第3話




 違う。


 そんなんじゃない。


 絶対に、有り得ない。


 そう思いたかった。



 ◇◆◇




 小早川に告白されてから数日。アイツへの返事は卒業するまで保留、という形にはなった。

 ったく、なんでガキ相手に私がここまで悩まされなきゃいけないんだ。私は職員室のベランダで煙草を吸いながらグラウンドを眺めた。

 吐き出した煙が天に上り、消えていく。栄養栄養。煙草吸ってるときが一番いいわ。

 そういえば、最後に彼氏がいたのっていつだっけ。二十歳、いや21くらいのときだったか。煙草ばっか吸ってる私に文句ばかり言ってきたんだっけ。それで冷めて、別れたんだ。

 もう男なんて面倒だから作る気もないし、結婚だってどうでもいい。他人の為に自分の生活を犠牲にしたくない。うちは親が何度も離婚してるから、正直良いイメージないんだよな。

 素の自分を知られて嫌われるくらいなら、最初から付き合ったりしない方がいい。

 それに、アイツはまだガキだ。こんな大人の汚い恋愛になんか興味ないだろうし知りたくもないだろう。まだ、知る必要ないんだ。学生は学生らしく、キャッキャウフフな恋愛してればいいんだ。


「……ん?」


 下の階の窓から見えるの、多分あれ小早川だよな。なんか女子と仲良く話してやがる。聞いた話だと、アイツはモテるらしいな。まぁ見た目は悪くないし、身長も高い。人気があってもおかしくはない。

 じゃあ、なんで私なんかに惚れたんだ?

 それだけ女の子に囲まれておいて、なんで私なんだよ。他に可愛い子沢山いるじゃないか。告白だってされてんだろ。わざわざオバサンなんかに走らなくてもよかったじゃねーか。

 ほら、隣にいる子なんかメッチャお前に気があるだろ。態度があからさまじゃねーか。ベッタベタしやがって。つか、お前もちょっとは嫌がるとかなんかしろよ。じゃないと勘違いされるぞ。それとも勘違いされていいのか。嬉しいのか、そうなのか。あんまよく見えないけど、可愛い感じの子だもんな。

 じゃあその子と付き合えよ。それでいいだろ。

 なんだよ、私のこと好きとか言っておいて。


「……って、なんだよ」


 なにガキ相手に嫉妬してんの。どうでもいいだろ、関係ないだろ。なにイライラしてんだよ。ワケわかんねーし。これじゃあ、私もその辺のガキと変わんないじゃん。みっともない、馬鹿みたい。

 私は煙草の火を消して、職員室を出て保健室に戻った。




 ◆◇◆



 放課後になり、私はいつも通りに戸締りを済まして帰る準備をした。

 あれから、何度か小早川の姿を見かけた。その度にイライラして、彼を避けまくってしまった。これじゃあ、明かな嫉妬だ。なにしてんの、馬鹿なの? アホなの? 死ぬの?

 まぁいい。明日は学校も休みだし、ゆっくり頭を冷やそう。告白されたんで気が動転してるんだ。


「さて、と」


 戸締りは済んだ。あとはドアの鍵を閉めればいい。外はもう暗い。今日は帰りに温かいものでも食べていこうかな。


「先生」

「っ!?」


 突然声を掛けられ、私は肩をビクッと震わせて後ろを向いた。そこには、真剣な目をした小早川が立っていた。


「な、なんだ。まだ残ってたのか?」

「先生、なんで今日俺のこと避けてたの?」


 気付いてたのか。

 小早川はゆっくり私の方に近付いてくる。何故か私は、彼が一歩近づく度に足が退いていってる。

 なんで、逃げてるんだ。そんなことする必要ないだろ。


「なんで逃げるの」

「逃げてねーよ……」

「ドンドン退いてるじゃん」


 うるせーよ。足が勝手に動くんだよ。

 それに、さっきから心臓が変に脈打ってる。ヤバい、病気かもしれない。


「ねぇ、先生。俺なにかした?」

「そんなんじゃねーよ。もう下校時間だ、早く帰れ」

「じゃあ何で俺のこと避けてたのか教えてください」


 腰に机がぶつかって、もう退けない。どうしよう。もう、小早川が目の前に来ちまった。

 小早川は私を挟むようにデスクに手を付いて、腕の中から逃げられないようにしやがった。何しやがるんだよ、ガキのくせに生意気なんだよ。


「退けよ……」

「嫌です」

「いいから、退けって!」

「先生、俺から逃げないでください!」

「っ!」

「……先生、なんで急に俺のこと避けるんですか。告白したこと、そんなに迷惑だった?」


 別に、そんなんじゃない。迷惑とは思ってない。

 嬉しかったさ。嬉しかったけど、ダメなもんはダメなんだよ。分かれよ、それくらい!


「……なんで、私なんだよ」

「え?」

「なんで私なんか好きなんだよ」

「……それは」

「他にも可愛い子いるだろ! お前モテるんだし、今日だって女子に囲まれて楽しそうにしてたじゃねーか!」


 なにこれ。みっともない。最低。ガキに、生徒相手にこんな風に感情ぶつけるなんて、最悪だ。

 なんか、泣きそう。


「……先生、ヤキモチ?」

「はぁ!?」

「顔、赤いよ? そっか、少しは俺のこと意識してくれた?」

「そんな訳ないだろ! 大人をからかうな!」

「からかってません。俺はいつでも本気です。でも、先生のそういう子供っぽいところ、好きです」


 何言ってやがる。大人に向かって子供っぽいとか、子供に言われたくねーよ。


「俺、先生のそういう飾らないところも凄く好きです。煙草吸ってるときの気の抜けた顔も可愛くて好きです。他の生徒とこっそり漫画の貸し借りしてるときの子供みたいな笑顔もメチャクチャ好き。その意思を突き通すような声も、豪快な性格も、全部好き」

「な、はっ……!?」

「もっと、色んな先生と見たいです。いや、先生としてではなく、素の貴女が知りたい。俺は、由佳先生じゃなくて、壱村由佳さんのことを、もっと知りたいんです」


 若いって怖い。

 こんな恥ずかしい台詞をペラペラ言いやがって。おかげで私の心臓は破裂寸前だ。泣きそうだし、足が震えてもう立ってられない。

 どうしてくれる。ガキ相手にこんな腑抜けな姿にさせられて、私はどうしたらいいんだ。


「先生、大丈夫ですか?」

「……」

「……おっと」


 足が竦んで倒れそうになった私の体を、小早川が支えてくれた。

 成長期め。もう体は立派な大人なのか。運動部にいたせいか胸板はガッシリしてるし、片腕で私のこと支えられちゃってる。

 これじゃあ、どっちが大人か分からないじゃねーか。


「先生、思ったより小さいね」

「……うっせーよ」

「ねぇ、下校時間過ぎましたよね」

「……それが?」

「ってことは、もう先生終わりですよね」

「だから何だよ」

「じゃあ、素の貴女に訊きます」


 そう言って、小早川が私のことをデスクの上に押し倒した。

 バサバサと、書類や何やらが落ちていった。腕を掴まれてるせいで、ちょっと痛い。それ以上に、早鐘する心臓が痛いけど。


「な、に……」

「俺のこと、どう思ってます?」

「は、離せ……」

「確かに今は子供です。でも、すぐに大人になります。それまで、待っててくれませんか?」

「……な、何言って……」

「……先生、その目は卑怯ですよ」


 どんな目だよ。

 そう言おうとした。でも、出来なかった。




 口を、塞がれたから。





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