第4話 葵と恭一 その3


 ざわっと周囲の気配が荒んだ。


  野太い男の声が響くと建物の陰から五、六人の男が飛び出してきたのだ。既に全員が剣を抜いており、口々に意味不明な怒号を吐き出しながら襲いかかろうとしていた。


 葵たちにではない。まだ震えて座り込んだままのあの少女に向かってである。


 先頭の男は既に剣を振りかぶっており、リーンと呼ばれた女は顔色を変えて自分の剣を拾おうとした。事情は不明だが彼女にとってこの第三者の乱入は目の前の謎の二人組以上の緊急事態であったのだ。


 だが、男はもう寸前にまで迫っており、少女を守ろうとする彼女には絶望的な状況だった。男の凶刃は今まさに少女に振り下ろされようとしていた。


「恭一!」


 返事はなかった。恭一は既に動いていたのだ。


 黒い影が彼我の距離を一瞬で詰め、その黒い剣は男の剣を跳ね上げると同時にその手首を粉砕していた。男にはなにが起きたのかさえわからなかったろう。砕けた手首を押さえて転げ回った。


 悲鳴を上げてのたうち回る男の姿に動揺したのか、残る五人の足が止まった。


 彼らが何者であったにせよ、恭一は想定外の伏兵であったのだ。先ほどまでの怒号がぴたりと静まり、じりじりと目を光らせて剣を構え直す。


 最初の男がどのようにして倒されたかはわからないが、見たこともない黒い剣を無造作に下げた相手にただならぬものを感じているようだった。


 彼らの標的らしい少女は目の前だが、立ちは

だかる男も不気味だ。


 男たちは両者に視線を走らせながら激しく葛藤していたが、決断したのは葵の方が先だった。


「恭一、そいつら感じ悪いよ!」


 言葉どおりの意味ではないことを恭一は瞬時に悟った。あの時の占いと同じだ。この男たちは見かけ以上にたちの悪い連中なのだと葵の霊感は告げたのである。


 ならば——。


 まるで黒い疾風であった。


 夕闇のせいばかりではない、恭一の動きが速すぎるのだ。男たちは一合も剣を交えることができなかった。筋骨がひしゃげる不気味な打撃の音が連続するとわずか数秒で全員が地面に転がっていた。ひとかけらの情も感じさせない無慈悲な打撃であった。


 かすかに呻いている者もいれば完全に意識を失ってぴくりともしない者もいた。ルールのあるスポーツ剣道とは全く違う激しさに「問答無用」を指示した葵自身も目をみはっていた。


 あの女騎士も、件の少女も呆然としていた。


 無理もない。魔法陣の怪現象、突如現れた謎の二人組、そして暴漢たちの襲撃……。


 立て続けの変事にまだ頭の方が対処できないのだ。女騎士は倒れた男たちを見やって立ち尽くし、少女は黒い剣の男とその連れらしい少女から目が離せないでいる。自分たちの状況が把握できない顔だった。


 無言で退いた恭一に代わって葵が前に出た。


 相手は座り込んだままだが今度はあとじさるそぶりは見せなかった。ぼんやりとではあるが自分が彼らに救われた事実を理解したようである。

 

 女騎士はまだ油断なく目を光らせていたが、葵はかまわず少女の前まで歩み寄り膝を折って彼女と同じ目線になった。


「こんばんは、お嬢さん、けがはない?」


 日本語でそう語りかけた。通じなくてもいい、笑顔で挨拶は万国共通だ。すると意外にも相手はこくんとうなずいたのである。


「あれれ、もしかしてあたしの言葉がわかる?」


「……わかります。あなたは、あなた方は……」


「あぁ、よかった、知らない土地で言葉も通じなかったらどうしようと思ってたの」


 葵は心底ほっとしたという顔で「話できそうだよ」と後ろを振り返った。恭一はうなずき、短く「まかせる」と答えた。


 葵はもう一度少女に向き直ると「あたしは葵、如月葵。でもって彼は恭一、高城恭一」


「アオイ……キョウイチ……」


「そう、あなたは?」


「……クーリア」


「うん、すてきな名前ね。とりあえずけががないようなら立てるかな?」


 葵がにっと笑って手を差し出すと少女もかすかに笑みを返し、おずおずと手を差し出した。そっとその手を取って立たせると、それまで身を固くしていた女騎士がようやく動いた。


「姫さま、ご無事で」


「ありがとう、このとおり私は大丈夫です。リーンは?」


 女騎士はちらと恭一の方に目をやったが「私も無事です、なんとか」と答えた。ひとまず危機が去ったことを悟ったようで、葵はこの女性の笑顔を初めて見た。


「あの、今、姫さまって聞こえたんだけど」


「そうです、この方はわがファーラム国が第一王女、クーリア姫さまです」


 王女? ファーラム? 姫さま? 葵は少しばかり頭を抱えたくなった。そんな国が世界地図のどこにもないことは残念ながら事実である。


「だめだ、全然心当たりがない……」


 少女は女騎士と顔を見合わせ、自分から葵に問いかけた。


「アオイ、あなた方はどちらから?」


「それが今のところ非常に説明しづらくて……さっき頭の上に浮いていたあれ、見た?」


 少女はまたリーンと顔を見合わせるとうなずいた。


「あたしたち、どうもあれに巻き込まれたみたいなの。魔法陣をいじる趣味はないんだけどね」


「あれをご存じなのですか」


「ついさっきあたしの家で見たよ。ねえ、ここには召喚魔法とか転移魔法みたいな術はある?」


「いえ、昔語りにはそのようなものも出てきますが、実際に見たという話は」


「じゃあさっきのあれは?」


「今日は夏至祭の当日で私はその責任者としてもっと小規模なものを作りましたが、儀式用なのでただの幻像に過ぎません」


「作れるんだ?」


「一応祭祀の長のお役目をいただいておりますから」


「さっき家で見たのはあれと全く同じだったよ。大きさは全然違うけど」


 クーリアもリーンも葵の話に困惑していたが、いつまでも騒ぎのあった広場に突っ立ったままというわけにもいかない。恭一がひとまず場所を変えようと提案した。


「お互い、まだ事情がよく飲み込めていない状況だ。俺たちは正直、ここでは右も左もわからんし、あんたたちもそこに転がってる連中の始末をしなきゃならんだろう。どこか宿屋でも紹介してくれないか。ここの金は持っていないが一泊でも恩に着る」


「では私の城へ」


「姫さま、さすがにそれは不用心に過ぎます」


 いけませんか、と真顔で尋ねるクーリアだが女騎士は葵たちの方を向いて小さく頭を下げた。


「姫さまをお救いくださったことには礼を言いますが、身元も定かでない御仁をいきなり王宮に招くというのは、その、察していただきたい」


「かまいませんよ、あたしたちはとりあえず今夜の寝床と食事にありつければ」


「かたじけない。では姫さま、近衛隊の宿舎の方へお連れしようと思いますが」


「わかりました、私もお二人のお話を伺いたいので然るべく。お二人とも、お疲れでなければ後ほど茶の席でも用意させていただきますので」


「うん、わかった。お世話になります」


 話はまとまったが、リーンには曲者たちへの対応が残っている。なにしろ第一王女の命を害そうとする不届き者たちが現れたのである。ことは重大であり、危急の事態に神殿から四方八方へと使者が走った。


 すぐさま近衛隊の一団が駆けつけ、リーンは魔法陣の一件には触れずに曲者たちの襲撃に話を絞って男たちの逮捕、拘引を指示し、上級士官への伝言をしたためてとりあえずの対応とした。彼女はまだ若い騎士だが「姫さまのお側にまいらねばなりません」の一言で大抵の無理は利くようであった。


 葵たちは実感で一時間ほど待ち、リーンに案内されてその場をあとにした。


     ***


「聞いたぞリーン、曲者を取り押さえたそうだな、お手柄だぞ」


  髭をたくわえた中年男がにやりと笑って女騎士を出迎えた。近衛隊第一宿舎の責任者アロンゾ・カーンはリーンも訓練時代に世話になった人物である。隣国との小競り合いで足に傷を負って前線を退いたが、元は一隊を預かる勇士であった。


「ご無沙汰しております、隊長どの」


「隊長はよせ、ケツがこそばゆい。のう従騎士どの」


「それも勘弁してください、冷や汗が出ます」


「よいではないか、お前が姫さまによくお仕えしておることは確かだからな、此度のこと、よくやった」


 女騎士はやや恐縮して首を振った。クーリア姫の名誉に関わることなのであまり立ち入ったことを触れ回るわけにはいかないのだが、今日のことはとても自分の手柄とは言いがたい。


「いえ、折よく旅の騎士とその連れと思われる方が助力してくださったおかげです。なにぶん神殿の警備の者はああしたことには慣れておりませんから」


「うむ、姫さまに大事なくてよかった。すると先ほどの客人が」


「はい、後ほど姫さまが直接礼を述べられたいとのことでお見えになる予定です。あまり騒がれるのは……」


「わかった、部下たちには申しておく。それにしても見慣れぬ風体であったが何処からまいられたのだ」


 これはリーン自身が聞きたいほどだったが、今はあまり詮索されても困る。話はこれからなので後ほど報告に上がりますと言ってごまかした。


「あまり当地の事情に明るくないご様子でしたので長旅の途中かとお見受けしました」


「そうか、まあお前がお連れした方々だ、まかせる。それはそうとエリーザが戻ってきておる。積もる話もあるだろう、二、三日はこちらに逗留すると言っておったぞ」


「エリーザが! それは顔を出さないわけにはまいりませんね」


 アロンゾの許を辞したリーンはその足で裏手の第二宿舎へ向かった。こちらは規模も半分ほどだが女騎士専用である。王宮のある首都には典礼用の女性だけの騎士団も存在するので別棟が用意されているのだ。以前はリーンもここに部屋を持っていた。


 二階の最奥、東の角部屋の前に立ち、軽くノックする。エリーザは首都に戻ったときはいつもこの部屋を使っている。


 ドアが開いて華やかな赤毛の女性がリーンを出迎えた。


「あはは、そろそろ来る頃だと思ってた」


「久しぶり、元気そうね」


 さあさあ、と招じ入れられ久しぶりの対面を喜び合う。勝手知ったる親友の部屋なのでリーンは自ら茶器を引っ張り出して紅茶を淹れた。


 エリーザ・マレは彼女と同年の女騎士である。近衛隊の同期でリーンが姫の従騎士に召し抱えられたときに彼女も地方の重要拠点に派遣された。経験を積めば首都の主要部署に呼び戻されることになる。まずは出世の軌道に乗ったといえるだろう。顔を合わせるのは数か月ぶりである。


 赤毛のエリーザに対してリーンは姫と同じく金髪、赤と金の二人組は近衛隊時代からたいそう目立つ存在であった。今はこうしてたまに会う程度だが、いずれエリーザが帰還の折にはまた二人して王宮を闊歩することになるはずだ。


「聞いたよ、お手柄だって?」


 すでにここまで話が伝わっているのだから噂は光より速いと言われるはずである。リーンは苦笑交じりに肩をすくめた。


「それを言われると恥ずかしくて」


「あらあ、らしくないね、胸を張っていいでしょ」


「それがね、あんまり詳しいことは話せないんだけどあれはとても私の手柄なんて言えることじゃなくて」


「曲者を六人も倒したのに?」


「違うの、あれは……」


 聞く者は誰もいないのだがリーンは声をひそめて打ち明けた。


「あれは助勢してくれた旅の騎士がやったことなの、私の出る幕なんてなかったわ」


「……ほんと?」


 エリーザは目を丸くしていた。彼女はリーンの剣が男勝りなのを知っている。一対一では男の騎士でも不覚を取るほどなのだ。六人というのが噂に尾ひれがついた結果だとしてもそれに近い働きをしたことは間違いないと思っていた。


「旅の騎士……そんなに強かったの?」


 リーンはうなずいて「尋常な腕じゃなかった。もしかすると四大騎士に匹敵するかも」とこぼした。


「まさか」


「最初、敵だと思って私が突っかかっていったんだけどね、片手であしらわれちゃった。あぁ、自信なくすなあ」


 ため息をもらす親友をエリーザは肩を叩いて慰めていたが、この話に大いに興味をそそられた。四大騎士——王を守護する近衛隊最強の四人の騎士はファーラムの守護神として他国にまで知られた英雄である


 。ある者は剣技で、ある者は瞬速で、そしてある者は大力で。それぞれ独自の強みを持った四人は文字どおり不敗の騎士であった。


 その四大騎士に劣らぬ旅の騎士?


 そんな強者がどこに隠れていたのだろう。無名の強い騎士などというものはめったにいない。才能ある者は早くからその名を知られるものなのだ。


「その旅の騎士ってどんな人なの?」


「若い。たぶん私たちより。立派な体格で動きがおそろしく速かった。目で追えないくらい。見たこともない黒い剣を使っていた」


「黒い剣?」


「刃がないところから最初は木剣かと思ったけど威力が凄まじい。倒された男たちの中には肩口から肋骨までひしゃげている者もいた。それに……」


 語り出すと記憶が呼び覚まされてリーンの肩がわずかに震えた。


「連れの娘も普通じゃなかった。姫とは穏やかに話していたけど、なにかこう、雰囲気がね。娘のひと声でその騎士は曲者たちを一気に粉砕したの。ただ者じゃないと思う」


「黒い剣の騎士と謎の娘かあ、確かに気になるね」


 エリーザの目も真剣になった。親友が手柄を立てたというので一緒に祝杯を挙げようかと思っていたのだが、どうもことはそんな単純な話ではなさそうなのだ。


 これから姫を交えてあの二人との面談になるリーンは悩ましげにつぶやいた。


「アオイとキョウイチ、いったい何者なんだろう」


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