case2.直木理生

第1話



 どうしてこうなった。


 何が彼女を目覚めさせた。俺か。俺のせいか。俺が悪いのか。


 いや、別にこの展開にケチをつける気はない。

 むしろ神様に感謝しないと罰が当たるかもしれない。

 でもさすがに俺の頭がパンクしそうだ。許容量オーバーしすぎて心臓が破裂するかもしれない。


 とりあえず、


「春待さん、俺の上からどいてくれないかな……?」



 ◆◇◆



 何でこんな展開になったのか。一度頭の中を整理しようと思う。

 まず、ここは屋上。今は昼休みで、そろそろチャイムが鳴る頃だと思う。

 そして、俺の名前は直木理生。この高校に通う男子高校生で、何故か俺の上に跨ってるのが同じクラスの春待澪さん。ちなみに俺の好きな人。

 そんな彼女が俺の上に跨ってきたのは、俺が彼女を好きな理由を話していたとき。

 急に俺の耳に触ってきたと思ったら、なんでか俺に触りたいとか言ってきて、んでこの状況に至った訳でして。前から突拍子もない行動をする人だとは思っていたけど、まさかこんな事態になるとは。


 俺が春待さんを初めて知ったのは、実は中学の時だ。電車の中でよく見かける女の子、それが春待さんだった。

 最初は別に特別な感情なんて抱いてなかったし、ただ電車で見かける度に「またあの子だ」くらいに思っていただけ。名前が知りたいとか思わなかったし、たまに見かけて思い出すくらいで強い印象は残らなかった。

 その後、彼女とは今通ってる高校の入学説明会で出逢ったのだ。いや、出逢ったって言い方はおかしい。これもまた見かけたんだ。その時も別に特に何の印象も抱かなかったけど、つい目が追った。

 だって、電車で見かけた子が同じ学校に通うんだぞ? そりゃあ気になるだろうよ。

 とりあえず、見た目は普通の女の子。それは前から知っていたこと。特に目立つ部分は見受けられないし、背が高いとか低いとかもなければ胸も大きくない。

 ただ、他の子よりも姿勢が良いのが目に留まった。背中が綺麗だなって、そう思ったんだ。

 そのとき俺は猛烈に同じクラスになるようにガラにもなく神頼みまでして、入学式の時の浮かれようはハンパなかった。教室に入ったらあの子がいて、やっぱり姿勢よく席に着いてんだよ。最初の席順は出席番号順だから名前もすぐわかった。

 春待澪。それがあの子の名前だった。春待、澪。珍しい苗字だな。それに、澪か。なんとなく俺と名前似てるじゃん。

 これは話しかけるキッカケになる。今日の俺の運勢、もしかして一位とかだったのか? 最高に運良いじゃん。



「春待さんって名前、澪っていうんだよね。俺、直木理生。名前、似てるよね!」


 あ、ちょっと滑ったかも。もう少し良い話の振り方があっただろう、俺。

 やっぱり俺の運勢、最下位だったんじゃないの。軽率な行動は控えた方がいいかも、みたいな感じだったんじゃないの。

 俺が貼り付けた笑顔の裏でこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになってると、春待さんが静かに首を縦に振った。


「……そうだな、似てるな」


 あれ、そんな反応しちゃうんだ。何、この子。天然なの?

 ここ、笑うかバカにするかあるじゃん。感心しちゃうんだね。何、この子本当に何?

 うわ、ヤバい。おもしろい。


「俺、戸野中だったんだけど、春待さんは?」

藤荏田フジエダ中学校……」

「藤荏田? じゃあもしかして地元近いんじゃない? 電車通学?」

「うん。会田駅から」

「やっぱり。俺、緑丘駅。二駅しか違わないじゃん」

「そうだね。近いのね」


 春待さんは俺の話にうんうんと頷いてる。この子は人の話をちゃんと真面目に聞くいい子なんだな。ちょっと好印象。

 姿勢が良いから何かしてるのって聞いてみたけど、特に何もしてないって。ただ祖父母が厳しい人だったから、そのせいかもしれないって。

 普段から身に付いているんだ、スゴイな。俺なんて親から猫背注意されてばかりなのに。


 それから俺は春待さんにしょっちゅう話しかけるようになった。

 なんか、気になったんだ。普通の女の子だけど、ちょっと世間ズレした彼女のことが。気になって気になって、あるとき、俺は気付いてしまったんだ。

 そのある時っていうのが、友達と話してるときだった。


「理生。お前、春待が好きなのか?」

「え?」


 そう言われて、なんか胸ん中にストンと落ちてきたんだ。しっくりきたっていうか、とにかく俺は何で彼女のことがこんなに気になるのか、その理由がやっと解ったんだ。

 好きなんだ。だから気になるし、いつもいつももっと近付きたくて仕方なかったんだ。

 いつも俺と彼女の間にある人一人分の距離を埋めたくて仕方なくて、だけど近付くのが何だか怖くて、触れたいのに触れるのを怖がってて。

 それは、好きだったからだったんだ。

 そうか、そうだったんだ。


「ああ。俺、春待さんが好きだよ」

「マジ? どこがいいの? あいつ、大人しいっていうか地味じゃね?」

「……内緒」


 春待さんは可愛い。

 でも、それをお前らには教えてやらない。

 だって、それ知って好きになられたら困るし、俺が知ってる可愛い可愛い春待さんをわざわざ教えてやる必要なんてない。

 確かに春待さんは地味に見える。

 でも実際はメッチャ天然で、突拍子もない行動をよく取る。それに犬が嫌いで、前から犬が来ると俺の後ろに隠れたりするし。

 なんていうか、仕草とかも可愛いんだよな。本人も自分が可愛いとか天然とか、そういう自覚は全然ない。むしろ自分が何にもない平凡な学生であると思っている。全然そんなことないのに。

 そういうところも、春待さんの可愛い所なんだよな。


 それから月日が流れて、二年になった春。


「ねぇ、直木君」


 春待さんが帰りの電車の中で俺に声を掛けてきた。何だろう。春待さん、俺に声かけてくることなんて滅多にないのに。


「え?」

「だから、君は友達も多い。私なんかより他の人と一緒にいた方が有意義だろう?」

「……えっと、え?」


 てゆうか、今さらそれ訊くんだ。一年のときから、春待さんに対して解りやすくしてたのに。

 ちょっと待って。もしかして、いや、もしかしなくても春待さん。君は気付いてないの? 俺の一年間のこの頑張りに気付いてないの?


「あの……春待さん。もしかしなくても、気付いてない?」

「どういうことだ?」

「あ、あーそっか。そうなんだーマジかー……そんな気はしてたけど……マジかぁ……ちょっとくらいは意識してくれてるかなーとか思っちゃってたけど……そっかー」


 やっぱり。

 天然だとは思ってたよ。でもさ、あんだけ一緒に居れば少しは疑うでしょう。

 この人、俺のこと好きなのかなくらい思ってもいいでしょうに。

 でも、さすがに気付くよね。もう気付くよね。

 これ、告白してるようなものだもんね。いくらなんでもそこまで鈍くはないよね? ね?


「君はマゾヒストというやつなのか」

「ゴメン、春待さん。ちょっと冷静になろう」


 はい、鈍かった。

 春待さんはみんなの予想を裏切ったりしませんでした。

 さすがですよ春待さん。


「じゃあ、嫌がらせとか? あ、ストーカーというやつか」

「そんなつもり全然ないから。マジで夜丘の言うこと真に受けないで。てゆうか、もしかして迷惑だった?」

「いや、そんなことはない」

「そう……なら良かった。とにかく、そういうマイナスなものじゃないんだって。むしろ、逆なんだけどさ」


 そうか。俺の努力は単なる迷惑行為でしかなかったのか。そうですよね、俺なんてストーカーと大差ないですよね。すみませんでした。

 でも、だったらハッキリ言った方がいいか。

 てゆうか、春待さん相手に下手な小細工したって無意味だってことくらいわかるだろうし。何してたんだ、俺。

 じゃあ、言うよ。言ってやるよ。俺は、君のことが。


「春待さんのことが、好きだからだよ」


 それだけ言って、俺は電車を降りた。

 もう心臓バクバクで立ってらんない。駅のホームにあるベンチに座り込み、大きく息を吐き出した。

 それにしても、去り際に見た春待さんの顔、どう見たって告白されたような顔してなかった気がする。キョトンとして、何言ってんだこいつくらいにしか思ってないかも。本当にそうだったらどうしよう。

 なんか、一気に体力と精神力を使い切った気がする。

 中学の時にクラスの子に告白したことあったけど、こんなに疲れたりしなかった。

 そもそも、こんなにドキドキもしなかった気がする。

 何でだろう。あのときは確かにその子が好きだったはずなのに。比べるのは失礼なことだろうけど、その子よりも春待さんの方が何倍も好きだからなのだろうか。

 まぁ、今は春待さんのことが好きなんだし、比べる必要は皆無な訳ですが。


「明日から、普通に出来るかな……」


 多分、春待さんは普通にしてくるだろう。だって本人は告白されたなんて思ってないはず。それもどうかと思うけど。

 とりあえず、春待さんの様子を見ていくしかないな。

 ったく、俺も面倒臭い子を好きになってしまったものだ。



 と、まぁ。そんなこんながあって、案の定いつも通りだった春待さんに、俺もいつも通りに接していた訳だが。彼女は唐突に俺に話しかけてきては俺を悩ませてくれる。


 どうして、俺が春待さんを好きになったのか。その理由。

 つい触れてしまった掌を見ながら、俺は必至こいて考えた。

 可愛いとか、面白い所とか天然なところとか、挙げていけば色々あるけど、春待さんじゃなくてはいけなかった決定的な理由を言葉に言い表すことが俺には出来なかった。

 じゃあ他の子でも良かったのかって言われたら、それは違う。俺は春待さんじゃなきゃ嫌だ。春待さんを好きでいたいし、春待さんに好かれたい。

 じゃあ、なんでそこまで彼女にこだわるんだろうか?

 俺は何で、こんなにも春待さんが好きなんだろう。

 今朝、春待さんの頭を撫でた掌を見ながら考えたけど、好きだからとしか言えなかった。

 それ以外にどんな理由があるというんだ。好きだから触りたいんだよ。近付きたいんだよ。健全な男子ですから、あの華奢な体を思いきり抱きしめてみたりとかしたいし、他にも色々したいよ。

 こんな理由で彼女が納得するか分からないけど、これが俺も正直な感想です。だから俺は、立ち入り禁止とか言いながら実は開け放したままの屋上に彼女を呼んだ。


 そして、こんなことになりました。

 俺の上に跨った春待さんの顔は、今までに見たことないくらい赤くなっていて、目も泣きそうなくらい潤んでる。

 これは、つまりそういうことでしょうか。都合のいい解釈をしていいんでしょうか。

 この子、今メチャクチャ興奮状態なんじゃないでしょうか!?


「は、春待さん……」

「直木君……もっと触っちゃダメ?」


 嬉しいけど嬉しくない。これ以上は俺の心臓が破裂します。物凄く美味しい展開だけど、据え膳は食らわないと男の恥なのかもしれないけど、でもダメなんだって!

 てゆうか、春待さん。座ってる場所もマズいんだ。ポジションがマズいんだ。健全な男子高生には刺激が強すぎるんだ。

 これがギャルゲーとかなら良かったんだけど、多分春待さんは好きとかそういう感情じゃなくて、単に触りたいって衝動だけで、つまりは好奇心だけで俺に触りたいって言ってるだけなんだよ。

 だから、ここでそういう展開に持っていくことはまず不可能なんだよ。そもそも付き合ってないんだし。


「えっと……さすがに苦しいから、退いてくれないかな……?」


 色んな意味で苦しいんです。俺が決死の思いで伝えると、春待さんは残念そうな顔で俺の上から退いてくれた。

 ヤバい、本当にヤバい。顔が炎上してますよ、これ。顔だけじゃない、体中が熱持ってます。

 チラッと春待さんを見ると、彼女は自分の両頬を手で押さえてボーっとしてる。何考えてるんだろう。まだ顔が真っ赤だし目は潤んだままだし、何ていうか目に毒だ。


「大丈夫? 春待さん」

「うん……ねぇ、普通に触るのは平気?」

「へ?」


 これ以上、俺をどうしようっていうの?

 春待さんってこういう子だったの?

 大人しそうな顔して、心の奥底にとんでもないモノを飼っていらしたんですね。


「手、触ったらダメ?」

「いや、その……もうすぐ昼休み終わっちゃうし」

「ちょっとだけ。その手で私に触れてほしい」

「はい!?」


 どうしてそうなる!?

 だから俺のライフはもう無いんだって。瀕死状態なんだって。いや、ある意味で元気なんだけど、これはあとで処理するとして、本当にもう限界なんですよ。俺の中の煩悩が自制心とか理性とかを食い破っちゃったらどうするんですか?

 俺、かなり危ういところを行き来してますよ。


「だって、直木君は私に触れたいって言った。私ももう少し直木君に触れたいし……だから……」


 だからって何。飲料水ですか。買ってきましょうか。確か購買に売っていましたよ。今すぐ買ってくるんで、その途中でトイレに寄ってきて来てもいいですか?

 そんなことを考えていたら、春待さんが俺の手を掴んで自分の頬を触らせた。彼女の頬は暖かくて、柔らかかった。俺の理性を、容易く壊してくれた。


「……いいの?」

「いいよ。それで、私に教えてくれないか? 君が私に求める、好きってものを……」


 本当に君は、とんでもない子だよ。

 恐ろしくて、尋常じゃなく愛おしいよ。



 本当、どうしてこうなったんだろう。



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