。それを暗示したのがあの少女だとしてもだ。だが、だが——。


 まさかここでこんな名前が飛び出してこようとは!

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