第5話 魔法の都 その1
案内されたのは騎士たちの居室ではなく来客用の二間続きの広間であった。
調度類は驚くほど立派で騎士の宿舎というイメージからはかけ離れていた。リーンが姫の客だからと気を利かせてくれたらしい。
「いいのかな、こんな立派な部屋」
「海外の高級リゾート並みだな、どう見てもセレブ用だ」
「びっくりしたよ、トイレが水洗なんだもん」
「ということは下水道の設備もあるということだ。実に興味深い」
「剣と魔法の中世世界かと思ったら近代都市並み。どういうところなんだろう」
郊外の神殿からリーンに案内されて馬車に乗ったのだが、街に入ると驚くことばかりだった。
ファーラムの首都オルコットと紹介されたその街は想像していたような城塞都市ではなかった。中央に小高く見える王宮こそ城らしいとはいえ開放的な構造の近代都市を思わせた。
高い建物は少ないが建築様式は欧風の絵はがきの世界である。人口およそ五十万というから日本でいえば中規模の地方都市並みだ。それが多いのか少ないのかはまだ不明だが、リーンにいわせると「国民の二割に相当する」というからやはり一国の首都だけのことはある。
道路はよく整備されており、石畳の舗道はやはり欧風といえた。驚いたことに街の至る所に多数の街灯が灯っていた。
東京の都心の夜景ほどではないものの、上品な明るさが街を照らしている。いや、街灯だけではない、建物の窓から漏れてくるのはほとんど「向こう」の風景と変わらぬ照明の明かりなのだ。
「いい感じに上品ね、一九世紀ヨーロッパって感じ?」
「窓にガラスが填っているな。向こうで住宅用の板ガラスが普及したのは二十世紀になってからだ」
「そういう知識は進歩してるのね」
馬車の窓から見る街並みはほどよく洗練され、剣を振りかざした男たちが暴れるような世界とは思えない。君主制はともかく、葵たちの常識からするとなんともちぐはぐな文化である。
「あの照明はなにを使ってるんだろう。まさか電気? それともガス灯かな」
すると同乗していたリーンが教えてくれた。
「あぁ、あれはルフトの光です」
「ルフト?」
「世界に満ちる根元要素、霊力の源とも言われています。私には見えませんが魔法士たちには微細な光の粒として見えるそうです」
「やっぱ魔法なんだ?」
「細かな理屈についてはわかりませんが、ルフトは魔法陣と組み合わせることで様々な働きをします。長い間に多くの職人や魔法士たちが少しずつ工夫を重ねていろいろな道具に仕立て上げたといわれています」
「面白いな、俺たちの世界の電気に相当するものがここでは魔法か。そのルフトとやらで馬車を動かしたりも可能なのか」
「いえ、もっぱら小さな力に限られていると。研究はされているようですが私は専門外なのでなんとも」
ふうむ、大出力は難しいか、と腕を組んでつぶやく恭一は電機メーカーの跡継ぎらしく見えないこともない。葵が「お、社長の顔になってる」とからかうと「産業構造が気になってな」と笑った。
「できれば詳しく知りたいものだ」
そんなことを話しているうちに近衛隊宿舎という建物の前に馬車は止まった。装飾を凝らした正門の向こうに左右両翼に広がる三階建ての建築物があり、これが基本となる第一宿舎、裏手に小規模な第二宿舎が建てられているという。
「ではまいりましょう」
そういってリーンは先に馬車を降りた。
***
「確認しておきましょう」
恭一と二人でテーブルを挟んだ葵はそう切り出した。
「あたしたちの当面の目標は生存と帰還ということでいいかな」
「同意する。そのために状況をもっとよく知る必要もある」
「だね、特に人間関係。姫さまはよい人だけど、あの男たちは根が深いよ」
「それは霊能者の勘か」
「そう思ってくれていいよ」
恭一はわずかに眉を寄せた。普段の葵は自分の霊感については明言を避ける。そうしたものを判断の材料にすることを潔しとしないところがあるのだ。
彼女は理屈優先であり、論理や理性を重んじる。その葵がここまではっきりと不可視の根拠を口にするということはとりもなおさず現在の状況が理屈を超えた異常事態であり、オカルティックな要素を無視できないと覚悟したからだろう。
「不本意だけどね」
「ではとりあえず常識は脇へ置いておくか。その上で情報の収集と分析、そして理解というところだな」
「異議なし。とにかくここはいろいろ変だよ。剣と魔法が都市インフラと同居してるんだもん。なにが出てくるかわかんないよ」
「少なくとも王女に敵対する一派は存在するな。あるいは反国王派ということかもしれんが」
「もうあたしたちはお姫さまの側についたと思われてるかもしれないよ」
「ああ、注意しておこう」
そこで葵は軽く目をこすってこんなことを言った。
「恭一、あたしさっきから目がおかしいの」
それは恭一も気がついていた。葵はこちらに来てからしきりに瞬きをくり返し、目を気にしている様子だった。
「あの時の光で目を痛めたのか?」
「ううん、蛍。向こうでは数えるほどしか見なかったのにこっちじゃもう数えるどころじゃないの。あたしたち今、蛍の群れの中で話してるんだよ」
「大丈夫なのか?」
「意識しなければたいしたことないけど慣れるまではちょっとまぶしいかも。思うに、これが彼女の言ってたルフトなんじゃないかな」
「魔法の源というあれか。害はないのか?」
「悪いものとは感じない。むしろこうしていても力がみなぎってくるみたい。これやっぱりある種のエナジーだと思う」
葵は「ほら」と恭一の前に人差し指を立ててみせた。するとその指先にぼうっと淡い光が浮かび上がった。ピンポン玉くらいのサイズで見る間に明るさを増してくる。さすがに恭一も目をみはった。
「なんだこいつは」
「向こうでも蛍を呼び寄せる遊びはよくやってたの。でもこっちじゃこうなっちゃうの。そのくらい蛍——ルフトが濃いのね。これが利用できるなら文明の基礎になったっていうのもわかる気がする」
「たまげたな、いつから魔法使いになったんだ」
葵は「へへっ」と笑うと手のひらを広げた。その瞬間、光球はさっと散って見えなくなった。
「これがこの先なにかの役に立つなら、とは思うけどね。今考えるとあの魔法陣はどうも暴発したっぽいから取扱注意かも」
ここでは細かな応用の利くスピリチュアルなエナジーが世界に満ちており、電力の代わりにそのルフトを使った文明が発達した——今のところそのような推測が成り立つ。文明の質そのものが違うのだ。
「学習も必要か」
「うん、そのためにもいろんな人の話を聞いてみなくちゃ。まあ、なぜ言葉が通じるかは謎だけど今は助かるよ」
「長期戦になりそうだな」
「すぐには帰れそうもないし覚悟しなきゃね。恭一がいてくれて本当によかった。あたし元々こんなに図太くなかったもん」
「お互いさまだ、魔法なんて俺から一番遠い分野だからな、葵がいてくれなかったら途方に暮れてた。頼りになる嫁だ」
「よろしくね、旦那さま」
二人して笑ったところで軽いノックの音が聞こえた。
***
茶の席を、ということだったが用意されたのは明らかに紅茶だった。
香りはやや強めだが味は葵たちの知る紅茶そのものだ。恭一は「すると植生は似たようなものか」などと言っていた。ささやかだがこれはこれで重要な知識だ。
部屋で出された食事は違和感のないものだったのである程度の予想はついていたが、ここの野菜や果物は向こうとたいして変わらないようである。
「食べ物がお口に合うのでしたら明日から困ることはありませんね」
クーリアはだいぶ復調したようで、軽口もこぼれるようになった。彼女の日常からするとかなり衝撃的な事件だったはずだが、どうやら常の自分を取り戻したようである。
同席するのは女騎士のリーン、給仕はヴァルナという若い侍女であった。
ヴァルナの表情がややぎこちないのは彼女もあの場で魔法陣の怪異や暴漢たちの乱入を目撃したからだろうか。あまりの事態に腰を抜かして動けなかったのだという。自分の不甲斐なさをしきりに詫びながら、謎めいた客人のことが気になるらしくちらちらと視線が飛んでくる。
一方のリーンはまだ複雑な表情が抜けない。近衛隊出身ということで少々性格が堅いようだ。
結局彼女たちの中で最もリラックスしているのはクーリアその人であった。王族ということで多少は浮き世離れしたところがあるのかもしれない。先ほどの騒動の衝撃はだいぶ薄らいでいるように見えた。
しばらく歓談した後、これならと思って葵の方から話を振った。
「あの者たちはどうなったの?」
クーリアはいくぶん表情が硬くなったが、それでもリーンとうなずき合って「実は……」と口を開いた。
「すぐに逮捕されて取り調べが始まるはずだったのですが、その、傷が重くてそれどころではないということで」
「あちゃー、そうきたか。恭一、本気だったもんね」
「それで最も軽傷の、手首を砕かれた男だけ明日から尋問が始まるそうです」
葵はちょっと首を傾げてやや言葉を選んだ。
「立ち入ったことを聞くけど心当たりある?」
今度はクーリアの方が少し言い淀んだが、こちらも言葉を選びながら答えてくれた。
「心当たり、といいますか王宮というのは一筋縄ではいかないところですから私の口からはなんとも。軽い嫌がらせのようなことは」
「あるんだ?」
「身内の恥をさらすようですが……」
「もしかして今日もなんか言われた?」
クーリアははっと目をしばたたいた。どうやら心当たりがあるらしい。
「ときどきちくりと皮肉を言うような人? 古くから王宮に出入りしている偉い人で唐突に姫さまの婚儀を話題にするような、でも相手は他国の王子とかじゃなくて明らかに不釣り合いだとわかってる格下の、例えばその人の息がかかった家柄の子弟を挙げて笑うような人……だったりする?」
来客の女性三人が同時に息を呑んだ。
クーリアがさっとお付きの二人に目を走らせ、二人はそれぞれ慌てて首を振った。私たちはなにも話していませんという目だ。クーリアは呆気にとられた顔で葵の顔をまじまじと見つめた。
「あの、それはどういう……」
「ははあ、思い当たる節があるんだ」
「それは……」
クーリアはうつむき、リーンとヴァルナは顔色を変えていた。実にわかりやすい反応である。
「あなたたちはもっと上手にとぼける練習をした方がいいかもね」
「アオイ、その、もしやあなたは
「あたしは魔法なんて知らないよ、ちょっと思いつき。そんな気がしただけ」
そこでリーンが意を決したように口を挟んだ。
「アオイどの、思いつきでもけっこう、なにかこうした方がよいと思われることがあったら一言願いたい」
「独り言でいい?」
「かまいません、ぜひ!」
「今日の男たちの中にさっきの子弟たちの家と接触のある者がいるかもね。赤い三つ葉の模様とかどうかな、もしかすると青の二重丸も」
みるみるリーンの顔から血の気が引いた。クーリアがうなずくと「御免!」と言い残して部屋を飛び出していった。ほんの十分ほどで戻ってきたが、その表情はまだ青ざめていた。
「カーストン家から身柄の所在についてそれとなく打診があったそうです」
クーリアが眉をひそめ、皆が沈黙したところで「ふん」と軽く鼻を鳴らしたのは恭一であった。
「馬鹿が、下手を打ったな」
短くいい捨てたその目に軽侮の色が浮かんでいる。
「襲撃が失敗して累が及ぶことに焦ったんだろうが、こういう場合、拙速は禁物だ。知らぬ存ぜぬでなにを言われようと無関係を決め込む方が上策だ」
「キョウイチどの……」
「向こうも一枚岩ではないということだ。心弱いやつから焦って自滅する。その結果、責任を全部押しつけられて最も損な役回りってことになる。見てろ、そのなんとかいうやつ、仲間から切り捨てられるぞ」
「だとするとその人自身も危ないかなあ」
「だな、死人に口なしだ」
葵と恭一の言葉に女たちは蒼白になった。まさかそこまで、と思ったのだろう。同時に聞いてしまった以上、否定できない自分を感じていた。クーリアが唾を飲み込んで「私たちはどうすれば……」とつぶやいた。
「どうする葵」
「そのカーストンという人に思いっきりわざとらしく厳重な警護を」
「
リーンたちには意味がわからなかったようだが恭一は「ベストだ」とうなずいた。
「あと、明日の尋問だけど、あたしたちも立ち会っていいかな?」
リーンが怪訝な顔で「尋問に?」と首を傾げたが、クーリアがうなずくと「わかりました、そのように手配しましょう」と承諾した。
リーンからすると葵たちの発言は飛躍しすぎてなかなかついていけない。だが、ここへきてクーリアの勘も活発に動き出したらしい。少し表情が落ち着くと「ではそのように」とだけ告げて奇妙な茶会の終了を告げた。
そして別れ際に葵の目を見つめるとこうつぶやいたのである。
「真実の杖、やっと見つけました」
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