第8話 同僚とランチ

 朝の一幕が嘘かと思えるほど、何事もなく午前の業務を終えた。

 病み上がりの体調を心配していたけど、杞憂だった。


 むしろ土日にたっぷり寝て食事をちゃんとしたのが功を奏したのか、普段よりも仕事の捗り具合が良かった。

 日頃の食生活と睡眠サイクルを見直す良い機会になったかもしれない。


 いつもと違った事といえば、社員さんたちにえらく体調を気遣われたこと。

 そして、業務量が普段と比べ少なかったということくらいである。

 優しい上司による「今日は早上がりしなさい」という暗の命令だと思われる。

 これにより今夜の予定が確定的なものになって一瞬苦い気持ちになってしまったけど、僕は素直に感謝の言葉を口にした。

 

 昼休みは涼介に誘われてランチに出た。

 涼介は爽やかな顔立ちに笑顔を浮かべて僕の復活を大いに喜んだ。


「すっかり良くなったみたいでなによりだな!」

「病み上がりにそのテンションはきついからもう少し落としてくれ」

「ひどくね!? 俺に死ねって言っているようなもんだよ!?」

「いいから、さっさと何食べるか決めなよ」


 先ほどから選挙カーのように喚いている涼介にメニューを押し付ける。

 メニュー表と睨めっこを開始し、むむむぅと黙考し始める涼介。

 決断までそれなりに時間を要する涼介を尻目に、がやがやと騒がしい店内を見回す。


 安い・旨い・ボリューム満点をウリにしたこの店は、ここらではそこそこに名の通った中華料理屋だ。

 こってりかつハイカロリーな匂いが漂ってきていて、休日にヘルシー生活を送っていた胃袋がもたれそうになる。

 客層は男性サラリーマンが多く、店外にはすでに待ちの列もできていた。


「決めた! 俺、青椒肉絲(チンジャオロース)がけ焼きそばと白メシ!」

「デブるぞ」

「ジム行ってるから平気だよーんだ。お前は?」 

「半チャーハンと半ラーメンセット」

「女子じゃん!」

「カロリー消費の少ない生活を送ってるもので」

「読書するとカロリー使うってのは大嘘だな」


 カタコトの日本語を操る店員さんに注文を取ってもらってから、水を飲んで一息つく。

 すると、涼介が僕に意味深な視線を投げかけ尋ねてきた。


「で、お隣さんとはどうよ?」

「なんで関係が進んでるノリで聞いてくるの」 

「いや、その方が面白いじゃん!」

「願望と現実をごっちゃにしないでよ。彼女とはなにも」


 ない、と言いかけたところで、いや、あったな、と思い返し、でもここであったと返答してしまえばとても面倒臭い追求が待っているからシラを切った方が良いと判断した。

 この間、わずか1秒の意思決定。


「ない」


 言い切ると、涼介はつまんなそうに「そうかー」と呟いた。

 危ない。一瞬冷や汗が出たが、なんとか平静を装う事ができた。


「君こそ、彼女さんとどうなの」


 このタイミングで話を変えればぶり返すこともないだろうと、僕は涼介が食いつきそうな話題を投げる。

 その予見は見事に的中し、涼介は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。


「おっ、ついに覚えてくれたんだな! 実はさ〜」


 以下、割愛。

 注文の品が来るまで、僕は中身の無い涼介の惚気話に耳を傾けていた。


 とりあえず彼女が可愛いとか、最近帰りが遅くて心配だとか、彼女が可愛いとか。

 生徒に問題児がいて手を焼いているらしいから代わりに俺がぶん殴りに行きたいだとか、彼女が可愛いとか。


 おおよそそんな内容だった気がする。

 あんまし興味が湧かなかったので、ほぼ覚えていない。


 しばらくして、涼介の注文した料理がテーブルに運ばれて来た。

 炭水化物&炭水化物。

 一目で高カロリーだとわかるそれは、ボディビルダーが目にした瞬間卒倒しそうな見栄えだった。


 続いて僕の頼んだハーフハーフセットが登場する。

 その見た目は平和の象徴そのものだった。


「女子じゃん」

「うるさい」


 もう何万回繰り返したかわからない食材に対する感謝の言葉を口にして手を合わせた後、二人で料理を突っつく。


「うっま、これうっま!」

「うん、美味しい」


 程よくパラパラのチャーハンに、アッサリとしつつも旨味がちゃんと濃縮された醤油ラーメン。

 それは、体調を崩してロクに食べることを許されなかった僕の胃袋を歓喜の渦に巻き込んだ。


「にしてもお前、美味そうに食うよな」


 食べ進めていると、不意に涼介が言った。

 子供の頃からよく言われていることだった。

 傍から見ると、僕は料理をとても美味しそうに食べているように見えるらしい。


 そんな涼介の評価を、僕はたった一言で理由付ける。


「美味いものは、好きだから」


 地元にいた頃はよく飲食店を巡っていたし、上京してきてからも夜と休日は大抵どこかへ食べに出ている。

 繰り返しになるが、読書と並んで僕の二大趣味の一つであった。


「あ、でもあれか。普段無愛想な分、落差でそう見えるだけか!」

「突然手のひら返してくるね」

「確か、ラーメン好きだよな」

「ランキング的には上位の好きに入る部類」

「お、じゃあ今度の土曜日、ラーメン食いに行こうぜ! 池袋に美味い店があってさー」


 一瞬、ぴくりと食指が動く。

 都内出身である涼介が奨める店とあれば、味は確かだろう。


 けど、


「今週末も時間、作れそうに無い」

「またかよー。お前、いっつも忙しいよなー」


 涼介はつまんなさそうに口を尖らせた。


 ……実際のところ、週末にこれといった予定はない。

 ただ、貴重な週末を同僚のために使うほどメリットを感じないため、断った。


 それだけである。


「また機会があったら誘うわ!」


 特に深堀りしてくることもなく、涼介は余った自分の料理を貪り始めた。

 納得してくれているのか、あえて突っ込まないでいるのかは、僕の知るところではない。


 あっという間に完食し、僕らは店を後にした。


 炭水化物を入れて熱を発し始めた身体を、気持ちの良い秋風が撫でる。


「げっふ……もう食えん」


 隣では気持ち悪そうに、涼介がお腹を抑えて背中を丸めていた。


「僕も病み上がりのせいか、いつもより苦しい」

「だから、女子かっつーの」


 涼介が苦笑を浮かべる。


「午後、寝ないようにしないと」

「やー、俺は無理だ、絶対寝る!」

「オレキシン作動性ニューロンを活発化させないとね」

「オレオレ詐欺がなんだって?」

「言ってないよ。オレキシン作動性ニューロン。満腹時にこのニューロンの働きが低下するから、眠くなるんだ」

「へえぇー、物知りだな! そのニューロンとやらを働き者にするにはどうすりゃいいんだ?」

「今すぐ食べたもの全部吐いて空腹になればいいんじゃない?」

「オマエは鬼か」


 その後、涼介は僕のありがたいアドバイスに従うことも無く、オフィスに戻って30分もしないうちに舟を漕ぎ始めた。

 一方の僕は残りの昼休みをフルに睡眠に当て、最後まで眠気に襲われることなく業務に取り組めた。

 自分の身体のスペックを把握する重要さを改めて認識する。


 終業時間の17時少し前に本日の業務を終え、さてどうするかと椅子に背を預けると、どこからともなくスマホのバイブレーションが聞こえてきた。

 個人的な連絡なんて滅多に来ないもんだから一瞬、自分のスマホが震えていることに気づかなかった。


 そういえば今日の朝、騒がしいお隣さんから連絡を寄越せとの指令を受けていた事を思い出し、スマホを手に取る。


『RINEしてっていったじゃーん!!(怒り) それで! 何時に終わりそう!?(ニコニコ)』


 散りばめられた感嘆符と絵文字から、確認せずとも差出人がわかった。

 ディスプレイ表示された無機質なテキストからなぜここまで感情が伝わってくるのだろうと、不思議に思う。


『今、仕事終わった』


 簡素な事実だけを入力して送信すると同時に既読がつき、10秒もしないうちに返信がくる。


『おおおおお疲れええい!!(ヤッタネ) じゃあ、5時半に下北駅前でおk!?(ワクワク)』


 彼女はきっと、常に感情を爆発させてないと死んでしまう病に違いない。

 この絶妙な絵文字セレクトは一体どのような脳回路で行われているのか、少しだけ気になった。


『了解』


 退社後、待ち合わせ場所の詳細を設定し、新宿駅へ。


 織田急線に乗り込んだら、ものの10分ほどで下北沢駅に到着する。

 ちょうど指定の時間に着きそうだった。


 こうして正式に待ち合わせて会うのは初めてなので、妙な緊張感を抱く。

 世間的に見ると羨ましがられる展開かもしれないが、生憎僕の心持ちはそんなポジティブなものではない。

 むしろ、どのようなコミュニケーションをとれば燃費良く乗り切れるだろう、なんて事を考えていた。


 改札を出てすぐに、見覚えのある女の子の存在を認識する。


 相変わらず可憐で、抜群のプロポーションっぷりだった。


 なんでこんな美少女が僕なんかと。

 今更ながら疑問符が浮かぶ。


 しかしその疑問符はすぐ、別の意識に持っていかれた。


「君、可愛いねー! 」

「今おにーさんたち暇してるんだけどさぁ、よかったら一緒に遊ばない?」


 髪を明るく染め、自己主張激しめなブランドコーデに身を包んだ男二人組が、彼女に絡んでいたのだ。


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