第83話 年明け業務と、迫るリミット


 勤め人の年末年始は短く、あっという間に出勤日がやって来た。

 その日の都内は、北風がぴゅうぴゅう吹き荒れており厳しい寒さに見舞われていた。


「年始業務は大変ねー」


 ぬくぬくのオフィスでパソコンをカタカタしている僕の隣で、お疲れ気味な声があがる。

 キーボードを叩く指を止め、上司の言葉を噛み砕いたあと、反応する。


「確かに僕も感覚が鈍ってるみたいで、なかなかスイッチが入らないです」

「わかるわー。これが俗にいう、正月ボケよね」


 時刻は昼過ぎ。

 しかしすでに、夕方くらいの疲労感があった。


 年末からトータルで1週間ほどダラダラしていたツケが回ってきているのだろう。


「年始ならではの業務とかあるんですか?」


 ぐーっと腕を伸ばす奥村さんに、尋ねる。

 まだまだ下っ端の僕にはわからない、未知の領域。


「そりゃあもちろん。あと、年末年始も稼働していた会社もあるから、そっからのメールとかが溜まっちゃってるのよねー」

「ああ、なんというか……闇深いですね」

「ねー? ほんと、働き方改革どうなってるのよという」

「その点、この会社はホワイトですよね」

「ほんとよねー。ベンチャーにしては福利厚生整ってるし、土日祝は休みで有給も絶対取らせてくれるし、ほんと、うちのバックオフィスには頭が上がらないわ」

「山村さんに感謝ですね」

「山村さん自身が働きすぎ問題はあるかもだけどね」


 苦笑いを浮かべる奥村さんに、僕も同じような表情で応える。


「年末年始はどうだった?」


 奥村さんが、身体をこちらに向けて訊いてきた。


 思い起こす。


「年末は……日和と年を越して、年始も……日和と一緒にいましたね」

「半同棲じゃない」

「事象としては否定できないです」

「どっか行ったりは?」

「非常に寒かったので、遠出とかはしてないですね。ご飯行ったり、一緒に買い出しに行ったり……あ、あと、そのへん散歩したりしました」

「夫婦じゃない」

「婚姻に関する両者合意はしてないので、それは否定させてください」

「真面目か」


 再び苦笑いを浮かべた奥村さんに、今度は無の表情で応える。


「奥村さんは、いかがお過ごしで?」

「私も実家でまったり。東京の10倍は寒いから、ほぼ家の中に引き篭もってたわ」

「確か、実家は仙台でしたっけ?」

「そうそう。もう、雪がすごくて」

「大変そうですね」

「終わらない雪かき地獄が蘇るわ……あれ、そういえば望月くんは、実家帰らなかったんだ」

「今年は帰りませんでしたね。交通費は異様に高いですし、それに……」

「それに?」

「……残り少ない東京生活を堪能しようってことで」


 僕の返答に奥村さんは「ああ」と、合点のいった風に頷いた。


「そういえば、あと2ヶ月だっけ?」


 僕が地元に帰るまでのカウントダウン。


「予定では……そうですね」

「あっという間ねー。そろそろ、引き継ぎの話をしないと」


 腕を組み、奥村さんは考え込む素ぶりを見せた。


「大学に戻るのは、今のところ確定?」

「え?」

「ほら、休学って2年まで継続的にできるじゃない?」

「ああ……よくご存知で」

「大学の同期にいたのよ。望月くんと同じく休学して、上京インターンした子が」


 懐かしいわねーと、しみじみ頷く奥村さん。


「それで望月くんは、一年でおしまい?」


 その質問の意図は、わからなかった。

 でもどこか少し、探るような意図を感じた。


「今のところは……そうですね。今年いっぱいで、大学に戻ろうと思っています」

「まあ、そうだよねえ」


 なぜか奥村さんは、残念そうな表情を浮かべた。

 しかしそれは一瞬のことで、すぐに表情を戻す。


「それじゃあ、残り2ヶ月間、悔いのないようにやり切らなくちゃね」

「はい。引き続き、よろしくお願い致します」


 ぐっと拳を握る奥村さんに、ぺこりと頭を下げる。


「今の望月くんなら、新卒でどこに行っても通用するだろうなー」


 不意に溢したような言葉に、面をあげる。

 奥村さんは、どこか満足げな、けど少しもの寂しそうな表情を浮かべていた。


「そんなことは、無いと思いますけど」

「あるある、私が保証する。望月くん、もとのベースが物凄く優秀だったから、ある程度予想はしてたんだけど……正直、私も驚くくらいの成長を見せてくれた」

「それは……奥村さんのおかげですよ」


 本心だ。

 上司が奥村さんじゃなかったら、ここまで成長はできていない。


「ふふっ、ありがとう。でも私は正直、そこまで大したことはしてないわ。ヒントを小出しにしていただけ。自分の頭で考え、行動し、アウトプットを出し続けてきたのは紛れも無く、望月くん自身」


 むず痒い。

 やっぱり、褒められるというのはどうも慣れない。


 でも、嬉しかった。

 自分がしてきた事がきちんと評価されて、心地の良い充実感を覚えていた。 


「あ、でも、日和ちゃんには感謝しないとね」

「そう、ですね」

 

 奥村さんの言う通り、僕の成長の一端には日和という存在も大きく関与している。

 この数ヶ月間、それを深く実感した。


「でも、地元に帰っちゃうと、日和ちゃんともお別れかー」


 何気ないであろう、奥村さんの一言。

 その言葉は、僕の胸を研磨で削り取るような痛みをもたらした。


 どうして。


 いや、どうして、じゃない。

 

 なんとなく予想はついているはずだ、自分でも。


 にもかかわらず考えないようにしているのはきっと、その「予想」を認識した時、僕が人生に関わる決断を迫られることがわかっているからだろう。


 でも……。


「すみません、奥村さん」

「うん?」

「ちょっと話が戻るのですけど……さっき仰ってた同期の人は……最終的にどうなったんですか?」


 気づくと、尋ねていた。


 尋ねるまでに至った思考プロセスはわからない。

 

 ただ、しこりのようなモヤモヤが僕の胸を巣食っていて、それを解消しようとした、という事だけはわかった。


 僕の質問に、奥村さんはちょっぴり申し訳なさげにして、両手のひらを上に向けるジェスチャーをした。


「それが、さっぱり。1年間休学しきったって話は聞いたんだけど、その後の消息は不明」

「そう、ですか」


 一抹の落胆。


「その子に、連絡取ってあげようか?」

「いえ……大丈夫です」


 これ以上、お手を煩わせるわけにもいかない。

 自分でも、問いの意図がよくわかっていないのだから。


「いけない。そろそろミーティングに行かなくちゃ」


 腕時計を確認した奥村さんが、ハッと声を上げる。


「あっ、すみません、長々と話し込んじゃって」

「ううん、気にしないで。良いリフレッシュになったわ」


 ノーパソを閉じ立ち上がってから、奥村さんはにこっと笑顔を浮かべる。


「それじゃ望月くん、引き継ぎに関してはまた後日、話し合いましょ」

「はい、よろしくお願い致します」


 そのやりとりを最後に、奥村さんは立ち去って行った。


 一人ポツンと残ってから、再びパソコンをカタカタする。


 モヤモヤはしばらく、胸の片隅に巣食ったままだった。

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