第32話 古城の騎士 その1




「いいようだね」


 帳簿を精査していたローグはそういって傍のアルにうなずいた。


 執事のローグ・アルトマンはキサラギ館の使用人頭であり、実質的な恭一の秘書でもある。貴族でいえば家宰に近いといえようか。この屋敷の経済を預かるのも彼の仕事だ。算術に優れたアルはこうしてその作業を手伝うこともある。


 もっとも、恭一が準騎士隊の剣術の師範として受け取る対価は小遣い銭程度であり、現在の収入の大半は王宮からの手当てでまかなわれている。管理といっても支出の記帳程度だ。


 主人である葵と恭一は厳密には王宮に仕えているわけではないので経済的な自立はなんとかしたいと考えているようだ。


「でも陛下から賜ったお屋敷だし、皆さんへの手当ても国費持ちなわけですから」


 現状のままでよいのでは、とアルは言うのだがローグは穏やかに笑った。


「それは金で苦労したことのない人間の台詞だね。あのお二人は働くことも独立することも大事だと考えておいでだ。なによりその算段を工夫することを楽しんでおられる。キョウイチさまは商いの原理原則にも非常に明るいようだしね」


「まさか商売でも始められるおつもりとか?」


「さて、どうだろうね。なにをおやりになるにせよ、そばで見ていれば君にとってもよい勉強になることは確かだよ。面白い方たちだからね」


 そう言って帳簿をたたむ。これに恭一が目を通して今週の分は完了である。


 如月葵によると高城恭一は豪商の跡取り息子だという。執事として貴族の屋敷に勤めた経験も豊富なローグは若い主人の算術や経済に関する深い知識に驚き、葵の言葉が冗談ではないことを知った。


 貴族の家計というものはよくいえばおおらか、本音をいえば杜撰なものが大部分で、優秀な執事や家宰が目を光らせていないとたちまち破綻する。そうした実情を知るローグにとってこの屋敷の主人は異例中の異例であった。


 爵位こそ持たないが国王や第一王女に認められ、実質は貴族同然の扱いなのに増長することもない。若い貴族の子弟というものは大半が自らの身分、地位、財力などを当然のことと考え、それらが世の中のどのような仕組みによってもたらされているかほとんど知らない。知ろうともしない。無自覚なのである。


 だがこの屋敷の二人の主人は違う。


 平等を重んじ、使用人たちにも家族のように接する。驚くほど賢く、精神的には完全に自立した人間だ。十七歳と聞いて人の器量は年齢とは関係ないのだと実感した。主人と執事という雇用関係ではなしに敬うに値する人間だった。


 侍女や使用人たちにとってもそれは同じだったようで、勤め始めて間もないのに誰もが十年も寝食を共にしているかのように感じている。


 この屋敷はとにかく居心地がよいのである。


 ローグ以下の七人はいずれもしっかりした身元や経験を買われてここに勤めることになったのだが、黒騎士と連れの娘は様々な噂に満ちた不可解な人物とされていた。王宮からの声がかかっては辞退もできない。皆、かなり緊張して屋敷の門をくぐったのである。


 ところがどんなに怖いお人だろうと思っていた黒騎士は物静かで穏やかな若者であり、謎めいた魔法士と噂されていた如月葵は明朗で気さくな楽しい娘であった。若くして国王や第一王女の客人として遇されているのにえらぶることもない。


 お茶や食事はなるべく全員で食卓を囲むこと。


 これがこの屋敷のほとんど唯一の決まりごとである。なんと楽しい規律であろうか。九人全員で囲むテーブルには笑いが絶えず、王宮の噂話から市場の野菜の値段の話題までが飛び交う。


 食卓を仕切る葵は明朗闊達なだけでなく覇気に満ち、なにか問題があって判断を仰ぐと即座に答えが返ってくる。実に頼もしい女主人ぶりである。


 二人の侍女、リナとベリンダには王宮勤めの同僚も多く、最初は噂のお屋敷勤めに決まった二人は心配されていたのだが、今ではキサラギ館の自由な空気を羨ましがられる立場である。


 もうひとつ、この屋敷に特徴的なことがあるとすれば来客の顔ぶれだろうか。


 王宮とは目と鼻の先とはいえ、二人の王女やその従騎士たち、近衛隊のお偉方の来訪にはもう慣れてしまったが最初は皆とんでもなく緊張したものだ。あの四大騎士の巨漢、ガーラ・バルムントが真剣勝負の相手だった黒騎士と庭で穏やかに談笑している光景などわが目を疑うようなこともしばしばだった。


 今では庭を駆け回るルシアナ姫や葵とくつろぐクーリア姫の姿も日常のことである。


 身分が、と尻込みしていたアルも最近は落ち着いて受け答えができるようになったらしく、時には葵と並んでクーリアと同じテーブルにつくこともある。少年は末弟なのでルシアナに懐かれるのはまんざらでもなさそうだったが、キータン(鬼ごっこ)で散々走らされるのは勘弁してほしいとこぼしていた。


 キサラギ館は元々は貴族の別邸であったが、持ち主の伯爵が国内北部に領地を得て城住まいとなったため手放したものだ。


 しばらく空き家だった屋敷に人が入った。それも噂の黒騎士と魔法士の娘が住むという。この話はあっという間に広まり人々の知るところとなったわけだが、そうなると街の顔役や世話役に当たる人々が挨拶やご機嫌伺いに訪れるようになった。


 葵たちの感覚からすると町内会長や商店街の組合長のようなものだろうか。葵は神社の娘として参拝客を迎えることは日常的であったし、恭一は父について取引相手との面談の席につくこともしばしばだったのでこうしたことには慣れていた。


 話題はとりとめもない世間話に過ぎないが、恭一はその中から街の人々の生活の実態を読み取り、葵は(口には出せないが)霊感が告げる人物評から人間関係の情報を得ていたようだ。


 そんな折である。アルの父親、ウルマン子爵が屋敷を訪れたのは。


     ***


 初めて顔を合わせたエルンスト・ウルマン子爵は穏やかな物腰の中年男性であった。


 少しお腹の出た小太りの体つきに丸顔、鼻の下のくるりと跳ねた髭がユーモラスで、葵の勘は「丸い人」と告げていた。容姿だけでなく性格や仕草に至るまで角のない人物というわけだ。むろん、それだけで裕福な一家をなすことはできない。倹約や合理性を重んじる本質的な賢さの持ち主、葵はそう見て好感を抱いた。


 アルがやや消極的とはいえ素直な少年として育ったのもこの父あってのことだろう。


 葵と恭一は応接用の広間に子爵を迎えた。


「初めまして、今日はようこそ」


 笑顔の葵に子爵も笑みを返し「いや、こちらこそ。突然押しかけてしまって申し訳ありません、先に使いを出しておけばよかった」と応じた。


「おかまいなく、ラインくんにはいつもお世話になっています。すぐに呼んでまいりましょう」


 恭一はそう返したのだが子爵は「いえいえ」とこちらも手を振った。


「今日は息子のことで伺ったわけではありませんので」最初はあれには少々荷が重いかと思いもしましたが、本人は毎日が楽しいと申しておりますのでそのことはもう心配しないことにしました。お預けした以上、おまかせいたします」


「ありがとうございます。彼にはいろいろ手伝ってもらって助かっているんですよ」


 これは葵の本心である。知的アシスタントとしてライン少年の存在は貴重だ。


「そうすると本日はどのようなご用件で?」


 葵がそう水を向けると子爵は身を乗り出し、実は、と口を開きかけたのだが、そこで軽いノックの音が聞こえアルが顔を出した。父親が来ていると聞いて自分に用があるのだろうと思ったのだ。


「あれ、お邪魔でしたか?」


「いいの、アルくんもこっちに」


 葵はそう言って少年を隣の椅子に誘い、子爵には「かまいません?」と了解を求めた。少年の父親は息子のこととは別件で訪れたのだが、別に隠すような用件でもなかったのでうなずいた。


「お父さんはなにかご用があっていらしたらしいの。これからお話をうかがうところ」


 それだけで少年はうなずき、父は自分の顔を見るために立ち寄ったわけではないらしいと悟ったようだ。


 では改めて、と子爵はおもむろに語り始めた。


「最近、王宮や一部貴族の屋敷に納入されたという冷めた料理を傷めずに温め直すという魔法のことなのですが、あれを工夫されたのはアオイどのであるとうかがいました」


「ああ、あれですか。ええ、まあ基本部分を設計したのはあたしですが」


「聞けば国王陛下も体操お喜びであるとか」


「冷めた料理では物足りませんしね、それがなにか?」


「実は評判を聞きつけて街の商人たちの中にもあれを扱いたいという声が出てきまして」


 葵とカプリア職人のハント・ジロウズが共同で開発したルフト駆動による擬似電子レンジはたいそう評判がいい。王宮の厨房からは泣かんばかりに感謝されている。


 まだおおっぴらな宣伝などはしていないのだが噂を聞きつけた貴族の屋敷などからも引き合いがきているらしい。毒味だけが料理を冷ます理由ではない。いつでも料理を温め直す魔法の道具は大々的に売り出せば大当たりは確実だろう。


 ただ、現在のところあれはハントの手作り同然であり、注文が殺到したとしても対応できないのだ。ハントは信頼できる腕を持った職人仲間数名を誘って製作にあたっているが、既にかなりの受注残を抱えているらしい。


「で、街の商人組合の代表がハントさんに『うちでも作らせてくれないか』と話しにいったらしいのですが——」


 この世界には今のところ特許の概念はほとんどない。製法さえわかれば誰が真似ても構わないのだが、街の商人たちもそこは仁義を通したというわけだ。


 だがハントは難しいと考え込んだという。独占したかったからではなく、三方同時加熱の制御はかなり細やかで魔法陣の高い精度が求められる。粗悪品では王宮御用達の名誉をくださった姫さまの名を汚すことになる。自分が認める腕の持ち主になら喜んで技術を提供するが、そうなると自分一人では職人たちの面倒が見きれない。


 だから大量生産は難しいというわけだ。


 葵はハントの緻密な仕事ぶりを思い浮かべてもっともだと思った。彼は自分の技術に誇りを持っている。カプリアの魔法陣は精度が命。霊力のない人間が使うものだから雑なものは世に出せないのだ。


「それで彼が申しますにはアオイどのにその算段について相談してみてくれ、あの人ならいい知恵を出してくれるかもしれない、とこういうわけです」


 聞けば至極もっともな話だ。葵も恭一もさてどうするか、と腕を組んだ。


「あれを自分の店で扱いたいという人はどのくらいいるんですか?」


「今のところ五、六人でしょうか。なんとかなるものならうちでも、と考えている者もさらに十人以上は」


「手抜きできないとなると一人で一日に一台、かな?」


「いや、職人が増えれば部品ごとに分業という手もある。魔法陣を刻むのは特に腕のいい職人にまかせて組み立てや製品チェックは他の者に担当させれば」


「そっか、工場と同じね」


 そうした仕組みは恭一の領分だ。中心になるカプリア職人を何人か確保できれば町工場程度の規模でなら量産ができるかもしれない。


「あ、だいぶイメージできてきた。どう、これを機会に事業化してみる?」


「そうだな、演習としてもいい頃合かもしれん」


「とりあえず事業規模を設定しないとね。明日ハントさんのところで話を聞いてみるよ」


「俺は事業形態について考えてみる。おそらく当面はペーパーカンパニーに近い代物になるだろうがな」


 恭一はそう言って子爵に向き直り、商人たちの要望を検討するにあたりいくつかの条件を伝えた。参加したい商人の具体的な数、確保できる職人の数、職人ではなくともこの話に噛んで恭一たちの指示通りに動ける人員、などの具体的な数字と商人や職人たちとの連絡網の開設といったごく基本的な準備だ。人を動かすとなるとそのための体制作りが肝要だ。ここがおろそかだと歩き出す前に転ぶようなことになる。


「多少面倒でもそうした手間をかける用意がおありなら手を貸しましょう」


 恭一や葵の言葉にはところどころ意味不明な部分もあったが、彼らが問題を正確に把握していることは子爵にも伝わった。この一連の流れをすんなり理解できる人間は貴族階級の子弟にはまずいない。


「驚きました。アルから話は聞いておりましたがお二人の器量には感心いたしました。早速持ち帰って商人たちと相談いたします」


「父上、そういうことでしたらしばらくは私が連絡役を引き受けましょうか」


「ん? こちらはかまわんが、お屋敷のご用があるのではないかね」


 葵が「いえ、かまいません、じゃあアルくんに走り回ってもらうけどいいかな」と確認すると少年は「まかせてください」と胸を張った。


 傍目にはなんということもないやりとりだが子爵は感動していた。あの引っ込み思案だった息子がこうも積極的になっている、しかもいたって自然にだ。この屋敷の若き主人たちはどんな魔法を使ったのだろう。


「では頼もうか」


 さりげなく言って辞去した子爵だったが、内心は「今日も祝杯だ」と笑っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る