第13話 『トモダチ』

 テーブルの料理たちは30分もしないうちに空っぽになった。

 食器洗いも率先してやろうとしてくれた彼女だったが、これくらいは仕事をさせてくれと僕が役割を負った。


 洗い物を終えたあと、インスタントのホットコーヒーを入れてリビングに持って行く。

 彼女はソファに腰掛け身体を左右に揺らしていた。


「おっかえりー! 洗い物ありがとーっ」

「このくらい、どうってことない」


 彼女の視線が、ほかほかと湯気を立てる二つのマグカップを捉える。


「おっ、それはもしかして食後のコーヒーというヤツですか?」

「インスタントだけど」

「わっ嬉しい。ありがとっ」

「砂糖とミルクは?」

「大盛りで!」

「ラーメン屋じゃないんだから」


 味変しがちな彼女のことだからと、予め持ってきておいた砂糖とミルクを何個か手渡す。

 彼女は上機嫌に鼻歌を歌いながら糖分と脂質を投入した。


 一足先に、僕はマグカップを口につける。


「そのままいけるんだ」


 インスタント特有の薄い酸味を堪能していると、彼女が関心するように言った。


「素材の味を楽しみたい派だから」

「うへぇ、私、ブラックは無理」

「これが年の差か」

「そんな違わないじゃん」


 対抗するかのように彼女もコーヒーをぐびりと一口。


「ん! 美味しい!」

「ほとんど砂糖とミルクの味でしょ」

「あは、バレた?」


 こつんと、彼女は自身の頭を軽く小突く。


 その時、僕の視線はある一点に注がれた。


 彼女の右手首の外側。

 汚れを知らない綺麗な肌が一部、赤らんでいた。

 1円玉ほどもない小さな範囲だったが、彼女の肌の白さ故にその赤はよく目立っていた。


 その正体に、僕は気づいた。


「どうしたの、それ」


 気づいた上で、僕は尋ねた。

 1%くらいの確率で予想が外れている可能性もあるから、念のため。


「あっ、これ?」


 赤らんだ手首に目を向ける彼女は、悪戯を誤魔化す子供のように笑った。

 彼女は僕の想像通りの経緯をあっけらかんな口調で言葉にした。


「いやー、唐揚げしてる時に油跳ねちゃってねー。よくあるよくあるっ」


 彼女が調理をしている際、キッチンの方から聞こえてきた短い悲鳴。


 もしかすると跡が残ってしまうかもとか、これで放置するのは人として如何なものかとか、そんな考えが頭に浮かんだ。


 少し逡巡して、立ち上がる。

 

「ちょっと待ってて」

「へっ?」


 彼女にしては珍しく、素で驚いたようだ。

 その間に僕は、戸棚から諸々の応急処置グッズを発掘してくる。


「これ、使って」


 きょとんとする彼女に差し出した僕の手には軟膏とガーゼ、そして包帯。


「えっ、そんな大げさな。大丈夫だよ? すぐ水で流したし」

「初期治療も大事だけど、後の処置も大事。これをするとしないとじゃ全然違う」

「でも」

「だいぶ時間経ったけど、今からでもした方が良い」


 僕の真面目な声色に、彼女は人差し指を顎に当てて頭を左右に揺らした。

 

「んー、わかった。じゃあ……」


 少し躊躇気味だったけど、納得してくれた。

 諸々を受けった彼女は早速、軟膏をガーゼに塗り始める。


 対面に座り直した僕はなんとなしに尋ねた。


「自分の傷は治せないの?」


 それは彼女の治癒能力についての、興味本位からくる質問。

 

「ぴんぽーん。自分には、治癒は効かないんだー」

「なるほど」

「地味ーに不便だよねぇー」


 僕は否定も肯定もしなかった。

 代わりに僕が風邪を引いた時のことを思い起こしていた。

 あの時彼女は「全快はしない」と言った。

 つまり、彼女の持つ力には、ある程度の制限が設けられているのだろう。

 魔法も万能じゃないってことか。


 一人で勝手に納得してコーヒーをすする。

 さっきよりも味が薄くなっているような気がした。


「それ以上、聞いてこないんだね」


 患部にガーゼを貼った彼女が、ぽつりと漏らす。


「なにを」

「私の力のこと」


 彼女にしては珍しい、静かな声。

 その声にどんな感情が含まれているのかはわからないが、不思議がっているようにも、不審がっているようにも感じた。


 僕は少しだけ考えた。

 

 彼女の力に対する好奇心や疑問といったものは、僕の中に存在している。

 映画やアニメの中でしか存在を許されないと思っていた、超常的な力。

 人並みに好奇心を持つ僕が、興味を惹かないわけがない。


 にも関わらず、それに関し彼女に深掘りしなかった理由は、恐らくこうだ。


「聞くべきじゃないと思ってるから」

「どうして?」


 残り僅かになったコーヒーを眺めつつ、思案に耽る。

 思考の表層上に浮かんでいなった根拠を、深層の部分からゆっくりと引き出して言葉にする。


「君は多分、今までずっとその力を隠してきたんだと思う。僕はそれをたまたま知ってしまったに過ぎない」

「ふんふん、それで?」

「単なるお隣さんの僕に、これ以上君の秘密を知る権利はないと思って」

「ふむん、なるほどぉ」


 納得するような声に顔を上げると、彼女は笑っていた。

 なんとなく、彼女のその笑みの種類がわかった。


 たぶん、彼女は今、嬉しいと思っている。


「ん」

「……なに?」


 借りていた消しゴムを返すような動作で右手を差し出してきた彼女に、僕は訝しげに眉を寄せる。


「包帯巻いて。私、不器用だから、きっと変になっちゃう」

「ええ……」


 あれだけ料理ができて不器用?

 と一瞬疑問が浮かんだが、確かに包帯は他人の手を借りた方がうまく巻ける、巻けるけど。

 僅かな羞恥心と後ろめたさが芽生えて思い迷ってしまう。

 とはいえ後処理の提案をしたのが自分である手前、ここで拒否するのは理屈に反する。


 仕方がない。

 小さくため息をついて、彼女のそばに移動する。

 僕が近づくと、彼女はくふふっと小悪魔みたいに笑った。

 不意に、香水とは違う甘い匂いがふわりと漂ってくる。

 心臓が跳ねそうになるのを堪え、さっきからずっとニコニコしている彼女から包帯を受け取る。

 

 少し躊躇って、僕は彼女の細くて白い手首に触れた。


 柔らかい、思ったより冷んやりしている。

 鉄砲水のように流れ込んできたそれらの情報をなるべく頭の外に追いやり、左手で包帯の始点を押さえる。

 右手でくるくると、細い腕の周りに包帯を回していると、


「ありがとね」


 いつもの社交辞令的なものとは違う、感謝の成分が詰まった言葉が降ってきた。


「手当くらい、大したことない」


 顔を下げたまま素っ気なく答える。


「ううん、そうじゃなくて。あ、手当のこともありがとうなんだけど」


 言う間に包帯を巻き終える。

 外れないように結んでいる間にも、彼女は言葉を続けた。


「私の力のこと、気遣ってくれたでしょ? それに対してのお礼」

「別にそれも、大したことじゃ」


 僕のささやかな謙虚の気持ちは、彼女の首を振る気配で掻き消される。


「この力、バレると結構めんどくさくて。今まで仲良しだなーって思ってた人が離れちゃったり、変な大人に目をつけられちゃったり」


 彼女の声には、若干の憂いが混ざっているように感じた。

 だから少し驚いた。

 とは言え、彼女の発言の内容は想像するに容易い。

 彼女の力を気味悪がる者も、欲しがる輩もごまんといるだろう。


 なにせ、一般人からすると異質な力なんだから。

 

「だからね、私の秘密を知っても、普通に仲良く接してくれる君には、すごく感謝してるの」


 全ての処置を終えて顔を上げると、心がぽかぽかするような柔らかい笑みが視界を占めた。

 胸の鼓動が少しだけ速くなるのを感じる。

 今まで見てきた笑顔とは別の種類のそれに、僕は数瞬だけ見惚れてしまった。


 すぐに現実に回帰し、ぶっきらぼうな返答を心がける。


「別に、仲良くしているつもりないんだけど」

「ええー、ショックー! もう単なるお隣さんじゃないじゃん、私たち」

「じゃあ、なんなの」


 彼女がおかしなことを言うので、僕は尋ねる。

 勝ち誇った笑みを浮かべた彼女は、人と人との関係性を表すにはとてもオーソドックスな言葉を口にした。


「友達!」


 僕は肩を落とす。


「なったつもりは無いって言わなかったっけ?」

「でも、連絡先交換したし、ご飯も一緒に行ったし、部屋にも上がらせてもらった。これが友達じゃないなら逆になに?」


 ずいっと身を乗り出して、瞳の奥にキラキラと星空を輝かせる彼女。

 

 反論の言葉は──見つからなかった。


 頭をわしゃわしゃと掻いたあと、半ば投げやり気味に答える。


「もういいよ、それで」


 彼女はしばしきょとんとした。

 僕が了承するとは思っていなかったのだろう。

 しかしすぐに頬を綻ばせ、ぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべて言った。


「ありがとう!」


 彼女の笑顔は、いつもと違って見えた。


「別に」


 対する僕は、いつものように素っ気なく返した。


 だから僕は、気づかなかった。

 彼女が包帯が巻かれた手首を、大事な宝物を扱うかのように撫でていたことを。


 

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