第3話
誰にだって限界ってものがあるんだよ。
此処まで我慢できたこと、むしろ褒めてほしいくらいだね。
いや、マジで。
◇◆◇
「は?」
『だから、今日なつ君の部屋に泊まってもいいか訊いてるのよ』
なんだ急に。
姉さんとうちで鍋やった日から二日後の昼。急に掛かってきた姉からの電話を受け取ると、そんなことを言われた訳ですが。
いや、これまでにも姉さんが俺んちに泊まったことは何度かあったよ。この間みたいに酔っぱらってそのままみたいなこととか、勤務先に近いから夜勤が続いた日とか泊まっていったよ。
でも、今回はそうじゃない。特に理由もなく泊まりたいと言ってきやがった。何故ですかね。
「どうしたんだよ、急に」
『何よ。理由がなかったら行っちゃいけないの?』
「そうじゃないけど……姉さんがそんなこと言うの珍しいからさ」
『……たまには、いいじゃない? ダメ?』
なんだよ、その言い方。ズルいぞ。
「いいよ。じゃあ駅まで迎えに行くから」
『わかった。仕事終わったら連絡するね』
そう言って姉さんは電話を切った。
そういえば、こんなこと小さい頃にもあったな。親の帰りが遅いとき、姉さんが枕持って俺の部屋に来て一緒に寝ようって言ってきて。
多分、今回も似たようなことだろう。彼氏と別れて寂しいから、誰でもいいから一緒にいたいんだ。そこで都合の良い相手である俺に連絡してきたって訳だ。さすがに、そんな簡単に吹っ切れる訳ないよな。長年付き合ってきた相手と別れたんだ。
昨日、親から姉さんが彼氏と別れたことについて、どういうことだって電話してきた。親からすれば結婚するだろうと思っていた相手を別れたんだ。何があったんだって思うのも無理はない。きっと姉さんにも色々聞いたはず。それも原因の一つだな。そんなんばっかで精神的に参ってるんだ。
にしても、追川さんも礼儀正しいと言うかなんというか。親から聞いた話だと、姉さんと別れたことへの謝罪を手紙にして送ったとか。しかも、手紙とは別に電話までしたらしい。本当、無駄に良い人だよな。
本当に、ムカつく相手だよ。
◇◆◇
それから数時間後。俺は姉さんを迎えに駅まで向かった。多分、もう待ってるはずだ。いつも姉さんは待ち合わせすると先に来てる。
駅前で姉さんを探すと、その後ろ姿を見つけた。そして、もう一人。
あれは、今回の元凶じゃねーか。
「姉さん!」
俺は二人に駆け寄り、そいつから姉さんを離した。今更何の用だ。アンタが良い人だってことは分かってる。きっとこうなる過程で思いきり悩んだんだろうなってことも察しがつく。でも、俺は許せないんだよ。どんなに謝ったって俺は許さない。アンタは姉さんを泣かせたんだよ、追川さん。
「棗か。久しぶりだな」
「何の用ですか、追川さん」
相変わらずの無表情で追川さんに、俺は思いっきり睨み付けた。自慢にはならないけど、この顔を見た子供は思い切り泣いたんだぞ。
「彼女とは偶然ここで会ったんだ」
「そうですか」
「やっぱり君は怒っている様だな」
「当たり前じゃないですか!」
「君はきっと俺を殴りたいと思うだろうと予想は出来ていた。覚悟は出来ている」
そう言って追川さんは目を閉じた。バカなのか、この人は。
確かに殴ってやりたいよ。でも、そんな風に潔くされるとこっちの戦意が削がれるんだよな。本当にムカつくよ、アンタは。そういうとこ、憎めないんだよ。バカ正直な人め。
「……いいよ、別に。その代り、もう姉さんの前に現れないでください」
「そうか、ありがとう。それじゃあ、俺はこれで失礼する。京香、じゃあな」
「……うん、バイバイ」
追川さんは俺らに頭を下げて、駅へと入っていった。
何なんだよ、あの人。親も言ってたけど、変わった人だな。
俺が溜め息を吐くと、姉さんがクスクスと笑いだした。
「なんだよ」
「ううん。さすがのなつ君も瑛太には適わないみたいね」
「はぁ?」
「だって、本当は殴ろうとしていたんでしょう?」
「……あんな無防備にされたら殴れねーよ」
「良かったよ、本当に殴ったりしなくて」
「なんでだよ。むしろ姉さんは追川さんのこと怒ってないのか?」
「怒らないわよ。だって、瑛太はちゃんと私と向かい合ってくれたもの。悲しいけど、怒ったりしないわ」
訳わかんない。俺だったら許せないけどな。
そんなこと思ってると、姉さんが俺の頭を撫でてきた。なんか、嬉しそうな顔で。
「ありがとう、なつ君。なつ君がお姉ちゃんの代わりに怒ってくれて」
「……ガキ扱いすんなよ」
「ガキ扱いなんてしてないよ。なつ君も、もう立派な大人だもんね……いつか、こんな風にで出来なくなっちゃうんだろうね」
「んなことねーよ……俺は、ずっと姉さんといるよ」
「ふふ、ありがとう」
ああ、もう。ホントに訳わかんない。なんでそうやって強がっちゃう訳? 泣けばいいじゃん。怒ればいいじゃん。酒に頼ったりしないでさ、もっと俺に弱音吐けよ馬鹿。
そんな姉さん、見てらんないよ。
「……っ!?」
俺は、溜らず姉さんを抱きしめた。強く、強く。
俺、そんなに我慢強くないんだよ。
頼むからさ、俺には甘えてよ。
もっと、もっと。
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