第10話 攻防 その3


 朝から頻繁に地図を見ていたので二人ともこの街のおおよその構造とスケール感はわかってきた。


 東京二十三区よりはだいぶ小さい。馬車なら二時間もあれば端から端まで行けるだろう。王宮はなだらかな丘陵の上に位置し、直下に近衛隊をはじめとする軍関係の施設、南は中心街でここを南北に交差する大通りがいわゆる目抜き通りといえる。


 東と北はダウンタウンで家々が密集しており、西が工業地帯というのが大まかな区分けである。


 工業地帯といっても大規模な生産設備があるわけではなく、職人と工房の集まる地区といったところだ。小規模なカプリア石の鉱山があるらしく、一般用の魔法の小道具などはここで作られている。ちなみに葵たちが放り出された神殿は王宮の北側に位置している。


 コンパクトにまとまった都市に人口五十万だから人口密度はかなり高い。街に活気があるのはそのせいもあるだろう。


 今のところ情報源がリーンたちとの雑談や街で耳にした人々のおしゃべり程度なので断定はできないが、ここが首都にふさわしく豊かな街であることは確かなようであった。むろん、一歩裏へ回れば剣を振り回して人を襲う物騒な連中が存在する世界でもあるのだが……。


 しばらく馬車に揺られて到着した王立図書館は王宮の付属設備といってもいい豪華な建物であった。


「うわあ立派!」


「図書館というより美術館だな、王立というだけのことはある」


「やっぱ王さまのお膝元だねえ」


「経済がどうなっているのか興味のあるところだな。首都だけ豊かで地方は貧困にあえいでいるなんてよくある話だ」


「そのうち田舎も見てみる?」


 などと話しながら豪華な彫刻に飾られた門をくぐる。広い階段を昇って重厚な扉を押し開けるとそこからまた長い廊下が延びている。受付らしい区画はその先にあり、向こうでなら司書に当たるのだろうか、四、五人の男女が机についていた。


 葵たちに気がついて中年の女性が立ち上がった。


「なにかご用でしょうか」


「ええと、魔法陣を分類した基礎的な書物、図鑑みたいなものがあれば」


 係の女性は少し怪訝そうだったが、今度三級の試験を受けるつもりなので勉強したいのだと告げると「あぁ、それでしたら」と笑顔になった。どうやらそうした「受験生」はときどき訪れるらしい。


 恭一は広範囲の地図を希望し、しばらく待たされた後、その女性は何冊かの大判の書物と布張りの地図を数枚抱えて戻ってきた。これを個室で閲覧する仕組みになっているようだ。二人の先に立って奥の廊下に並んだドアのひとつに案内してくれた。


 そこは窓のない部屋で、代わりに例の魔法による明かりで照らされていた。中央に大きなテーブルと数脚の椅子だけという簡素な設備である。手元用のランプとルーペがふたつ、テーブル上に置かれていた。


「シンプルっていうか窓がないね」


「日光が紙によくないことがわかってるんだろうな」


 そう推測した恭一だったが、借りてきた地図を広げたとたん「なにっ」と驚きの声を上げた。


「おいおい、マジかよ……」


「どうしたの?」


 だが、恭一が黙って葵の前に広げた地図を見て葵も「ええ?」と絶句した。


「……これって日本地図、だよね?」


「俺にもそう見える。だいぶ歪んでいるがそうとしか思えん」


 地図上には四つの島が弓状に並んでいた。細部はかなり縮尺がおかしいが、全体のパターンは紛れもなく日本列島のそれだ。


 そして二人とも似たようなものを見たことがある。いわゆる古地図である。測量精度が低かった時代に足で歩いて作られた地図だ。


 今、目の前にあるのはなにかの折に見た日本列島の古地図と言われるものに酷似していた。


「これがこの国の地図ってことかな」


「わからん、どういうことだ」


 だが、続いてもう一枚の地図を広げた恭一はそこで天を仰いで大きく息を吐いた。


「まさかと思ったが……」


 ぼやきながら恭一が示したのは「世界地図」だった。南米や南極の形はひどくいびつでオーストラリア大陸は小さな島でしかないが、その配置は明らかに葵たちの知る世界地図であった。


「日本列島、赤く塗られてるね。てことはさっきの……」


「あぁ、こっちの地図の精度がどんなもんかわからんが、ここがそうらしいな」


「じゃあ、さっき見た山、やっぱり富士山?」


「見ろ、葵」


 恭一が先ほどの「日本地図」を示して言う。


「関東周辺を囲む形でラインが引かれている。さっきのが富士山だとするとこのラインがファーラムの国境かその首都圏ってことかもしれん」


「国境だとすると意外と小さいね」


「移動手段が徒歩か馬だからな、人口二五〇万なら十分な広さだろう」


「富士山は国境かあ。へんてこなパラレルワールド」


 恭一はもう一枚の地図を広げ、小さなため息をもらした。


「だと思ったよ」


 それはさっきのラインで囲まれた「関東地方」の地図であった。東京のやや北に小さく赤で囲んだ部分がある。その形には二人とも見覚えがあった。今朝から何度も見てきたこの街、オルコットの形である。


「決まりね」


「決まりだな」


「道がまっすぐなら東京湾まで徒歩で丸二日くらい? どこまでそっくりなんだろ」


「飛行機も衛星もなさそうだから、歩いて測量したとするとこんなもんだろう。細かな起伏はともかく、富士山レベルのスケールでは同じと思っていいかもしれん。まあ、それならそれで内外のおおざっぱな地理が推測できるようになったのはよしとするか」


 一方、葵が開いた書物は「基礎的な」と注文を付けたのがよかったのか、いずれも図版の多い解説書のようなものであった。


 本文は全く読めないが、分類された魔法陣の脇に水とか火、風などの要素を物語風の絵で添えてある。おかげでその魔法陣がどんな働きをするものかが推測できた。中には首をひねるものも少なくなかったが、それは葵たちがこちらの昔話や神話伝説に疎いからだろう。


 ページをめくっていくと、どの書物も共通した順序で書き起こされていることに気がついた。


 すなわち魔法の体系の基本構造というべきものである。


 まず中心に火、水、風、光といった自然の基本ともいえる要素を扱う魔法があり、そこから徐々により具体的な個別魔法へと分化していく。


 例えば水の魔法は雨や霧、氷などへ分化し、そこから雨乞いや水脈の探索といった日常の技術へと枝分かれしていく。また、他の要素と結びついてさらにバリエーションが増える例もある。水や光、風などを組み合わせて土を肥えさせ、作物の成長をうながすといった具合だ。


 いずれにしろ基本と応用というのがなにを学ぶにも王道であるということだ。


 面白いことに、本の記述自体は読めないのに魔法陣に使われている古代文字らしき記号が葵には読めるのだ。ご神体の時と同様、意味が浮かんでくるのである。


「エレ・ラクロ・リストリア・デル・アザウト……。我、天に願いて駆け抜ける千の足音を聞かん」


「それが風の魔法か、じゃあこっちはどうだ」


「エレ・ガーニマ・オルトゥ・バルタチオ・クスト・エコウ……。我、水と風の仲に立ちて恵みの滴を求めん」


「なんの魔法だ?」


「たぶん雨乞いだと思う」


「頭のエレというのがわれ=私という意味の決まり文句らしいな」


 それを口にして唱える必要があるのか、といったプロセスまでは不明だが、口の中で転がしているとなんとなく「心になじむものを感じる」というのが葵の実感だった。


「理由はわからないけど、たぶんこれでいいんだって気がするの」


 葵にはそうとしか言いようがない。彼女自身、確証があるわけではないのだ。それでも心に響くなにかが告げるのである。


 それでいい、と。


 恭一にはお手上げだと肩をすくめるしかなかった。言葉に言霊が宿るようにこれらの古い文字にもなんらかのスピリチュアルな情報が宿っているのかもしれない。今のところはそう納得するしかなかった。


 ただ、半ば偶発的にせよ大きな魔法を使った後だからだろうか、葵には本に記された魔法陣の図形パターンはイメージしやすかった。何年も使ってきたように想起できる。葵はいくつかの基本的な魔法陣をさほど苦労することなく記憶した。


「まあ、機会があったら実験してみるよ」


「慎重に頼む。雨乞いでいきなり洪水とかになったらまずいぞ」


「加減を覚えなくちゃね、もう近所迷惑はなしってことで」


 コピーサービスのない世界なので本を借りていきたいところだったが、さすがにそれは許されないだろう。また見に来ようと決めてその日は図書館をあとにした。


 夕食は黒鳥亭で済ませ、近衛隊宿舎へ戻るとリーンからの伝言が届いていた。


 むろん手紙などは読めないのでアロンゾ氏から聞いたのだが、明朝リーンが迎えにくるので一緒に王宮へご足労願いたいとのことであった。


「姫さまがお二人に話がある旨伺っております」


 思い当たることはいくつかあったが、葵たちは「わかりました、では明朝に」とだけ答えて部屋に戻った。どうやって王宮に入り込むか、と考えていたので向こうから誘いがあるのならむしろ歓迎だ。


「襲撃犯の関係かな?」


「それならリーンさんが来れば済む話じゃないのか」


「まあ、なんにしても王宮は見てみたかったわけだしね」


 クーリアの用件に興味はあったが、どうせ明日になればわかることだ。一日歩き回ったので風呂を済ませてさっさと寝ることにした。壁の時計にもカプリアの魔法にも目覚まし機能はないようなので寝坊しないように二人とも早々にベッドにもぐり込んだ。


     ***


 深夜——。


 葵はふと目を覚ました。


 寝苦しいわけではない。こちらの季節に梅雨があるかは知らないが、夏至の直後であっても蒸し暑さは感じない。空調のない施設でもぐっすり眠れることは確認済みだ。にもかかわらず、なにかが葵の眠りを妨げたのである。


 あれ、と思ってベッドの中で二、三度瞬きする。明かりを落とした室内には壁に掛かったランプがほのかな光を点していた。既に三度目の夜である、室内の様子も家具の配置も目を閉じたまま歩けるほどわかっている。二間ふたま続きの恭一の部屋は室内のドアの向こうだ。


 そっと身を起こす。


 なぜ自分は目を覚ましたのだろう? なにかが、そう、なにかの刺激が感覚に触れたのだ。物音、気配、振動……いや、違う。もっとささやかな「乱れ」だ。


 乱れ? それはなに? 周囲のなにかが……。


 周囲の、という言葉が浮かんだと同時に閃くものがあった。


 ルフトだ。


 はっとして薄暗い室内に目を凝らした。ルフトの細かい光点にさざ波のように伝わってくる波紋がある。本来ゆるやかにたゆたい、漂っているはずのルフトの動きにかすかな方向性が生まれているのだ。それは同時になにかを伝え、葵の心を刺激したのである。


 不自然な感覚、そして胸騒ぎ。昼間の視線と似てはいるが別のなにかだ。葵の勘はそれを警戒せよと告げているのだった。


 ためらわずにベッドから降り、隣室へのドアを開けた。静かな寝息を立てている恭一の枕元に歩み寄り、そっとその肩を揺すった。すぐに目を開けた彼には寝起きの混乱はない。どうした、と目が聞いてくる。


「なんか変、胸騒ぎがする」


 その一言で恭一は完全に覚醒した。すいっと身を起こしてちらりと部屋の中に目を走らせる。葵が異常といえば確実に異常だということを彼は知っていた。


「なにがある?」


「わからない、でも建物全体から嫌な感じが伝わってくる。ほんのかすかにだけど」


「着替えたほうがよさそうだな」


「あたしも」

 二人とも手早く服を着た。今日街を歩き回ったときの格好だ。靴を履き、恭一は太刀を掴んだ。その間にも葵の胸騒ぎは徐々に明瞭になり、今やはっきりと警報を鳴らしていた。なにかが起きようとしていることはもはや確実だ。


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