第33話 古城の騎士 その2
(承前)
だいぶお忙しいみたい、と葵が切り出すとハントは苦笑気味に頭をかいた。
「こんなに仕事が詰まってるのは人生初だよ。まあ、注文があるのはありがたいんだがね」
そう言いつつまんざらでもなさそうな顔である。根っからの職人である彼には仕事の上での忙しさは望むところだろう。
「商人さんたちの話は聞きました。なんとかしたいと思ってるけど、実際のところあれを作るのにどのくらい手間がかかるか知らないと話にならないでしょ。今日はそれで」
「まあ、こっちも場数を踏めばもうちっと手際よく作れるとは思うんだがね」
ハントは作業台をテーブル代わりに茶を出してくれたが、工房の中は以前と違ってカプリアの原板以外の石材や加工器具が所狭しと積まれていた。どうやら今はあの擬似電子レンジ一本に絞って作業しているようだ。
「忙しいのはかまわんけど四人がかりでやって納品まで三か月だからね、これ以上はお客さんに申し訳なくて受注を控えてるありさまだよ」
「派手な宣伝はしてないんだけどねえ」
「やっぱり王宮に納品したってのが効いてるな。おかげで日頃縁のねえところから注文がくるよ」
そもそも貴族階級は生活が不規則な上に不意の来客や夜会の類も頻繁だ。厨房を預かる使用人たちの苦労もひとしおである。冷めた料理をその場で温め直す道具があると聞けば飛びつくだろう。噂の発信元が王宮となれば空からビラを撒いているようなものだ。
「大きなお屋敷だと二台、三台と買ってくれるんで上客とは言えるんだけど、正直、これ以上は手が回らねえ。相手が貴族じゃ『もうちっと待ってろ!』とも言えんしな」
商売繁盛もほどほどがいいとは贅沢な悩みだが、葵がもう少し人を集めて、しかもハントに負担がかからないようにする仕組みを考えていると言うと「そりゃあいい」と乗ってきた。
「けど、そんなに都合よくいくかね」
ハントは室内を指差してぼやいた。確かにこのままではたとえ人が集まったとしても作業効率を上げるのは難しい。恭一の計画が動き出すには「工房」を「工場」にするための手立ても必要だ。
「ハントさんがこだわるのは魔法陣の精度をいかに保つかってこと?」
「それに尽きるね、そこだけはどうあっても譲れねえ」
「じゃあ仮に、どこか広い作業場が確保できてハントさんが認めた腕のいい職人はカプリアの製作だけに専念、組み立てや商売上の雑用は全て他の職人さんや街の商人さんたちが専属でやってくれるとしたらどう?」
「そりゃあ願ったり叶ったりだが……できるのか? そいつを全部面倒見ようとすると手間も準備も半端じゃねえぞ」
腕は一流でも一介の職人に過ぎない自分たちには手に負えない。それでも無理だろうと言わないのは王宮の信頼を得ている葵の評判を聞いているからだ。だからこそ商人たちには葵の知恵を借りろと伝えたのである。その葵が本気で解決に乗り出してきたとなると面白いことになるかもしれない。
「とにかく少し待ってくれる? 街の商人組合に顔が利くウルマン子爵が間に入ってくれるそうだから」
「ほおー、そいつはすごいな、あの人は中央通り界隈じゃ一番の顔役だろ、よくツテがあったな」
「まあ、ちょっと縁があってね。二、三日中にはちゃんと話を詰めて説明できると思うから」
「わかった、そういうことならまかせるよ」
一応の話はついてハントの方も職人については心当たりを誘ってみようということになった。そこからは少しくだけた話題になり、ここしばらくの仕事について苦労話などを聞くのが楽しかった。
国王が深夜でも温かい食事にありつけるようになってたいそう喜んでいることはクーリアからも聞いていた。厨房の喜びようもひととおりではない。この世界には氷の魔法を使った擬似的な冷蔵庫があるので軽食程度なら冷凍保存したものを加熱して出来立て同然の味で提供することも可能になった。カプリアの出力と砂時計のタイマーをいろいろ試して加熱だけではなく「解凍」などの応用技もすぐ工夫された。
そうした評判を聞くのは職人であるハントにはなによりの喜びであった。
「あたしたちの国には冷凍食品というものが売られていてね、凍らせた食べ物。買った人は家で加熱して食べるわけ」
「なるほど、そういう商売もできるわけだ」
「この『レンジ』が普及すればね。目端の利く商人ならきっと思いつくと思うよ」
面白い、と笑いながらハントは納品先で見た貴族階級の厨房の話をしてくれた。
「まあ、とにかくわがままなご主人さまが多いらしいよ。夜会となると料理も大量だし、用意してる間に冷めるものも出てくる。当たり前だよな、けどそれで叱られて凹むんだと。料理人を百人も雇ってるわけじゃなし、せいぜい数人だからな、無茶言うなって」
だからやっと二台納品できた時にゃ連中泣いて喜んでたよ、そういって肩をすくめる。
「そういう話を聞くと量産の手立てはなんとかしないとね」
「あぁ、そこいくとあのお屋敷の奥方は立派だったな」
「お屋敷?」
「お屋敷というか城だな。貴族の城なんて初めてなんで緊張したよ。ご当主は不在だったけど物静かな執事さんと穏やかな奥方さまがいらして丁寧に扱ってくれたよ」
ハントは思い出しながら「うん、あそこは厨房からも愚痴はっ出てこなかったな」とつぶやいた。ああいうのが本物の貴族の館っていうんだろうな、と。
「お城かあ、ご当主って偉い人なんだろうね」
「知らないか? 近衛のダンテス伯爵さま。有名だぞ」
「え? まさかあの四大騎士のシュトルム・ダンテス二世?」
「そうそう、ご本人は王宮近くの別邸が多いらしいんだが、何代も前に今のお城を当時の陛下にいただいたそうだ。古いし、特に大きくもないけど風格のあるいい城だと思ったね」
小なりとはいえ伯爵の身分で城持ちは珍しい。そのご先祖はよほど国王に気に入られていたのだろう。個人で城を建てることも可能だが、その場合は国王の許可が要る。城は権力や軍事を象徴するものでもあるので勝手に作ると国や国王に対する叛意を疑われる。自分の城に住むというのは名実ともに王に認められた証でもあるのだ。
「そっか、あの伯爵さま、本当に由緒正しい貴族なんだね」
「なんだ、会ったことがあるのか」
「王宮の廊下ですれ違っただけ。立派な人だよね」
「あれでお嬢さんの病気さえなけりゃな」
「病気?」
ハントは口が滑ったという顔で「今のなし」と手を振ったが、いくらか気になっていた話題らしく、葵が問いかける目になるとぽつりぽつりと語り出した。
「奥方さまも執事さんも穏やかないい人なんだが、なんていうかな、ちょっと元気がないっていうか笑顔が暗い気がしてな」
「どうして?」
「俺がそう感じただけなんだが、料理人たちの話の端々に『これでお嬢さまも』とか『いつでも温かいものがお出しできればきっと食が進むように』なんて声がな」
どうやら奥方さまの娘は体があまり丈夫ではなさそうだ。それでいつでも温かい食事が出せるようにと新しい魔法の道具に声がかかったらしい。不躾なことを聞くわけにはいかないのでハントはそういうことだろうと勝手に納得した。
「ま、病人に冷えたスープじゃ元気も出ねえしな」
「小さい子だったらなおさらだし早くよくなるといいね」
葵はキサラギ館の庭を元気に駆け回るルシアナの姿を思い浮かべた。伯爵の年齢からするとその娘もルシアナに近い年頃であろう。なのに周りが心配するほど食が細く、体も丈夫ではなさそうだという。他家のこととはいえ、なにかとても残念な気がした。
「だよな、子供は元気すぎてうるさいくらいでちょうどいいんだが、薬もだめ、魔法もだめってんじゃお手上げだろ。せめてうまいものでも食べさせてやりたいって気持ちはわかるよなあ」
ハントは頬杖をついたままそうこぼしたが、葵の目つきに気づいてばつが悪そうに頭をかいた。不躾なことは聞けないと言いながら噂だけはちゃっかり拾ってきているらしい。
「ずいぶん詳しいこと。仕事一筋じゃなかったの」
「あ、いや、そのだな」
「そんなに具合が悪いの?」
「どこがどう悪いのかもはっきりしねえって感じだったな。まあ厨房の連中も立ち入ったことは知らねえだろうが」
ハントの好奇心はともかく、彼の口ぶりでは医者や魔法士の治癒魔法でも効果が薄いらしい。現代医学とは発展の方向が違うが、ここでは魔法という万能の特効薬のおかげで治療実績は抜群である。その分、医学知識や外科手術のような技術は未発達だが、必要のない知識は進歩しないのが道理である。ここはそういう方向に進んだ世界なのだから。
葵も何度か治癒魔法が使われる現場を目撃している。使う機会はないが魔法陣も覚えた。外傷なら組織を再生し、疾病なら劣化し変性した部位を活性化して復元させる。生き物の生命力とルフトは親和性が高いので肉体的な不具合全般に有効だ。
それでも効果が薄いとなると生命力そのものが脆弱なのか、それともなにか別の原因があるのかだが……。
王宮の回廊ですれ違った時に感じた彼の「悩みごと」とはこれのことだろうか。葵は「伯爵さまもご心配だろうね」とつぶやいただけだった。
***
首都オルコットから北へ伸びる一本道は神殿の先で東に折れる。そのまま道に沿って進むとやがて緑に囲まれた美しい湖に出る。リンクネス湖、さほど大きくはないが、透明度が高く、波もあまり立たないので水面は鏡のように空を映しだす。
その湖畔に小さな城がある。
三百年以上前に建てられた古城で、名をラントメリーウェルという。ダンテス
城主はむろん現ダンテス家当主シュトルム・ダンテス二世。彼自身は近衛の騎士としての勤めがあるので王宮近くの別邸を使うことが多いが、ダンテス一門とその家族、使用人など八十人近くがこの城で起居している。
栄えある四大騎士の一人、風のシュトルムの居城とあって近隣住民の敬意も深く、城の人々も誇り高い。貴族にありがちな怠惰や虚飾はここにはない。城主の目はそれを見逃すような節穴ではないからだ。貴族の地位と責任を自覚した者だけがここに住むことを許される。
今、その玄関から一人の老人が姿を現した。見送りであろうか、その後ろからさらに二人、こちらは騎士と思われる立派な体躯の男性、そして気品ある若い女であった。
老人は二人の方に向き直ると深々と頭を下げた。
「力及びませんで申し訳ない、あれほど大口を叩いておきながらお役に立てなかったこと、恥じ入るばかりです。この老いぼれの未熟をお笑いください」
「いえ、とんでもない、あれが一時的にでも持ち直したのは貴殿のおかげです。世話になったこと感謝いたします」
そう答えた騎士はこの城の主人シュトルム・ダンテス二世その人であった。傍らに立つ彼の妻、ジーナも静かにうなずいた。
老人はもう一度伯爵夫妻に頭を下げると迎えの馬車に乗り込み、城をあとにした。遠ざかる馬車をしばらく見送っていた二人の姿もやがて
だが二人が向かったのは二階の南側に突き出た一室であった。この城で最も日当たりのよい部屋、彼らの一人娘レニが眠る子供部屋である。
幼い少女の寝台は精緻な刺繍が施された寝具や細かなレースの天幕で整えられ、いかにも貴族の姫君らしさを思わせる。窓辺には愛らしい動物の人形がいくつも飾られ、枕元にはウサギのぬいぐるみが置かれていた。ジーナの父であるギリク・エレオン子爵が孫娘に贈ったもので少女のお気に入りだった。常であればなんの不足もない幸福な光景といえただろう。ただ——。
横たわる少女の顔は華やいだ生気に欠けていた。頬は青白く、唇の色も薄い。本来なら感じられるはずの育ちゆく生命の気が見えないのだ。
この秋に六歳の誕生日を迎えるレニは母親の美貌を引き継いだ可憐な少女だ。父母を慕い、笑顔の絶えない娘は国の英雄たる騎士シュトルム・ダンテス二世が得た最良の宝であった。
ところが湖畔の木々や小鳥たちが春の訪れを告げる頃になって疲れを訴えることが増え、少しずつ食も細くなっていった。笑顔が翳るようになり寝台に伏す日が目に見えて増える頃には両親も真剣に治療と療養の手立てを探っていた。
とにかく不調の原因がわからない。
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