第9話 彼女と初めての外食


「君、可愛いねー! 」

「今おにーさんたち暇してるんだけどさぁ、よかったら一緒に遊ばない?」

 

 今、目の前で行われているイベントはいわゆる「ナンパ」というやつだろう。

 贔屓目抜きで美少女である彼女は抜群に人目をひく。

 そんな彼女が夜に一人でいれば、ワンチャン狙いの輩に口説かれるのもおかしい話ではない。


「ごめんなさいー、人を待っているのでー」


 彼女は、僕にこれまで向けていたものとは違う、作り物の笑顔で対応していた。

 こういう事は何度も経験しているのか、慣れた様子でやんわりと断りの定型文を口にしている。


 しかし、男の方も自信があるのか、それともこのレベルの美少女をやすやすと逃すのは勿体無いと思っているのか、なかなか食い下がろうとしない。


 埒があかなそうなので、彼女の方に歩み寄る。

 夕食を共にすると約束をした手前、このまま見て見ぬ振りをするという選択は取れない。

 特にこれといった考えがあるわけではないが、静観していても無生産な時間が過ぎるだけだ。

 万が一物騒な流れになってしまっても人通りも多いし、なんとかなるだろう。


「ねえ」


 声をかけると同時に、彼女の笑顔が人工物のそれから大自然のものに変化した。

 そしてまるで、男たちが視界から消えたかのように振る舞い始めた。


「おっそーい、3分遅刻!」

「3分前にはついてたよ。お取り込み中みたいだったから、3分間待ってあげたんだ」

「時間だ、答えを聞こう!」

「バルス」

「わかってるねぇ、君っ」


 わはははと、彼女が身体を揺すって上機嫌に笑う。

 僕は相変わらずの無表情だが、国民的人気アニメの共通ネタが世代を超えて通じたことに妙な感慨を覚えていた。


 一方の男二人は、僕の登場と彼女の豹変ぶりに状況を飲み込めないでいるようだった。


 その隙に、彼女はひらりと軽い身のこなしで男たちの間をすり抜け僕の側へやってきた。

 僕の手首を掴み、二人組の男に向かって彼女は活き活きとした笑顔を向けて言った。


「じゃ、私はこれで! 行こ、望月くん!」


 何も言わずに僕は引っ張られてやる。

 こんな時に限っては、彼女の強引なアビリティに従ったほうが都合が良い。


 ちらりと振り向いて取り残された男の方を見やる。 

 男二人の表情には、こんなことが書いているように見えた。


 “なんでこんなやつが”


 僕だって知りたい。



 ◇◇◇



「ひゃーっ、びっくりしたねぇ」


 下北沢の繁華街を二人で歩く。

 彼女は一仕事終えたように肩を後ろに組んで伸び伸びしていた。


「そう言う割には、楽しそうだったね」

「まっさかー。早く行ってくんないかなーって、ちょっとイライラしてたよ」

「君でもイライラすることがあるんだ」

「そりゃあるよ! 私の貴重な人生の1ピースが、興味のない男に使われたと思うと今でも腹がたつ!」


 興味のない男。

 そのカテゴリーに僕も入っているはずなんだけど、大丈夫だろうか。

 疑問を抱いていると、彼女がふふーんと悪戯っぽく笑っている事に気づく。

 何を考えてるかわからない、例の笑顔だ。


「そんなことよりも! 今日の私のコーデ、どう思う?」


 話題を変えた彼女が、くるっと回って僕の前に躍り出た。


「どう思うって……いいんじゃないの?」


 よくわからないけど。


「全然見てないじゃーん! ちゃんと見て!」


 首を強引に曲げられそうな勢いだったので、仕方がなく彼女の私服姿を視界に収めてやる。


 やけに胸が強調された純白のブラウスにミドル丈のスカート、すらりと長い足にデニール高め黒のタイツ。

 足元には黒のショートブーツを履いている。

 カジュアルさと大人っぽさがバランス良く組み合わさっていて、秋らしく、彼女のプロポーションにあった服装だと思った。

 制服姿も可愛いが、私服姿も言うまでもない。


 ただそれらを言語化して述べる事は憚られたので、一言に圧縮する。


「いいと思う」

「やった!」


 素っ気ない返答にも関わらず、彼女はぱぁっと破顔させてぴょこんと跳ねた。

 どうやらちゃんと見た上で判断することが重要だったらしい。


「今から行くところってどんなお店!?」


 また話題がコロリと変わる。


「肉」

「着いてからのお楽しみってことね!」

「君のその都合の良い変換機能はどうやったら習得できるの」


 ふふふーんとイラつく笑みを向けてくる彼女を無視して、さっさと店へと歩を進める。

 件の店には5分ほどで着いた。


「わぁー、なんか雰囲気出てるお店だね」

「お化け屋敷じゃないんだから」

「そんな失礼なこと思ってないよ! なんというか、昔ながらの居酒屋さんって感じ?」

「鉄板焼きの店なんだけど」


 ここは博多名物である鉄板焼きを味わえるお店。

 店の外まで食欲をそそる芳ばしい香りが漂っていて、仕事で空っぽになった胃袋がメシを寄越せと主張し始めた。


 正直なところ彼女から良いように思われたいという気持ちは1ミリも無かったので、肉が好きという一点のみを考慮し後は自分好みのお店をチョイスした次第だったけど、


「こういうお店大好き! 早く入ろ!」


 幸か不幸か、彼女のお気に召してしまったようだ。

 気迫に押されて店内に足を踏み入れた瞬間、ニンニクと炭火の香りが漂ってきてお腹が音頭を奏でた。


 テーブル席に通されお手拭きの温もりを堪能する。

 彼女は早速、古ぼけたメニュー板を手にとって興味深げに凝視し始めた。

 メニューは鉄板焼きのサイズ違いとライス、そして簡単なおつまみのみという、店主の強い自信とこだわりを感じさせるラインナップだった。


「あとで匂いが付いたとか文句言わないでね」

「そんなこと私が気にすると思う?」

「ニンニク丸ごと齧ってそう」


 ぷはははっと彼女が身体を揺らして笑う。

 これ以上騒音被害が拡大しないよう、迅速に店員さんを呼び寄せる僕。


「私、鉄板焼きの2倍盛りとご飯特盛り!」


 ずり落ちそうになった。


「そんなに食べるの?」

「育ち盛りなの!」

「育ち盛りでもそんなに食べない気が」

「じゃあ食いしん坊って事で!」

「潔いね」

「望月君は?」

「……鉄板焼きの並とご飯少なめ」

「女子じゃん」

「男子だよ。あと、紙エプロン一つ」

「え、二つじゃないの?」

「僕は別に良い。安物の服だし」

「そういうところ面倒臭がらない! すみません! やっぱり二つください!」

「あ、ちょっ」


 声の大きい方を正義と判断した店員さんは、彼女の意見を了承し苦笑いを浮かべて奥に引っ込んでいった。

 僕がため息をつくと、彼女がにこにこと眺めてきた。


「……なに?」

「エプロンありがと! 今日、上が白いから助かっちゃった」

「別に、大したことない」

「ふふふ、そっかそっか」

「なんでそんなに楽しそうなの?」

「楽しいからだよ?」

「この状況が? どこが、どうなって?」

「もー、理屈っぽいなー! こういうのはね、フィーリングなの」

「フィーリング、なるほど。僕が苦手とする分野だ」


 事象に対して論理が絡んでないと納得できない僕とはそりが合わないようだ。

 知ってたけど。


「ねぇねぇこれなに!?」


 彼女が興味津々といった様子で、卓上に置いてあった親指大の木の棒を手に取る。


「ああ、それ台木。鉄板の下に敷くやつ」

「鉄板を傾けるの? 何のために?」

「来ればわかるよ」


 そうこうしているうちに紙エプロンが到着し、続いて料理が運ばれて来た。

 熱々の鉄板の上にどっさりと盛られたキャベツと豚のハラミ炒め。

 ジュワジュワと大きな音とともに食欲をそそるニンニクの香りが鼻腔を刺激する。


「わー! 早い、多い、美味しそう!」

「このお店が言って欲しい言葉を全部言ったね」

「私もお店もウィンウィン!」

「騒がしいことだけを除けば良客だ」

「そんなことよりこの台木の使い方、早く教えてっ」

「まずそれを鉄板の左側に敷いて」

「あ、傾いて油が流れて来た」

「そうそう。その油が溜まった箇所にこの特製辛味噌を投入して、具材と絡めて」

「はむぅ! おいひい!」

「食うのはえーよ」


 もっしゃもっしゃと飢えた野犬のごとく食べ始めた彼女とは対照的に、僕はゆっくりと木台をセッティングし、まずは辛味噌を絡めずにそのまま食べてみる。


「美味しい」


 キャベツの甘みと肉の歯応え、そしてニンニクと塩というシンプルな調味料の組み合わせ。

 すべてのバランスがちょうど良い。


 次に甘辛い唐辛子味噌を投下し、脂と絡めて食べてみる。


 ああ、これこれ。

 この野球部男児が好きそうなジャンクで中毒性の高い味が堪らない。

 ご飯が進む進む。


「この辛味噌美味しい! 中毒になる!」


 どうやら同じような感想を抱いていた彼女は、辛味噌をこれでもかとドバドバ入れていた。

 緑と茶色が一瞬にして赤に染まる。


「辛いの好きなの?」

「好き! なんかこう、グワーッと挑んでくる感じが!」

「肉の時も思ったけど、変な理由だね」


 しばらく黙々と舌鼓を打っていると、箸を休めた彼女が話しかけてきた。


「ねぇねぇ! 望月くんってさ、彼女とかいないの!?」


 ハラミが鼻から出るかと思った。


「突然なに」

「ただの雑談! それで?」

「もしいたとしたら、この状況はとても失礼だね」

「そっかー、望月くんは失礼なやつだったかー」

「なんでいる前提で話を進めるの。いないし、いたこともない」

「へぇ、意外」

「当然でしょ。一応他意はないことだけ先に言っておくけど、君は?」

「いないし、いたこともないよ?」

「別に乗らなくていいよ」

「乗ってませんー! そういう人はいないし、いたこともありませんっ」


 彼女はどこか誇らしげに胸を張った。

 それなりに実りのある二つの大玉がたゆんと揺れる。

 彼女ほどの美貌なら、男の2人や3人日替わり定食しててもおかしくなかろうに。


「でも、言い寄ってくる男は多いんじゃないの」


 尋ねると、彼女の表情がちょっぴり困ったものへと変化した。


「まぁー、そうだねぇ。好意を寄せられることは少なくはないと思う。男女限らず」

「同性も?」

「この前の告白は女の子からだったよ!」

「驚いた。小説の中だけの話だと思ってた」

「にっしっし、さぞ羨しかろう」

「別に。というか、なんで告白を受けないの」


 素朴な疑問を口にすると、彼女は人差し指を顎に当てて表情をコロコロ変化させた。

 最初は考え込むような表情、次にこれは違うなーとしかめ面、最後にスッキリとした表情で口を開いた。


「私、恋に関しては中途半端なのは嫌いなの! お付き合いする以上はその人にたくさん愛情を注ぎたいし、ずっと一緒にいたい。だから、相手は長い時間をかけてじっくりと見極めたいの!」


 彼女の堂々たる宣言っぷりに、僕は反射的に周囲を見渡した。

 幸い、彼女の初々しい恋愛論に関して興味を示してくる輩は見当たらず、僕は胸を撫で下ろす。


「ようするに、君の目に敵う人がいなかったわけだ」


 言うと、彼女はいじけたようにコップのふちをなぞり始めた。


「みーんな、私の見た目が好きとか、明るいところが好きとか、上ら辺の理由しか言わないからさー」


 こっちは真剣に中身を見ようって頑張ってるのに。

 彼女はそう呟いた。


「意外にも、誠実なんだね」

「意外にってなにようー、何事にも全力! って言ってくれないかな?」

「何事にも微力を信条とする僕には眩しすぎるよ」

「エコでいいじゃん! それで、望月くんはどうなの?」

「どうって」


 考えてみるも、すぐに結論が出てしまう。


「そもそも論、僕に告白してくるモノ好きはいないし、前提条件として友達といえる存在がいない」

「友達も!? 今まで一度も?」

「……いないかもしれない」

「じゃあ、私が望月くんのお友達第一号だね!」

「すごく虚しくなってきたからこの話やめない?」


 非難めいた視線を送ると、彼女はぷははっと吹き出した。

 彼女の返答を待たずして、僕は残りの鉄板焼きをつつき始める。


 笑顔のまま彼女も後に続いた。

 ぱくぱくとハラミを頬張る彼女はとても美味しそうに食べる。

 一口頬張るごとに「んーっ」とか、「まいうーっ」とか、少しは静かにできんのかと思う。


 とはいえ、ここまで感情を表に出してくれると連れてきた身としては悪い気はしない。

 その点だけは評価した。


 気がつくと、彼女の皿はほぼ空っぽ。

 量が半分だった僕と同じペースだった。


「よく食べるね」

「食べるのはすっごい好き! けど、作る方が好きだから結局自炊になっちゃうんだよねー」

「食べる事が好きという点は共通してるけど、僕は美味しい店を開拓する方が性に合ってるかな」

「それじゃあ私が望月くんに料理を作ってあげて、君は私に美味しいお店を紹介すればウィンウィンだね!」

「本気で言ってるの?」


 名案でしょうとドヤ顔する彼女に、温度の低い言葉で尋ねる。

 彼女は顔をきょとんとした。


「本気だよ?」

「僕と君はそういう間柄じゃないでしょ。ただのお隣さん同士。それ以上深い関係になるつもりはない」

「もー、素っ気ないなぁ。せっかくお友達になったんだからさ、もっと仲良くやってこーよ」

「僕は君の友達になったつもりはない」

「ざんねーん。さっきなっちゃいました!」

「僕は承認していないから契約は無効だね」


 箸を置き、彼女を見据え、僕は心のうちを明かした。


「僕なんかより、君と仲良くしたい人はたくさんいるでしょ。その人たちと過ごした方が、有意義だと思うよ」

「有意義かどうかは私が決めることですー。私は今日、望月くんとお話がしたかったの」

「嘘つかないでよ」

「どうして嘘って思うの?」


 彼女のまっすぐな瞳に一瞬、返答に窮する。

 僕は根底で長いこと鎮座している理屈を掘り起こし、言葉にした。


「他人が僕なんかに興味を持つわけがないからだよ。基本的に人間は、容姿が優れていたり、何かしらの取り柄がある者にしか興味が向かない生き物だ。そして僕は、その要素を満たしているとは言えない。だから、他人の興味が僕に向くことはない」


 自分の考えを他者に披露するのは珍しいことで、妙な気分を覚えた。

 一気に言ったからか喉の渇きを覚え、息継ぎをしてから水をあおる。


「私は、興味あるよ」


 コップに口を当てていた最中だったため、一瞬、彼女の言葉が耳に届かなかった。

 すぐに、彼女の発言は先の僕の発言を遠回しに否定するものだと気付く。

 冷たくて無機質な刺激が喉元を過ぎていく感覚に反し、彼女の表情は柔らかで温かいものだった。


「興味ない人にご飯作ったり、夕食に誘ったりはしないよ。それだけは、わかってほしいかな」


 彼女が僕の発言に対してどのような感情を抱いたのかはわからない。

 ただ、疑問に感じていた「なぜ彼女は僕に構うのか」という表層的な答えはわかった。


 どうやら彼女は、僕に興味を持っているらしい。


 どの部分に?


 疑問に思ったが、僕にそれを深掘りするほどの気概は無かった。

 ただ、僕のような人間に興味を持つ変わり者もいるんだなと思った。


 半ばこれ以上会話を続けるつもりはないという意思表示のつもりで、僕はただ一言「そう」と答え、残りのハラミをかき込んだ。


 彼女は相変わらず笑っていた。



 ◇◇◇



 会計は僕が済ませた。

 彼女は頑なに自分の分を払おうとしたが、それじゃあ貸し借りの清算にならないと僕が譲らなかった。


 貸し借りなんて水くさーいとぶつぶつ言う彼女を無視して、僕は家路についた。


 彼女と出会った公園を通り抜けながら、今夜でこの奇妙な縁も終わりかと妙な感慨に耽る。

 看病の借りは返したし、これ以上、双方関わる理由はない。


 明日からは普段の日常が戻ってきて、いつもと変わらない日々が繰り返されるだろう。

 そのことに安堵するくらいには、独りの日常に愛着が湧いていたようだ。


 マンションに着く。

 部屋の前までやってきて、彼女が声を弾ませた。


「今日はごちそうさま! それとありがとう。美味しかったし、楽しかった!」

「そう」

「もおー、それだけ? 感想はちゃんと言葉にしないと伝わらないよ?」


 返答せず、僕は冷めた目を彼女に提供するだけだった。

 もうなにも言うことはなかった。


 一瞬、彼女は名残惜しそうな表情を浮かべたような気がした。

 僕はそれを気のせいとして処理した。


 少し間をおいて、彼女が右手をあげる。


「それじゃ、またね!」


 自室へ消えていく彼女を見送った後、僕もさっさと自分の部屋に戻り込んだ。

 さきほどまでの騒がしい時間が嘘だったかのように静けさが舞い戻る。


 お風呂を済まして寝巻きに着替えた後、文庫本を引っ張り出してきて文字の世界に飛び込んだ。


 静かな世界。


 ノイズのない、自分だけの世界。


 やはり、読書はこうでなくてはならない。


 ずっとこの時間が続けば良いとさえ思うが、それが叶わないところが勤め人の辛いところである。


 でも、今日は少しだけ夜更かしをしよう。


 そう決めて、僕は文庫本を手にしたままベッドに寝転んだ。



 ──嵐はまだ去っていない事に気づかぬまま。

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