第3話


 翌日。いつものように電車で学校に向かうと、2駅先で直木君が同じ車両に乗ってきた。そして私を見つけると、当たり前のように私の隣にやってくる。

 うん、いつも通り。おはようと挨拶を交わすだけで、電車の中での彼は基本的に静かにしてる。それに昨日のことを気にしてるのか、少し目線が泳いでる。

 私たちが降りる駅までは約10分程度。だから私は、昨日思ったことを彼に訊いてみることにした。


「ねぇ、直木君」

「え、なに? 春待さんから話しかけてくるなんて珍しいね」


 直木君が少し驚いてる。確かに私から彼に話しかけることは滅多にない。特に朝は全くと言っていいほどない。だからってそんな驚くことじゃないだろう。


「あなたに訊いておきたいことかあったんだ」

「俺に? うん、どうしたの?」

「君は、どうして私が好きなんだ?」

「……それ、ここで言う話?」

「駄目なのか?」


 恥ずかしいのだろうか。彼は少し顔を赤くして、私から目を逸らした。でも私は聞きたいんだ。何故、君が私に惚れたのか。だって、あなたが私に惚れる理由がわからないんだ。


「……んー。それって言わないとダメ?」

「言いにくいことなのか?」

「言いにくいっていうか……恥ずかしい、かな。人目もあるし?」


 そんな大きな声で話してる訳じゃないから誰かに聞かれることもないだろうけど、恥ずかしいというなら無理に訊いたりもしない。今ここで訊かなくちゃいけない理由もないし。

 私が今度でいいと言うと、彼は安心したように笑った。そんなに恥ずかしいものなのか。私は誰かを好きになったことがないからよく解らないな。


「春待さん」


 ガタンと電車が揺れ、傾いた私を支えながら直木君が呼んだ。なんだろう、そう思って顔を少し上げると、彼の顔があと数センチくらいの距離に在った。

 何となく彼の熱が伝わってくるような気がした。

 あくまで、そんな気がしただけ。触りもしないのに体温なんて解る訳ないじゃない。でも、なんかスゴく熱い気がする。


「春待さん? 大丈夫?」

「え、うん。大丈夫」

「そう、なら良かった。あのさ、春待さん」

「なに?」

「俺、上手く言葉に出来ないから何て言っていいか判んないんだけどさ……」


 そう言って、直木君は私の頭をそっと撫でた。その手は少し震えていて、何だか触れるのを躊躇うような感じで、何だか胸の奥の方がくすぐったくなった。どうして君は、不用意に私に近付く癖に、触れることを怖がるの?

 わからない、わからないよ。直木君。私に教えてよ。君の、私への好きがなんなのか。

 教えてよ。


「直木君。私、わかんないんだ」

「……うん?」

「好きって、なんなのか……どうして君は、私のことが好きだって気付けたんだ?」


 私の問いに、直木君は少し上を仰いで考え始めた。

 直木君の答えが聞けないまま、電車は駅に着いてしまった。私たちは電車を降りて、改札を抜けて学校へと向かう。直木君は、まだ何か考えてる。私は答えが出ないような難しい質問をしてしまったのだろうか。



 駅から私たちの通う学校までは歩いて数分。直ぐに校門が見えて、行き交う生徒たちが見えてくる。

 そしていつものように教室へと向かって、自分たちの席に着く。

 いつもならカバンを置いて直ぐに直木君が私の所に来るんだけど、今日は違った。彼はまだ考えてる。席に着いて、頭を悩ませてる。上手く言葉に出来ないと言っていたから、そう説明すればいいのか悩んでいるのかもしれない。

 なんだか悪いことをしてしまった。



 ◆◇◆



 少し罪悪感を抱いたまま、時間はあっという間に流れて昼休み。私はいつも通り自分で作ったお弁当をカバンから出して真奈とお昼ご飯を食べようと席を立つと、いつも通りの笑顔を浮かべた直木君が来た。私が何か用か訊こうと口を開くと、丁度真奈も購買で買ってきたパンを持って私の所に駆け寄ってきた。


「あれ、私お邪魔かしら?」

「ゴメンね、ちょっと春待さん借りていい?」

「どうぞどうぞ。ちょっと面倒臭い娘ですけど、そんなんで良いのなら」

「そんなんでいいです。じゃあ、行こうか」


 私を差し置いて話を進められた。私、行くなんて言ってないのに。まぁ、真奈が行って来いっていうのなら断る理由もない。

 私は直木君の後ろに付いて、教室を出た。なんか背中に物凄い視線を感じた気がしなくもないが、振り返ると後悔しそうだから止めておこう。


 黙ったままの直木君に付いて行くと、行先は屋上だった。

 初めて来た屋上は意外にもキレイで、高いから当然見晴らしも良かった。ここでお昼を食べたら気持ちいいだろう。今日は天気もいいし、日向ぼっことかしたら最高だろうな。


「春待さん、こっちこっち」


 直木君に手招きされ、私たちは給水タンクの下で腰を下ろした。直木君はビニール袋に入ったパンと紙パックのジュースを取り出し、いただきますと言ってお昼を食べ始めた。私もお弁当箱の蓋を開けて食べ始める。

 一口、二口。ゆっくりとした時間が流れ、緩やかな沈黙を守るように彼は静かに言葉を紡いでいった。


「春待さん、今朝言ってたよね。どうして俺が春待さんのこと好きになったのかって」

「ああ」

「俺さ、ずっと考えてたんだ。なんでかなーって」

「考えないと解らないことなのか?」

「いや、そんなことは……ある、のかな。可愛いとかそういう誰にでも言えるような理由じゃなくて、春待さんじゃなきゃいけない理由ってなんなのか、考えてみたんだけど……」

「みたんだけど……?」

「なんか、全然わかんなかったよ」


 ヘラッとした笑みを浮かべ、彼は空を仰いだ。

 わかんないって、どういうことだろう。真奈もそんなこと言っていたけど、なんでなんだろう。理由もなしに人を好きになれるの? なんで? 全然わかんない。


「春待さん、全然わかんないって顔してるね」

「だってわからないから。理由がないなら、別に私じゃなくても良かったんじゃない?」

「確かにそうなっちゃうけど……でも、俺は春待さんだから好きになったんだよ」

「わからない」

「そうだよね。でも、なんて言うのかな……可愛い子は世の中に沢山いるけど、俺には春待さんが一番かわいく見えるし、触りたいなって思うのも春待さんだけなんだよ」

「触り、たいの?」

「うん。この距離を埋めたいなって思うよ」


 私たちの間にはもう一人座れそうなくらいの距離が空いている。つまり、今朝と同じくらいの距離を彼は求めている。好きだから、そう思うのだろうか。


「でも、人は好きでもない人を抱く人だっている。その理屈は当てはまらないと思うが」

「それ言われちゃうと困るんだけど……性欲と恋愛感情はまた別だと思うし、春待さんの言うとおり俺も感情とは別にヤろうと思えば出来ちゃうだろうけど……」


 そう言って、直木君は少しだけ私の方に寄ってきた。その顔は何でか真っ赤で、緊張していうみたい。何でだろうか。いつも教室なんかでは普通に寄ってくるのに。


「少し近づいただけでドキドキしちゃうのは、春待さんだからだよ。他の子に、こんなにドキドキしたりしないし……」

「ドキドキ、する?」

「するよ。今朝だってつい頭撫でちゃったけど、メッチャ手ぇ震えたし」

「うん。伝わった」

「マジ? うわー恥ずかしい……」


 直木君は両手で顔を隠した。でも、真っ赤になった耳までは隠せていない。

 なんでだろう。少し、触ってみたくなった。

 怒るかな。でも触れてみたいな。ちょっと、ドキドキしてる。

 ドキドキしすぎて、息が苦しくなってきた。

 呼吸が少し荒くなってきた。

 あと、何故か泣きそうになってきた。目の奥が震えるような、上手く言葉に言い表せない違和感に涙腺が刺激されてる。

 昨日の夜に感じた、変な違和感と似てる。

 私は顔を隠したままの直木君に手を伸ばして、ゆっくりとその耳に指を近付けた。

 あと少し、あとちょっと。

 手が震えてる。

 でも、触れたくて仕方ない。


 その熱を、感じてみたい。


「ぅええ!?」

「あ、ごめんなさい」


 触れた瞬間、直木君が飛び退いた。

 私は彼に触れた手をジッと見てみた。真っ赤な耳は見た目通り熱くて、何だか不思議な感触がした。

 自分の耳を触るのとは全然触れた感触が違うんだな。

 もっと触れたら、どうなるんだろう。気になる。気になって、気になって、胸が物凄くドキドキしてきた。


「は、春待さん……?」

「少し、わかった気がしなくもない、と思う……触ってみたくなる、感覚」

「へ!?」

「触れていい?」

「ちょ、ま……待って、それ以上は、ちょっと困る……」

「なんで? 触れたいって言ったのは直木君でしょう?」

「言ったけどさ、俺にもその……心の準備っていうか……まさか春待さんがそんなこと言うなんて思わなかったし、その……自制心とか色々と……」

「よく、わからない」

「とにかく、ダメなんだって!」

「ヤダ」


 なんか維持になってきた私は直木君の肩を掴んで後ろに押し倒した。

 いや、押し倒す気はなかったんだけど、つい勢い余って倒しちゃった。ゴツンと彼の頭が地面に当たってしまって、ゴメンって謝ろうと思ったけどそれは後回しにした。

 今は、この衝動をどうにかしたい。私は倒れた直木君の上に跨って、彼をジッと見下ろした。

 ごめんね、直木君。私、思い立ったらすぐに行動しないと気が済まない性格なの。


「春待さん……男の上に乗っかるのは、ちょっとマズいんじゃない?」

「そうかもしれない。でも、しょうがないの。このままにしたら私、ずっとモヤモヤしたままでイライラしてしまうから」

「そうなんだ。でもさ、この体制は俺もなんていうかモヤモヤしちゃうんだけど」

「私、重い?」

「そうじゃない。そうじゃないんだけど……」

「なら、黙ってて」


 私はそっと直木君の口に手を当てた。指先が彼の唇に触れてる。柔らかくて、暖かい。こんな感触なんだ。

 今度はその手を頬に滑らした。真っ赤な顔は耳と同じで見た目通り熱い。頬を何度も撫でたり、指先で突いてみたり、頬の肉を軽くつまんでみたり。なんだろう、なんか癖になりそう。

 頬を撫でていた手を、今度は首の方へ滑らせてみた。女にはない喉仏に、鎖骨へと伸びた骨。

 それから、ドクドクと脈打ってる頸動脈。

 触れればそこから伝わる彼の脈。

 生きてる証。

 さらに下へと手を伸ばせば、張り裂けそうなくらい波打ってる鼓動が彼の胸から私の掌に伝わってくる。


「スゴイ……」


 思わず呟いた声に、彼がビクッと震えた。

 もっと触れたいな、なんでかな。何で私、こんなにドキドキしてるんだろう。こんなにドキドキしたことない。

 私、物事に執着するようなことが全然なくて、周りからも淡白過ぎるってよく言われてて、なのに、なのになのに、今はこんなにも彼に触れたくて仕方ないの。

 この熱が、温もりが、私を翻弄するの。どうしよう、どうしよう。


「どうしよう、直木君……」

「なにが……?」


 彼の声がいつもより低くて、なんだか熱っぽい。

 その声にも触れることが出来たら良かったのに。


「私、もっとあなたに触りたい……」

「春待、さん……」

「……どうしてかな?」

「……しりません」


 ですよね。私にも、わかりません。



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