第3話



 俺は一年間弱の片想いに終止符を打ったわけだが、正直そんなに劇的な変化がないのが悩みです。



 ◆◇◆



「おはよう、春待さん」

「おはよう、直木君」


 朝。電車の中で俺は春待さんを見つけて声を掛けた。

 思えば、春待さんはいつも同じ時間、同じ車両に乗ってくる。

 もし俺のことが本気で迷惑なら時間をズラすなり出来ただろうに。

 それをしなかったってことは、言うほど迷惑に感じてはいなかったんだろうな。ちょっと安心した。

 まぁ、今は俺の彼女な訳だし。そんな心配はもう全然全く欠けらもいらないんですけど。

 でもさ、恋人同士になったんだし何かしら変化があってもいいと思いませんか。

 昨日のことが嘘みたいに春待さんはクールな顔してる。あの色っぽい春待さんは俺の夢だったんだろうか。昨晩、俺は悶々と眠れない夜を過ごしたというのに。

 付き合うとは言ってくれたけど、春待さんは俺のこと本当に好きになってくれたのかな。

 好意を持ったとは言ってくれたけど、好きだって自覚とかなんかそういうのあるのだろうか。

 なんか、冷静になって考えてみると色々自信ないな。かと言って本人にも聞く勇気はないし。どうしよう。どうしたらいいのさ。


「直木君」

「はい!?」


 いきなり話しかけられて、つい声が裏返ってしまった。

 でも春待さんは気にしてないみたい。

 頼むから何かツッコんでほしいな。結構恥ずかしいんだよ、スルーされる方が。


「私、誰かと付き合ったことがないから、付き合うということがどういうことか解らないんだ。どうしたらいい?」

「どうしたらって言われても……」


 そうか。何も変わらないのは、何も解らないからか。

 ごめんね、春待さん。なんか恋人らしさを強要するようなこと思っちゃって。

 そうだよな。これからだよな、俺達は。

 いいよ、そのままでも。春待さんは変に枠にハマったりしなくていいよ。それが春待さんの良さなんだから。

 俺は春待さんの頭をそっと撫でた。そしたら、春待さんの顔がちょっと赤くなった気がする。

 なんだ、意識してないこともないんだな。やっぱり可愛いな、春待さん。


「いつも通りでいいんだよ。これが正しいとか、間違いとかないんだから」

「そう、なのか? なんかよく解らなくて、昨日は寝れなかったよ」

「寝てないの?」

「……だって」


 そう言って、春待さんは頬を赤くして俯いた。

 え、なに?

 どうしたの。なんか、昨日みたいな顔してるんですけど。

 やめてね、さすがにまだ朝ですから。ここ、電車の中ですから。

 てゆうか、俺が我慢できないから。絶賛思春期なんだから。


「……あの、直木君」

「なに?」

「今日も、屋上でお昼、一緒に食べないか?」

「う、うん……」

「一応、直木君の分もお弁当作ってみたんだ。真奈に訊いたら、きっと喜ぶって言ってたから……」

「え、マジ!?」


 真奈って、夜丘のことか。そういえば春待さんは夜丘と中学の時から仲が良いんだったよな。

 マジグッジョブ。今度何か奢らせてください。

 嬉しくなって春待さんの頭を撫でまくっていると、彼女が困ったように俺の腕を掴んで退けた。あれ、やりすぎたかな。


「直木君、その……あんまり触らないでくれ……」

「え、あ……ごめん、イヤだった?」


 いきなり馴れ馴れしくし過ぎたか?

 いや、恋人なんだから馴れ馴れしいとかないだろう。だったら昨日のは何だって話だし。

 なんて。そんな考えは杞憂に過ぎなかった。

 春待さんは俺の手をそっと両手で持って、照れくさそうにしながら小声で言った。

 俺はその言葉を聞き逃したりしなかった。「私もまた触りたくなるから」って。

 春待さん。本当に君って人は困った子だよ。朝からアドレナリンが出まくってどうにかなっちゃいそうだよ俺。

 俺、普通に頭撫でたかっただけなのにもっと触りたくなったじゃん。抱きしめたくなったじゃん。痛いって言うまでギューっと抱きしめたいじゃん。


「……不思議だな」

「え?」


 春待さんが、俺の胸にぽすんと頭を寄せた。

 昨日は余裕なくて気付かなかったけど、春待さんの髪っていい匂いする。シャンプーの匂いなのか、それとも春待さんの匂いなのか。

 どっちにしろ、ドキドキします。あんまり下の方見ないでね。俺、今元気いっぱい100%だから。


「……昨日まで、こんな風に思うことなかったのに……今、君に触れたくて仕方ないんだ……昨日も、君のことで頭がいっぱいだった。朝も、早く君に会いたかったよ」

「……俺なんて、一年の時からそうだったよ」

「そうか。それは待たせてしまったな」

「本当……危うく銅像になる所でした」

「君は犬ではないだろう」


 なんか、いいなぁ。こういう優しい雰囲気。

 付き合ってるっぽいじゃん。

 俺ら、ちゃんと恋人同士じゃん。変に意識する必要なんてやっぱりなかったんだ。自然と、そうなるんだよな。

 今、学校の奴ら全員に自慢したい。俺は春待さんを口説き落とせたぞって。もう春待さんは俺のものだからって言って回りたい。


 電車を降り、改札を抜けたところで俺は春待さんの手を握った。なんか異様に恥ずかしかったけど、これで周りも気付くだろう。

 俺と春待さんが、付き合いだしたって。きっと教室に行ったらスゴイことになりそうだ。

 春待さんは嫌に思わないかな。見せつけるみたいなこと、目立つことが苦手な彼女には苦痛でしかないかもしれない。

 チラッと横目で彼女を見たら、顔が真っ赤になってた。なんか、そんなこと考えてる余裕もないみたいだ。昨日も春待さんの方が積極的で大胆だったのに。恥ずかしがるところ、ちょっと違うんじゃないかな。

 言っておくけど、あの後ももう一時間授業サボって屋上にいたんだからね。

春待さんが全然離してくれなかったから。俺が止めなかったら日が暮れるまであそこにいたんじゃないかな。


「春待さん。手、離した方がいい?」


 俺が聞くと、春待さんは首を横に振った。

 嫌ではないんだ。それなら良かったけど、その顔はダメだよ。真っ赤な頬とか、恥ずかしさのあまり潤んでしまった目とか。

 そんな顔を俺以外の男に見せないでよ。惚れたらどうすんの。

 春待さん、回りの男子には地味って言われてるけど本当は可愛いんだからね。自覚して。俺のものだって自覚もしてね。


 そうこうしてる間に校門を潜ると、案の定騒いでる奴らが何人かいる。同じクラスの奴だ。

 どうだ、いいだろう。未だに彼女のいない君たち。

 ネットでリア充爆ぜろとか言ってればいいさ。俺はお前らとは違うんだよお前らとは!


 ◇


「おはよー、ご両人」


 下駄箱で靴を履きかえていると、夜丘がニヤニヤしながら声を掛けてきた。お前にはあとで何か奢ってやるから、とりあえず今は二人きりにしてくれよ。気を利かせなさいよ。

 睨みを利かせていると、夜丘がニヤッとした顔で俺の前に立った。なんだよ、何の用だ。奢れっていうのか。


「直木、あんまり澪に変なこと覚えさせないでよ」

「なんだよ、変なことって」

「口ん中、触りたいとか変態みたいなことだっつの」

「っっ!??」


 なんで言っちゃうの春待さん! さすがにダメだよそれは!

 夜丘は笑いながら先に教室に向かっていった。

お前、クラスの奴らに言いふらすなよ。そこまで空気の読めない女じゃないだろ。お前には何も奢ってやらないからな。


「……春待さん。何でもかんでも夜丘に話したらダメだよ」

「そうだったのか? それはすまない」

「うん。さすがに恥ずかしいからね」

「……そうか。それもそうだな……今度から気を付けるよ」

「そうしてください」


 教室に行ったら、やっぱりみんなして俺らのことを見てきた。これで晴れて公認な訳です。

 感動です。とりあえずお礼と口止めの意味も込めて夜丘に何か奢らないといけませんがね。


 それから数時間。教室ではいつも通りの春待さんに俺は少しホッとしながら、二人で屋上に向かった。

 勿論、俺の目的は彼女の手作り弁当。写メ撮ってSNSにアップしたいけど、ここは我慢だ。あんまり浮かれすぎて彼女に引かれるのもなんだしな。

 昨日と同じ給水タンクの下に座って、彼女と同じ弁当箱を開ける。

 春待さんお手製の弁当はお弁当のレシピ本とかに載ってそうなくらい美味そうだ。

 料理上手な彼女。最高じゃないですか。俺、勝ち組なんじゃないですか。


「んじゃ、いただきます」

「どうぞ」


 手を合わせて、まずは卵焼きから。一口食べると、ほんのりとした甘さが広がった。

 美味い。冗談とかお世辞抜きに美味いよ。

 他にもから揚げとかアスパラの肉巻きとかもメッチャ美味い。

 俺、この子と結婚したいんですけど。一生この飯食って生きていたんですけど。


「どう……?」

「ん、美味いよ! メッチャ美味い! 俺、人生で最高に幸せかも」

「大袈裟だな。こんなので良かったら、また作ってくるよ」

「マジで? やった!」


 可愛い彼女に美味い飯。

 ここで死んでも悔いはないな。うん。



 ◆◇◆



 あっという間に弁当を平らげ、俺らはボーっと空を仰いでた。

 先に言っておこう。春待さんは何故か俺の足の間に座ってます。

 これは後ろから抱きしめて良いってことですかね。そうなんですかね?

 俺は勇気を出して後ろから春待さんを抱きしめた。

 春待さんの体は、すっぽり俺の腕の中に納まった。

 可愛いな、本当に。

 彼女がちょっと後ろを向けば、直ぐにキスも出来る距離に唇がある。ドキドキするけど、なんか安心する。このまま、時間が止まったらいいのにな。


「……直木君」

「んー?」

「ちょっと、腕緩めて?」


 俺は言われたとおりに抱きしめてた腕を緩めた。

 なんだろう、そう思っていると、春待さんが俺の方を向いて抱きついてきた。

 春待さん、躊躇うことなく俺に抱きついてくるよね。抱き着き癖でもあるんですか、君は。


「……昨日からこうしたかったんだ」

「……そうですか」

「ああ……なんでだろうな。昨日、すごく別れ際が寂しくて仕方なかったんだ……」

「……春待さん」


 俺と別れるのが寂しいって、そう思ってくれたんだ。明日また会えるのに。

 どうしよう、この子可愛い。今、物凄く愛おしい。

 俺も彼女の腰に腕を廻して抱きしめた。肩口に顔を埋めて、思いきり息を吸い込む。

 春待さんの温もりを感じて、春待さんの匂いを体中に充満させる。幸せすぎて、俺明日には死んでるのかも。

 そうなったらイヤだな。だから、後悔しないように生きないといけないよな。

 だからさ、春待さん。もう少し、君に近付いてもいいですか?


「……澪」

「っ!」

「澪、って……呼んでいい?」


 付き合ってるんだから、名前で呼んでもいいよね。

 てゆうか呼びたいよ。呼びます。

 あれ、春待さんの反応がない。いや、なんかブルブル震えてる。

 なんで? 怒ったの? なんで?


「……春待さん?」

「………………り、りお、くん」


 う、わ。

 今、背筋が震えた。何これ。名前を呼ばれただけなのに。なんでこんなにドキドキしてんの?

 それに、よく見ると春待さんの耳が真っ赤になってる。

 そっか、春待さんも同じなんだ。ドキドキしてるんだ。ちょっとちょっと、そんな可愛い反応みせないでよ。たまんないじゃん。


「澪……?」

「っ、り……理生、くん」


 耳元で、俺は精一杯の良い声を出した。

 低く、優しく、春待さんの弱い耳に何度も呼びかける。名前を呼ぶ度に春待さん、じゃなくて澪は体をビクビク震わせてる。逃げ出さないように腰を抱く腕に力を入れて、何度も君の名前を呼んだ。

 澪、澪。どうしたの、澪。なんでそんなに震えてるの?

 名前呼ばれるの、そんなに好き?

 ねぇ、教えてよ。今、どんな気分?


「理生、くん……耳元で、名前……呼ばないで……」

「どうして?」

「なんか、変な感じ……する、から……」

「変って?」

「っ、今日の直木君、イジワル……」

「理生、でしょ」


 なるほど。君は昨日みたいに欲情しちゃったと。そういうことですか?

 澪の顔は真っ赤で、息が上がってる。

 本当に耳が弱いんだな。今日は俺の方が止められないみたい。

 このまま、今日もサボっちゃおうかな。

 どうせもうクラスの奴らには公認なんだし。いいよね?

 俺は澪の耳に音を立ててキスをした。耳の輪郭を舌でなぞったり、耳朶を軽く噛んでみたり。

 なんか、癖になる。耳に触れた感触とか、頑張って声を抑えてる彼女とか。

 先に言っておくけど、俺を煽ったのは澪だからね。それ、忘れないでよ。


「……り、お……おね、が……」


 澪が俺の肩をギュッと掴んで言った。そんな声を出されたら余計に止まれないんだけど、仕方ない。

 耳元から顔を離すと、澪は真っ赤な顔を隠すように、俺の胸に顔を埋めた。

 恥ずかしいのか、かわいいな。

 澪の頭を撫でてやると、抱き着いたまま顔を上にあげて見上げてきた。だからね、上目遣いは止めなさいって。

 もっとスゴいことしちゃうよ。


「理生君は意地悪だな」

「そう? 澪がかわいいから、つい」

「私は可愛くなんてない……」

「可愛いよ。ちょーかわいい。最高に可愛い。世界一可愛い」

「だから可愛くないってば!」


 そういうところが可愛いんだって。わかんないかな。

 まぁいいや。君は、俺にだけ可愛く見えていればいいの。可愛い澪を知ってるのは、俺だけ。最高じゃん。なんて俺得。


「みーお」

「もういい。もう呼ばないでくれ」

「ヤダよ。澪、好きだよ」

「……知ってる」


 澪は真っ赤な顔を近付けて、キスしてくれた。

 触れるだけのキス。何度も、何度も、互いの唇を啄んでいく。

 なんでキスってこう止まれなくなるんだろうね。癖になるっていうか。

 やめられない止まらないってスナック菓子のキャッチコピーをキスに付ければいいのに。スナック菓子は飽きるけどキスは飽きないよ。

 現に、何に対しても執着がなかった澪がこんなにも夢中になってるんだ。ドンドン激しくなってきて困るくらいです。

 本当に、ちょ、待ってって。

 み、春待さん、ねぇ、待てって。舌入れないでって。止まんないから、俺、今日はキスだけで止まれる自信ないよ? いいの?



 そんなこんなで。俺は一年間の片想いに終止符を打ったわけだが、彼女があまりにも可愛すぎて困ってます。




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