case23.文月絢

第1話





 初めての彼氏が出来ました。



 でも、どうしたらいいんでしょうか。




 恋人って、何をどうしたらいいんでしょうか?





 ◆◇◆




「先輩、こっち終わりましたよー……って、何してるんですか?」



 フロアの掃除を終えて厨房に顔を出すと、先輩が店中のボウルを並べて、なんか駒みたいにグルグル回していた。

 この人はいつも突拍子もないことをしてくるから困ったものです。



「先輩、お店の器材で遊ばないでください」

「いやぁ、ついね? ふと小さい頃に駒とか回して遊んでたなーって思ってさ」

「だからってダメですよ。ほら、早く片付けてください」

「絢ちゃんは厳しいなぁ」


 先輩は唇を尖らせ、渋々といった表情で片付け始めた。

 彼は大学の先輩で、大江直嗣おおえなおつぐさん。二年前の秋頃、バイトを探してた私にこのお店、商店街にある洋菓子屋『Melt』を紹介してくれて、一緒に働いてます。


「あーやちゃん」

「なんですか、先輩」

「あのさ、その先輩ってやめない?」

「え?」

「俺ら、付き合ってるんだからさ」


 そうなのです。私、文月絢ふみつきあやと先輩は去年のハロウィンのときから付き合っているのです。

 もう付き合って半年が経つけど、私は未だに先輩のことを名前で呼んだことがない。

 だって、今までずっと先輩って呼んでいたのに、急に名前でなんて呼べないよ。恥ずかしいもん。緊張するもん!


「で、でも……」

「でもじゃないよー。もう半年だよ? ほら、『なお』って呼んで?」


 うっ。

 先輩のその声のトーンは卑怯です。二人きりのときに、そうやって低く甘い声で囁くんだもん。そういうの反則です。ズルいです。

 ただでさえ先輩はカッコよくて、大学でもぶっちぎりの人気者。

 私、大学では色んな人に睨まれてるんですよ。怖いんだからね!


「絢ちゃんってばー」

「う、うう……」

「あーやちゃん」

「うううう……」


 先輩が後ろから私のこと抱きしめた。

 先輩は背が高いから、私みたいなチビはすっぽりと腕の中に納まっちゃう。

 お願いですから先輩、耳元で囁くのだけは止めてください。私、先輩の声に弱いんです。背中がゾワゾワってして、力が抜けちゃうんです。


「ね? ほら、なーお」

「な、な……ぉ」

「うん? 聞こえないなー」

「先輩、もう勘弁してください……」

「ヤダ。だって顔真っ赤にした絢ちゃん、最高に可愛いんだもん」


 そう言いながら、先輩が私の顎をそっと掴んで顔を上に向かせた。

 先輩の長い指が、私の唇をなぞるように触れる。

 そういうところも卑怯です。どうせ先輩は経験もあって、女の人に慣れてるのかもしれないけど、私は先輩が初めてなんですよ。

 こうして付き合うのも、キスするのだって。

 手を繋ぐだけでドキドキして、緊張して泣きそうになるんだから。


「あーや」

「っ!」


 先輩が優しく微笑んで、キスをした。

 どこまでズルいんですか。私、もう足震えちゃって立ってられません。先輩に腰を支えてもらってるから今はどうにか立ってますけど、その腕を離されたら地面に座り込んじゃいますよ。

 多分、先輩も気付いてるとは思いますけど。


「絢ちゃん、顔真っ赤」

「先輩のせいです」

「じゃあ、責任とらないとね」


 先輩が私のことを抱き上げ、シンクの上に寝かせた。

 あとでちゃんと消毒しておかないと怒られちゃうな。



 そう思いながら、私は先輩に身を委ねるの。

 ブラウスのボタンが一つ一つ外されていく感覚に、身体が尋常じゃないくらいに震える。

 大きくて、温かい先輩の手。

 その手に触れられたら、私は何も言えなくなる。


 その声に、その目に、その手に、


 私は翻弄されるの。




 本当に、困った人です。





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