第2話
有り得ない。
そんなことは、有り得ちゃいけないんだ。
◇◆◇
翌日。俺はまだ寝ている一臣を起こさないようにベッドから出て、着替えを済まして部屋から出た。貰っていた合鍵で施錠して、駅へと向かった。
この時間ならそろそろ始発が動くだろう。家に帰ってからシャワーを浴びて、京香にメールを返そう。昨日の夜に明日会わないかって連絡が来ていた。午後からなら時間が空いていると返事しただけで詳しい時間なんかは決めていない。
とりあえず、気持ちを落ち着かせたい。電車に乗って自宅へ帰ると、俺は荷物をソファーの上に放り投げて真っ直ぐ浴室へと入って頭から熱いシャワーを浴びた。
何となく、昨日までのことがリセットされるような気がする。実際、そんなことはないんだけれど。
軽くシャワーを浴びて、俺はさっさと浴室を出て着替えを済ました。ソファーに置いたコートから携帯を取り出し、京香からのメールに返事を打つ。
会社に寄っていかなくちゃいけないから、14時過ぎからなら会えると。
それから数分にして彼女から返信が来た。もう起きていたのか。弟の具合は大丈夫なのだろうか? そのことを訊くと、もう熱は下がったから大丈夫だと答えてくれた。
彼女の弟、棗(なつめ)は付き合った当初から俺のことを敵視していた。俺のことだけでなく、姉に近付く男は皆、彼にとって敵だった。姉のことを大事に思っているのだろう。きっと、俺とカズのことを知ったら相当怒るんだろうな。どんな理由があろうと、俺は彼女を裏切っていることに変わりない。
そう、分かっているのに。俺の中で、カズの存在が大きい。長い付き合いだからなのだろうか、俺はアイツを拒めない。
「……なんでなんだ」
問うたところで誰かが答えてくれるわけじゃない。誰もいない部屋で返事があったらホラーだ。
俺はソファーで寝転がり、目を閉じた。
俺は、どうしたいんだろう。何がしたいんだろう。なんか、分かんなくなってきた。ガキの頃はもっと色んなことが簡単だったのに。なんで、簡単なことも難しく思えてしまうんだろう。
それから数時間後。会社での用事を終わらせた俺は京香と待ち合わせた場所へと向かった。予定の時間から十分早く着いたが、彼女はもうそこに居た。
「京香。もう来てたのか」
「私も少し前に着いたんだよ。仕事、お疲れさま」
「ああ」
俺らは並んで歩き、近所のショッピングモールを歩いた。特にどこか店に入る訳でもなく、ただ話しながら歩く。
いつも通り、いつも通り。
弟や友達、勤務先で何があったか楽しそうに話す京香。それを聞く俺。昔から、学生のときから変わらない俺らのペース。そう、何も変わってない。俺は、彼女が好きだし、京香も俺のことを好いてくれている。
これからもずっと、変わらない。変わっちゃいけない。
カズとだって、これからも変わらず友人だ。
あんなこと、していなければ。そう、あんな関係にさえなければ俺らは何も変わらなかったはずなのに。どうしてカズはあんなこと提案したんだろう。何がしたかったんだ? 男同士であんな関係を持とうとするなんて変じゃないか。
それなのに、アイツは俺に優しく触れる。ただの、感情の掃き溜め。都合の良い相手として扱えばいいものを、あんな彼女にするような、そんな仕草で。
訳が分からない。カズのこと、何も分からない。それが、何となく悲しい。昔はアイツのこと何でも分かったのに。感情が態度や顔にすぐ出るから、アイツが何を考えてるか手に取るように分かった。
だけど、いつからかアイツは俺に自分の感情を隠すようになった。いつも貼り付けたような笑顔でいるようになった。
でも、情事の最中だけは違う。いつも切なげで、泣きそうで、時折子供みたいな顔をする。それが、俺の胸を鷲掴みするんだ。俺まで泣きそうになって、アイツを思いきり抱きしめてやりたくなる。泣くなって、子供のときみたいに頭を撫でてやりたくなる。
なんで、なんでなんだ?
「……た、瑛太!」
「え?」
「もう、どうしたの? 最近、ずっと上の空じゃない?」
「そうか?」
「そうだよ。ずっと心ここにあらずって感じじゃない?」
心?
そんな訳、ない。俺の心は、彼女のことを思ってる。
……本当に? ふと、冷静な声が俺の頭に響いた気がした。俺は本当に彼女のことを考えていたか?今も、俺は。
ダメだ。ダメだ、ダメだダメだ。
ダメだ。
これ以上は……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「え……今、なんて?」
驚くカズの顔。そんな顔、久しぶりに見たな。でも、もう二度と見ることはない。俺は決めたんだ。だから彼女と別れた後、すぐにカズの家に向かった。そして、告げたんだ。
「もう、お前とは会わない」
もっと早く、こうすれば良かった。何も迷うことはなく。
「なんだよ、急に……」
「……初めから間違っていたんだ。こんなこと……」
俺にもお前にも彼女がいる。それなのに、友人であるお前とこんなことするのは間違っている。そんなこと、最初から分かっていたことだ。
もう会わない。こんな関係も終わりだ。
もう、何もかも終わりなんだよ。
「……瑛、太?」
「…………え」
ポタリと、何かが頬に触れた。それが涙だと気付いたのは、カズの掠れるような声で名前を呼ばれてから。
俺は弾かれるように部屋を出ていった。後ろからカズの声が聞こえたけど俺は振り返らなかった。
ダメだ。これ以上は。
好きになったら、ダメだ。
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