第3話
結局、先に惚れた方が負けなんだ。
◆◇◆
俺は家に帰りながら、その道中で何て切り出そうか考えた。帰れと言って大人しく帰るとも思えないし、先輩に会ったなんて言ったら怒られそうだし。
「はぁ……気が重い……」
なんで兄妹のいざこざに巻き込まれないといかないんだ。なんて、俺は自分から首ツッコんで入ったようなものか。
よくよく思えば、俺も莉奈のこととやかく言えた義理はないんだよな。あいつと同じように昔っから俺は莉奈のことが好きだったんだし。
恋は盲目っていうけど、本当だよな。一度惚れてしまったら他の奴なんて目に入らない。俺も莉奈も同じだ。それに、理生先輩もそんな感じだったしな。
俺は部屋のドアの前に立ち、数回深呼吸した。
よし。気を引き締めていこう。
ドアを開けると、リビングの方から笑い声が聞こえた。あいつ、人の家でのんびりソファーに座ってテレビなんて見やがって。くつろいでんじゃねーぞ、このバカ。こっちは少し緊張してるっていうのに。
てゆうかお前、俺の告白をどう受け止めてんだよ。応える気ないからって受け流してたりしないよな。
俺はリビングに入り、あいつの元に駆け寄ってテレビの電源を消した。
「あ、ちょっと! 何するのよ!」
「うるせーな。家出娘が人様の家で好き勝手してんじゃねーぞ」
「はぁ!? 何よ急に。ムカつくんですけど!」
「うっせ、それより話があるんだよ」
「はぁ?」
俺はカバンを置いて、莉奈の隣に座った。
そんなに大きくないソファーで二人が座ると、肩がくっ付くくらいの距離になる。だから莉奈はあからさまに嫌な顔をしてみせた。
「今日、理生先輩と会ってきたんだけど」
「ええ!? なに私に内緒で兄貴と会ってんのよ!」
「先輩に呼ばれたんだよ! それと、先輩はお前が俺んちにいるの気付いてるぞ」
「嘘!?」
「マジ。で、家に帰って来いってさ。話があるからって」
「……話?」
そう言うと、莉奈は真面目な顔をした。さすがに兄貴のこととなると真剣になるよな。そういうところ、ちょっと、いやかなりムカつく。俺の話もマジになって聞けよ。
とりあえず、俺の嫉妬は置いといて。まずはこいつを家に帰すことが最優先だ。理生先輩も心配してるし、ちゃんと兄妹で話し合わないといけないだろう。
「あのさ、理生先輩と話し合ってこいよ」
「……ヤダ」
「ヤダじゃねーよ。お前だっていつまでも俺んちにいる訳にはいかねーだろ」
「……なんでよ、別にいいじゃん」
「よくねーよ。てゆうかお前、わかってんのかよ」
「は?」
しょうがない。こうなったら強硬手段だ。このままじゃあ、いつまで経っても事態は変わりそうもない。
それに、俺自身いつまでも我慢できるとは限らない。そんなの当たり前だろ、俺は思春期の男子中学生なんだ。目の前に惚れた女がいれば、当然下心も出てくるさ。
大体、俺はお前に惚れてることを伝えてあるんだぞ。それなのに、そんな無防備にするとかバカじゃねーの? この状況がどれだけ危険か分かってんの? 俺、お前のこと簡単に襲えるんだぞ。
お前がどんなに俺のこと男として意識していなくても、俺は。
「俺、男なんだぞ」
俺は、莉奈の肩を掴んで後ろに押し倒した。抵抗できないように腕を掴んで、逃がさないようにする。
急なことで莉奈は目を大きく見開いて言葉を失くしてるみたいだ。強引なことは出来ればしたくなかったけど、これくらい脅しておけばお前も意識せずにはいられないだろ。
嫌われるのも覚悟の上だ。この際、長年の片想いに決着をつけようじゃないか。お互いにな。
「……ちょ、退いてよ!」
「断る。俺、お前に言ったよな? 俺はお前に惚れてるんだって」
「だ、だから何!?」
「そのお前が目の前で無防備にしてれば、こっちだって理性が持たないんだよ。わかる?」
「わかる訳ないじゃない! 知らないわよ、あんたの都合なんて! いいから退きなさいよ! 無理やり襲おうとするなんて最低よ!?」
「お前に言われたくないな。昨日、お前も先輩のあてつけに俺のこと襲おうとしてたじゃん」
「そ、それは……」
別に本気で襲う気なんてないさ、ちょっとビビらせたいだけだっての。まぁ、大分ギリギリのところで理性保ってるんだけどな。
だってこいつ、シャツに短パンとか隙だらけなんだよ。押し倒した時に捲れたのか、腹が見えてるしさ。意外に胸もデカいしさ。俺がどれだけ我慢してきたか、お前は全然知らないだろ。
だから、早く観念して家に帰れ。
「……襲えば?」
「は?」
「いいよ。ヤればいいじゃん」
「お前さ、自分が何言ってるか分かってんの?」
「バカにしないでよ」
莉奈は押さえつけられた状態で顔を前に出して、掠めるようなキスをした。
瞬間、ただ触れただけのキス。当然、初めてのキス。こいつだって、初めてだろう。何してんだよ、兄のことが好きなくせに。お前は何でそんなに俺を困らせてくれちゃうわけなの。俺をどうしたいんだよ。
「なに驚いてるのよ。私だってキスくらい出来るわよ」
「……そこじゃねーだろ……お前、マジで何してんの? 理生先輩のことが好きなくせしてさ」
「諦めろって言ったのはあんたでしょ」
「だからって俺にキスするのはおかしいだろ」
「襲おうとしてる奴が何言ってんのよ」
「お前、俺は本気でそんなことしようとしてるって思ってんのか?」
「……全然」
「だったら、何で」
「…………それでもいいと思ったから。兄貴には会いたくないし、あんたには世話になってる訳だし……」
「だから、襲われてもいいと?」
「……」
莉奈は黙って頷いた。何それ。お前、俺のことバカにしてんのかよ。
俺は莉奈の上から退いて、床に座り込んだ。バカらしい、とにかくバカらしい。何だよ、これ。そんな理由で惚れた女を襲えるわけないだろ。冗談じゃない。自棄になるのはなるのはお前の勝手だけど、それに俺の純情を利用するな。思春期はナイーブなんだぞ。丁重に扱え。
「……怒ったの?」
「当たり前だ。お前、俺のことバカにし過ぎ」
「……ゴメン」
珍しく素直だな。でも、そんなんじゃ許さないからな。俺はお前が本気で兄を好きなように、俺だってお前のこと本気で好きなんだ。その気持ちを、誰よりもお前が弄ぶなよ。知らないならともかく、知ってんだからさ。
俺が黙ったままでいると、後ろから鼻をすする音が聞こえてきた。何、もしかして泣いてんの?
泣きたいのは俺の方だっての。悪いけど、今の俺はお前のこと慰めてやれないぞ。俺、今のお前に優しくしてやれないから。だから、兄貴の元に帰れ。で、兄貴に慰めてもらえ。家まで送ってやるから。
「……芦原」
「なんだよ」
「私、帰るよ。ちゃんと兄貴と話してくる」
「……ああ」
「それで、ちゃんと気持ちの整理がついたら芦原のことも考えるから」
「……ああ」
「だから、それまでは友達でいてよ」
「…………ああ」
お前……俺のこと、ちゃんと友達だって思ってたのか。
泣き止んだ莉奈を、俺は家まで送っていった。先輩はかなり心配してたみたいで、莉奈の顔を見るなり安堵した表情を浮かべていた。それから俺に一言礼を言って二人は家の中に入っていった。
その帰り道、俺はコンビに寄って適当に時間を潰してから家に帰った。何となく、そのまま家に帰る気分じゃなかったんだ。
これで、とりあえずは一件落着なのだろうか。まぁ、それは二人の話し合いの結果だな。
◆◇◆
「おはよ」
「……おう」
翌朝。莉奈は俺んちの前で待っていた。昨日のことを俺に報告しに来たみたいだ。まぁ、確かに学校でする話でもないだろうしな。
で、その結果だが。先輩が莉奈の気持ちに気付いていたことや、彼女の話なんかもしたらしい。
それで莉奈もずっと抱え込んでいた兄への思いを打ち明けたそうだ。それを先輩はしっかり受け止めて、きちんと断った。彼女のことが本気で好きだと、莉奈のことを妹以上には思えないと、真剣に答えてくれたらしい。
莉奈も好きだって気持ちが無くなった訳ではないが、一応の踏ん切りはついたみたいだ。
多分、こいつはキッカケを欲しがっていたんじゃないだろうか。兄貴への思いを諦めるキッカケを。
でも、今まではそれがなかった。もしくは、そのキッカケから目を背けていた。それが今回のことでちゃんと向き合えるようになったんだろうな。
「……今度、兄貴が彼女に会わせてくれるって」
「そうか」
「でさ、そんときに芦原にも来てほしいんだけど」
「そうか……って、何でだよ」
「だって、いきなり兄貴の彼女に会うとか緊張するし……兄貴も芦原のこと呼んでもいいって言ってくれたし」
「どうしてそうなるんだよ。ちゃんと三人で話してこいよ。俺、無関係じゃん」
「無関係じゃないよ。あんた、私の彼氏候補だもん」
「は?」
候補ってなんだよ。お前、なんでそんなに偉そうなんですか?
俺、今回のことでお前に感謝されてもいいくらいだと思ってるんですけど。お前ら兄弟の仲を取り持ったの、俺だと言っても過言じゃなくね?
「違うの?
「違うのって何だよ」
「だって、これからは私、あんたのことちゃんと考える訳だし……もしかしたら、そうなるかもしれないじゃない。まぁ、あくまで可能性の話だけど」
「……もう好きにしろ」
これ以上は付き合いきれない。だから好きにしてくれ。好きになるも嫌いになるも、お前の自由だ。だから俺は、これまで通り待たせてもらうよ。お前の答えが出るまでな。
「芦原、これからはちゃんと私の名前呼んでよ」
「なんで」
「あんたとかお前とかだとイヤだから」
「意味わかんねーし」
「いいから、これからは私も透哉って呼んであげる」
「あのさ、なんでお前はそう上から目線な訳?」
なんか無駄に楽しそうなお前が少しだけ腹立たしいよ。
でも、もういい。どうにでもしてくれ。
恋愛は、先に惚れた方が負けなんだ。
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