第40話 幻影の牙 その4


(承前)



 人々の注目の中を鷹揚にうなずきながら歩いていたガーラたちは後庭に入ると足を早めた。


 ここは別棟の厩舎や倉庫がある実用品としての庭だが、それでも石壁に作られた外部への出入り口は左右対称に配置されていた。警備についた兵たちが二人の姿に驚くが、それには構わず森側への門をくぐった。


 むろんそこかしこに兵の姿がある。死角を作らないように常に移動しているのは訓練が行き届いているおかげだろう。隊長とガーラの姿にたちまち兵たちが駆け寄ってくる。


「今日、誰か森に入った者はいるか?」


 イアンの言葉に一人の兵が答えた。


「朝方、城に雇われた魔法士が二人、中に入りました」


「魔法士だと?」


「晴れ男だそうです。園遊会が雨に降られないようにという。これは城の執事にも確認をとりました」


 なるほど、と顔を見合わせたガーラとイアンは無意識に空を見上げた。多少の雲は浮いているが天気が崩れる気配はない。


「よし、森に入るぞ、十人ついて来い」


 イアンが短く命じると兵たちは機敏に動き出した。なにごとでありますか、などと無駄なことを口走る者はいない。ラダルが兵たちをよく訓練している証拠だ。


 かなり奥深い森だが途中までは城側の整備の手が入っている。イアンとガーラを先頭に十人の兵が森への道へ踏み込んだ。細いながらも人の手の入った道が奥へと続いていた。まだ森の外周といってもよい位置なのでこれは散策のための道であろう。


「さて、なにが出てくるか」


「警告を受けていたのか?」


「まあな、あいつの霊感っていうか天啓はいつも唐突だからな、明日は森に注意と言われたときはぎょっとしたぜ」


「そういう話は私の耳にも入れておいてほしかったな」


「ところがあいつは占いに頼るな、霊感は気まぐれだとぬかしやがるんだ」


「魔法士の勘か。あれを見せられると無視はできんのにあてにするな、か。それはひどい話だな」


 まったくだ、と答えたガーラがなにか毒づこうとした時である。道は森の中の小さな空き地に出た。終点であろう。だが、イアンの足とガーラの舌はそこでぴたりと止まった。


 石造りの簡素な長椅子の傍らに二人の男が倒れていた。


 もう死んでいた。


「森に注意、か」


 ガーラがぼそりと言う。死体の十や二十でうろたえるような男ではない。それはイアンも同様だ。軽く片手を上げて「騒ぐな」と兵たちを制し、次いで「四周警戒」と命じた。その必要があったのだ。


 二人の死に様が奇妙であった。


 薄紫のゆったりとした胴衣をまとった中年男、おそらくこちらが魔法士であろう。その額には深々と一本の矢が突き立っていた。即死だったに違いない。目を見開いたまま仰向けに倒れていたが、自分になにが起こったか知ることも叶わなかったはずだ。


 対して魔法士の助手と思われる若い男、こちらが難物だった。


 顔、首、胸、腕、と血だらけ傷だらけである。貼りついた苦悶の表情は苦痛のためであろうか。


「剣の傷ではない、なんだ? 爪、それとも牙か。解せんな、獣にでも襲われたか」


 死体を検分しながらイアンがいぶかしげにつぶやく。矢傷も獣傷も不思議なものではないが、矢で射られた者と獣に襲われた者が同じ場所に転がっているという状況が不可解であった。


「いったいなにがあったんだ?」


「わからん、とにかく運んでもっとよく調べてみよう」


 そう答えたイアンにもこの奇妙な状況が意味するものはまだわからない。だが、ひとつはっきりしていることがあった。


 獣は弓など使わない。


 この件には人間の敵が関与しているということだ。四周の警戒はそのためだが、結果は思ったより早く出た。死体を回収しようとしていた兵たちに向けて立て続けに矢が飛来したのだ。


「あうっ」


「ぐっ」


 くぐもった悲鳴とともに二人の兵が倒れた。一人は肩を、もう一人が足を射られていた。瞬時にその場の気が沸騰する。静寂が突如として戦場に転換することは珍しくない。そこで動転しているようでは無駄死にするだけである。


 ものも言わずにガーラが剣を振るった。いっそ緩慢な動きに見えるほどだが、飛来した数本の矢を無造作に斬り払っていた。わずかな間にもう射手の方向を掴んでいるのだ。そしてその目は木々の間に見え隠れする人影をとらえていた。


「隊長、どうする、追うか?」


「向こうの戦力がわからん、一旦引こう」


「ちっ、よりによってラントの城で仕掛けてきやがるとは」


 平然とした声でさらに数本の矢を払い落とす。その間にイアンは兵たちに短く撤退を命じ、急報のために中の一人を先行させた。兵たちは負傷者を抱きかかえながら来た道を後退にかかった。魔法士たちの死体は後回しにせざるを得ない。


 敵の矢は散発的で少し進むともう飛んでこなくなった。ガーラの目がとらえた射手もせいぜい数名に過ぎなかった。かなり正確に飛んできたので素人とは思えなかったが、これでは相手の正体もその意図も不明だ。


「追ってこねえな、連中いったいなにがしたかったんだ?」


「さてな、ただ、この広い森だ、どれだけもぐり込んでいるかわからんぞ」


「どっちにしろ何人か捕らえてみねえと」


 そう返した時、ガーラはふと奇妙な胸騒ぎを覚えた。戦の場でしばしば経験したものである。この種の勘を経験する兵は稀ではないが、彼の場合は喉の奥にちりちりした刺激を感じる。彼はおのれに霊感があると思ったことはないが、この感覚が彼を裏切ったことはない。


 敵の弓は後退した、ならばこれは……。


 そう考えるのと殺気がひらめいたのがほぼ同時だった。


 ガーラは軽く身をひねると手にした剣を上方に振り回した。肉を断つ手応えとともに半ば両断された男の体が転がった。わずかにあがいてそのまま絶命する。


 兵たちがわっと叫んで飛び退く。敵は上から降ってきたのである。


 樹上に潜んでいた敵は声も上げずにわが身と剣を振り下ろしてきたのだ。先頭の二人は気づくのが遅れて真っ向から斬られた。悲鳴と血飛沫があがると、そこから乱戦になった。


 敵は十数人、身形や装備がまちまちなのでどこの兵かは不明だ。共通しているのは胸当てと薄い革製の手甲という軽装、密集での斬り合いに向いた短い剣など森での戦闘を考慮したと思われる戦支度である。


 奇妙なのはどの男もひと声も発しないことだ。激しい呼吸と「シッ」という押し殺した気合らしきものが聞こえるだけである。驚くべきことに悲鳴さえ上げない。通常、戦場では精神状態も興奮の極にある。絶叫しながら斬り結ぶのが当たり前なのだ。なのにこの敵は斬られても「ぐっ」とくぐもった呻きをもらすだけなのである。


「妙だな、こいつらまともか?」


 乱戦の中、ガーラだけは余裕である。二人、三人と無造作に斬り倒し、剣が不得手なイアンをかばいながらこの状況に首をひねっていた。


 敵にこれといった工夫が見られないのが解せない。弓で追い立て前方に伏兵、ここまではわかる。まずは常道といってよい。だがそのあとがまるでなってない。いくら樹上から急襲しても背後の弓と共闘しないのでは挟み撃ちの意味がない。剣を振るう連中も全く連携が取れておらず、各人が闇雲に斬りかかってくるだけだ。


 ガーラがいることもあって奇襲の優位性はすでに失われていた。なのに突っかかってくる。


 ガーラの巨躯を前にしてもひるまない。圧倒的な強さで剣を振るう巨人が何者であるか、およそ剣を握る者なら知らぬはずはない。挑んでも到底勝ち目がないことは自明のはずだ。


 それでも無言で斬りかかってくるのである。


「やっぱ妙だな」


 そこでガーラは相手の剣を跳ね上げ、岩のような拳をその顔面に叩き込んだ。鼻骨がひしゃげる音とともに吹っ飛んだ男はそのまま木に激突した。生きてはいるがぴくりともしない。


 次にかかってきた男の剣を叩き折り、返す剣の柄をそのまま横っ面に叩き込む。頬骨が砕ける手応えとともに男は昏倒した。あとで事情を吐かせようと考えたのだがこれではまともにしゃべることも叶うまい。


 それが契機になったのか敵の動きに明らかな混乱が生じた。


 すでに半数が倒されている。ガーラを前にこれ以上の戦闘は困難と判断したのか、その盲目的な戦い方に迷いが生じたようだった。剣を構えながらも引き気味となり、城側から多数の足音と気勢をあげる兵たちの声が聞こえたところでついに逃走にかかった。


「隊長!」


 五十を超える兵とともに駆けつけたラダルが叫ぶ。


「負傷者の救護急げ、速やかに森の外へ撤退、四周警戒怠るな」


 立て続けにイアンの指示が飛び、兵たちが機敏に周囲を固める。逃げた敵の背はすでに木々の陰に消え、殺気の名残だけが辺りに満ちていた。


「追撃はどうします?」


「敵戦力が不明だ、深追いは待て。城側に森の詳細な地図があるはずだ、それを見て決める。伯爵には俺から話す」


 剣を収めたガーラは敵が逃走した方向をにらんだままである。やがて「ふん」と鼻を鳴らすと足元の剣を拾い上げた。敵が使っていたものである。騎士や正規兵が使う長剣より短く軽い。密集における乱戦向きといえようか。


「ここではこれが正解か」


 兵たちが素早く動く中、イアンが「もしくは」と応じた。


「正規兵ではない、ということかもしれん」


「というと?」


「地方に出没するという盗賊どもや騎士崩れの傭兵などはこうした扱いやすい刃物を常用するという。連中の正体はわからんが、雇われた私兵の類かもしれん」


「確かに正規兵らしい訓練はあまり感じられなかったな。奇襲の手口もだが、そのあとがてんでばらばらだった」


「とにかく、連中に時をやるわけにはいかん、夜会が始まる前にカタをつけよう」


「俺はもう一度あいつの話を聞いてみる」


 イアンが片方の眉を器用に持ち上げた。ガーラの言う「あいつ」とはもちろん葵のことである。かつてのこの男なら「魔法士にお伺いを立てる」などという行為は鼻で笑ったであろう。だが、イアンもガーラもそれが決して無視できないことを知ってしまったのである。


 魔法を侮ってはならない——それはこの夏に生まれた新たな認識であった。そしてそれをもたらしたのがあの少女なのだ。

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