第3話




 違う。


 違うんだよ。


 俺は、お前が好きだから。


 だから……





 ◇◆◇


 あの後、俺は稜哉の顔を見ていられなくて、逃げるように自分の部屋に入った。

 壊れるんじゃないかって勢いでドアを閉めて、鍵かけて、張り裂けそうな鼓動を抑えながら、壁を背にして膝を抱えていた。

 どうしよう。稜哉を傷付けた。俺、あんなこと言うつもりなかったのに。

 稜哉のあんな顔、初めて見た。

 あんな、傷ついた顔。


「……稜哉」


 稜哉は昔から、いつも笑顔だった。

 泣くことも勿論あった。でも、基本的には笑顔で、いつも元気いっぱいで。だから俺も親も、安心してた。手の掛からない良い子だって。

 ワガママを言うこともよくあったよ。特に俺に対して。

 でも、それは全然許せるワガママだった。一緒に遊ぼうとか、小さい頃なんかは一人で寝るのが嫌だからって、俺のベッドに入ってきたり。その頃の俺らは同じ部屋で二段ベッド使ってたから、稜哉はしょっちゅう俺んとこきた。

 親が夜遅くまでいないのは当たり前だった。だから、必然と稜哉が甘えられるのは俺だけ。

 俺も弟のことを守ってやろうと、そう思ってたから稜哉のワガママは何でも聞いてやった。そのせいでアイツは兄離れが出来ないのかもしれないけど。

 俺も、そんなことばかりしてたから弟離れが出来てない。

 気付いたら本気で稜哉のこと好きになってて、稜哉と離れたくなくて、稜哉にとって良い兄でいようとして、結果がこれだ。

 ただただ、稜哉の笑った顔だけ見ていたかった。悲しませるようなことしたくなかった。

 でも、俺の稜哉に対する気持ちは家族を越えてしまった。

 稜哉は俺のこと兄として慕っててくれたのに、その気持ちを裏切るようなことして。

 もう、別の意味でこの家にいられないな。稜哉にあんな態度取って、合わせる顔もない。一応貯金もあるし、何とかなるだろう。


 その日の夜。俺は親に一人暮らしがしたいと相談した。

 親は反対しなかった。むしろ、今まで家のことや弟の世話を押し付けてゴメンねと言ってくれた。少し心が痛んだけど、これでいい。

 俺は、稜哉から離れる。

 親と相談して、俺は四月に入ってから引っ越すことにした。今は二月末。あと一ヶ月の間に住むとこを探して、色々と準備しないと。




 ◇◆◇



 あの日以来、稜哉とは顔を合わせてない。

 俺が避けてるからだ。夜遅くに家に帰って、朝も稜哉が家を出た後に部屋から出るようにしてる。休みの日は棗んちに泊まった。

 どうせ、あとひと月もすれば会わなくなる。稜哉にも俺がいない生活を知ってもらわないと。寂しい思いをさせるかもしれないけど、アイツもそこまでガキじゃないんだ。まぁ平気だろ。

 てゆうか、俺の方が気にしすぎなんだよな。稜哉だってもう中学生なんだ。兄が世話しなきゃならないほどの子供じゃないってのに、あれこれ口出したりしてさ。稜哉も内心は迷惑がってたかもしれない。

 これは、お互いにとっていい機会だ。

 俺だってずっとアイツの傍に居られる訳じゃない。稜哉だっていつまでも俺に甘えててくれる訳じゃない。


「……ん?」


 不意に携帯が震えた。

 誰からだろう。俺はポケットから携帯を取り出し、着信を確認した。

 稜哉からのメールだ。話がしたい、それだけ書かれたメール。

 本当は、あの日の夜にもメールが着てた。ワガママ言ってゴメン、話がしたいから部屋行ってもいい? って。

 でも、俺はそれに返事をしなかった。次の日も、その次の日も。

 それからメールは来なくなった。稜哉も諦めたんだろうって、そう思ってたんだけど。

 そろそろ話しようかな。家を出る前に、ちゃんと話しつけておかないと。このまま喧嘩別れっていうのも嫌だしな。

 俺は稜哉にメールを打った。今日、早めに帰るからって。

 送信して、息を深く吐いた。緊張した。今も手が震えてる。なんか、怖い。稜哉と顔を合わせて何を喋ればいいのか、わかんない。

 アイツ、怒ってるかな。もう俺のこと、嫌いになったかな。

 どうしよう、家帰りたくないかも。でも、メール送っちゃったしな。

 なんか怖い。もう本気で怖い。弟に会うのが怖い。

 でも、これで良い。良いんだ。これで、俺らはただの兄弟として接するんだ。



 ◆◇◆



 数時間後。俺は家に帰った。

 もう玄関には稜哉の靴が置いてあった。俺は深呼吸して、稜哉の部屋に向かった。

 緊張する。手の震えが止まらない。

 稜哉の部屋の前でもう一度深呼吸して、ドアをノックした。


「稜哉」

 そう声を掛けると、直ぐにドアが開いて稜哉が顔を出した。

 俺の顔を見た稜哉は何か安心したような、そういう表情だった。


「入って」

「ん……」


 俺は久し振りに稜哉の部屋に入った。といっても一週間ぶりくらいか。

 稜哉がベッドに腰を下ろしたので、俺は適当に床に座った。何から話せばいいんだろう。困っていると、稜哉が少し落ち込んだような顔で口を開いた。


「ゴメン、リク兄」

「え?」

「俺、ワガママ言ったよね。リク兄だって一人暮らししたいよね」

「……」

「それなのに俺のワガママで縛り付けて……」

「稜哉……」

「でも俺、リク兄がいなくなっちゃうの、嫌だったんだ」


 そんな風に言うなよ。

 俺、迷うじゃん。大丈夫、どこもいかないからって言いたくなっちゃうじゃんか。


「ねぇ、リク兄」

「何だよ」

「……なんで急に家を出ようと思ったの? それだけ、聞いていい?」

「……」

「お願い。それ、俺のせいだったりする?」

「……それは」

「俺がワガママだから? 俺のこと面倒になった? 本当に、俺の顔見たくないくらい嫌い?」

「違う! ……ち、違う……」


 思わず声を張り上げてしまった。

 どうしよう。なんて言えばいい。どう言えば稜哉を傷付けないで済む?


「リク兄?」

「……お、お前も俺も、引っ付きすぎ、だろ。いい加減、お前も兄離れした方がいいと思って……」

「兄離れ?」

「そうだよ。お前にだっていつか彼女くらい出来るだろ」

「彼女? え、リク兄、彼女出来たの!?」

「違う! お前にだよ!」


 なんでそうなるんだよ。お前、俺の話ちゃんと聞けよ。


「だ、だから……そういうことだから、いい加減お前も……」

「嫌だよ」

「あ?」

「俺、兄離れなんてしないよ」

「何言って……」

「絶対にイヤ。彼女なんていらない。俺、リク兄から離れたくなんてない。俺、リク兄のこと」

「……っ!」


 ダメだ。

 それ以上、稜哉に続きを言わしちゃいけない。なんでか分かんないけど、そう思った。これ以上言わせたら、何かが終わっちゃうような気がした。


 ダメだ。ダメだ、ダメだ……!


 気付いたら俺は稜哉の口を両手で塞いでた。

 なんで、こんなことしたんだろう。分かんない。でも、その続きを聞いちゃいけない。そう思った。



「ズルいよ、リク兄」


 稜哉が口を塞いでた俺の手を掴み、小さく呟いた。

 なにが、そう言おうと思った瞬間、今度は俺の口が塞がれた。

 手じゃない。もっと、生温かいもの。間近に、稜哉の顔。

 なんで、キス、されてんの。



 普通の兄弟でいようなんて、俺が思っていいことじゃなかったな。






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