第3話


 兄貴のバカ。

 芦原のバカ。


 私の、バカ。



 ◆◇◆



 小さな頃の夢を見た。

 泣いてる私を、兄貴が慰めてくれたときのこと。子供の小さな手だったけど、私には大きな手だった。

 大好きな、大好きな兄貴の手。本当に大好きだった。


「……ん」


 ふと目を覚ました私は、寝ぼけたまま周りを見渡した。ここは、どこだっけ?

 あ、そうだ。芦原の家だ。私、家を飛び出してきて、なんか流れで芦原の家に上り込んじゃうことになったんだ。

 で、その芦原はどこにいるんだろう。まだ風呂入ってるの?

 てゆうか、今は何時なの。

 手に持ったままの携帯を開いて時間を見ると、あれからもう二時間も経っていた。そんなに寝ていたんだ。再度周りを見渡すと、テレビの前にあるソファーで芦原が横になっていた。近付くと、小さな寝息が聞こえてくる。寝ちゃったんだ。

 こいつの寝顔、久しぶりに見たかも。寝顔は昔とあまり変わらないな。傍に寄って、ジッと顔を見る。

 そういえば、こいつも小さい頃から一緒なんだよね。なんで私、こいつじゃなくて兄貴のこと好きになったんだろう。一番身近な男子だったのに。こいつが優しくないからかな。いつもいつもムカつくことばかり言うし。

 そう思うとムカついてきた。お前がそんなだからいけないんだ。私にもっと優しくしろ。あんたを好きにならせろ。そしたら、兄貴への気持ち忘れられるかもしれないじゃん。


「……ん、あれ。起きたのか?」


 私は、眠たそうにしてる芦原の上に跨った。そうだよ。こいつを好きになれば、兄貴をただの兄貴と思えるはずだもん。

 そうすれば、もう兄貴を困らせることはないじゃない。私もようやく諦めることが出来るかもしれない。そしたら、全てが丸く収まる。私の悩みもなくなる。いいことだ。いいことじゃない。


「……お、おい? お前、何してんの?」

「うるさい。黙ってて」

「は? ちょ、待てって!」


 私は着ていたシャツを脱ぎ捨てた。

 兄貴と同じことをすればいい。そうすれば、そうすればきっと、嫌なことも忘れられる。忘れさせてよ。


「おい! やめろって!」

「うるさいってば! あんたは黙ってればいいの!」


 こんなの、なんてことない。誰だってやってることだもん。兄貴だって知らない女とやってたもん。だから、私にだって出来るもん。それで、兄貴もイヤな思いすればいいよ。妹が可愛がってた後輩とそういう関係になって、なんでもいいから嫌な思いすればいいんだ。

 私は芦原のシャツを無理やり脱がせて、ジャージのズボンを脱がせようとした。そしたら、芦原が私の腕を掴んで止めようとする。

 邪魔しないでよ。あんたはいつも邪魔ばかりする。止めないでよ。


「いい加減にしろ! んなことして何になるんだよ!」

「うっさい! 私も兄貴と同じことするの! それで兄貴にも同じ思いさせてやるんだ!」

「バカかお前は! そんなことして兄貴が本当に嫌な思いすると思ってんのか! 嫌な思いするのはお前だけだろうが!」

「うるさいうるさい! 邪魔すんな!」

「……っ、やめろ! 莉奈!」

「っ!?」


 名前。何で、今ここで呼ぶのよ。バカじゃないの?

 何でよ。何でなのよ。どうして、いつもいつも、私を止めてくれるのよ。バカ、バカバカ。


「バカ……なんで、止めるのよー!」

「止めない訳がないだろ……なに暴走してるんだろ……」

「あんたには関係ないでしょ」

「関係ないことないだろ。こうして襲われてんだ」

「うっさいバカ! あんたを好きになれば兄貴への気持ちが消えると思ったの! だから、だから……」

「バカはお前だ。そんなことでずっと抱えてきた気持ちを失くせるのかよ。違うだろうが」

「……でも」

「そんなことしなくても、俺のこと好きにしてみせるよ」

「は?」


 そう言うと、芦原は私のことを優しく抱きしめた。

 何してんの。てか、なんて言った?

 本気で何を言ってるの、こいつ。ずっと私の名前も呼ばなかったくせに。邪魔ばかりして、ムカつくことばっかり言って、私みたいな異常なブラコン嫌いなんじゃなかったの?

 それなのに、何なのよ。急に優しくなったりしてさ。バカなんじゃないの?

 でも、そういえば私はあんたには何でも話していたね。あんたも、なんだかんだ言いながらちゃんと私の話聞いてくれていたよね。それって、そういうこと?

 今まで、どんな気持ちで私の話聞いていたの?

 ちょっと、やめてよ。なんか私、バカみたいじゃない。

 そんな風に言われたら、変に意識するじゃん。バカみたいじゃん。


「……芦原」

「…………別に、今すぐ返事寄越せなんて言わないし、いま返事欲しくないから。どうせお前は兄貴にベタ惚れなんだし。ずっと見てきたから、そんなことくらい解ってるし」

「……なんで。なんで、私なんかを」

「さぁな、俺にもわかんねーよ」

「なに、それ」

「じゃあ、お前はなんでそんなに兄貴のこと好きなんだよ。どうして兄貴じゃなきゃダメなんだよ」

「それは……」

「周りを見れば男なんていくらでもいるのに、なんで頑なに兄貴だけしか見ようとしなかったんだよ」

「……わ、わかんない」

「それと同じ。俺にだってわかんねーよ、お前みたいなブラコンに惚れるなんてさ。でも仕方ないだろ、好きになったんだし」


 何それ。私と同じとか、生意気。芦原のくせに、芦原のくせに!


「……ねぇ、なんで私の名前呼ばなくなったの?」

「なんだよ、急に」

「いいから、答えなさいよ」

「……恥ずかしくなっただけだよ。思春期なんだよ、仕方ないだよ」

「じゃあ、なんで今呼んだの」

「うるせーな。どうでもいいだろ」

「いくない。なんで」

「……勢いだよ。意味なんかねーよ」

「何それ」

「何だよ。嫌だっていうならもう呼ばねーよ」

「……別に、嫌なんて言ってないわよ」


 イヤだと思う理由なんてないし。呼びたいなら呼ばせてあげないこともないわよ。別に、意味なんてないけど呼ばせてやらないこともないわよ。


「とりあえず、俺の上から退けよ。重いだろ」

「言われなくても退くわよ!」


 なによ、バーカ。



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