第16話 彼女と映画


「着いたー!」


 太陽と張り合うような声が期待と興奮を伴って打ち上がる。

 その元気を少しでも良いから分けて欲しいと思う土曜日の16時半過ぎ。

 

 僕は彼女に連れられて、新宿歌舞伎町の奥にそびえ立つ高いビル──東方シネマズ新宿に来ていた。 


 重い足取りに鞭打って何とかやって来たが、僕の気持ちは天気で例えると灰汁を掻き回したような曇天。

 午前中は体力回復に努めてずっと夢の中にいたが、適正睡眠時間をはるかに超えてしまったことが逆に仇となってしまったらしい。


 対して彼女はどんな悪天候でも晴れにしてしまうような笑顔を輝かせていた。

 彼女はきっと、100%の晴れ女に違いない。


 そんな彼女には、チラチラと道ゆく人々の視線が注がれている。


 東京は人が多い事もあり擦れ違うだけで目鼻立ちが華やかな人々が目につくが、その中でも彼女は別格中の別格。

 テレビに映るアイドルや女優と肩を並べられるほどの美少女なのだから、通行人の興味が彼女に向いてしまうのも無理はない。


 とはいえ彼女は平然としていた。

 先日のナンパの時然り、恐らく慣れっこなのだろう。


「あのガジラ、いつ見てもすごい迫力だねー!」

「ガジラ、見た事あるの?」


 東方シネマズ新宿のシンボル。

 建物の陰からぬっと顔を出す巨大な怪獣ガジラ像を指差し、きゃっきゃとはしゃぐ彼女に質問を投げかける。


「昭和のやつを何作か! でも着ぐるみの中で大の大人が頑張ってるんだろうなーって思うと、ちょっと面白くてあんまり入り込めなかったなー」

「大人の苦労がわからない君はガジラに踏み潰されてしまえばいいよ」

「国民的大怪獣様に踏み潰されるならむしろ光栄かも」

「社会が君みたいな人だらけだったら、日本の自殺率もぐんと下がりそうだね」

「なにその微妙な褒め方ウケる」


 からからとお腹を抱えて笑う彼女はいつにも増して楽しそうだ。

 よっぽど映画が楽しみなのだろう。


 付き添いが僕で本当に良かったのか、気がかりなところではある。

 

「早く行こ! 始まっちゃう!」


 僕の胸襟なんて知る由も無い彼女に急かされ、渋々動き出す。

 足取りは相変わらず重いままだった。


◇◇◇


「おっまたせー!」


 二階のフロント。

 ネットで事前予約をしていた彼女がチケットを手にやって来た。


「私が内側で、望月くんが通路側でいい?」

「いいけど、トイレ大丈夫?」

「うん、平気! お気遣いありがと」


 大人しくチケットを受け取る際、何と無しに彼女を見やる。


 今日の彼女は臙脂色のベレー帽を頭に乗せ、白ニットの上に黒のデニムジャケットを羽織っていた。

 ショート丈の黒スカートからは透き通るような生足が伸びており、足元は黒のソックスとローファーを履いている。

 動きやすさを重視しつつも、スタイルの良い彼女にマッチしたフェミニンな雰囲気のコーデだと思った。


 ちなみに彼女が今朝方迎えに来た際、先日と同じように私服の感想を求められた。

 僕が素っ気なく「似合ってる」と返すと、ぱぁっと彼女は破顔させて「やたっ!」と小さく拳を握った。


 それでいいのか本当に。


「ポップコーンとか飲み物は持ち込む派?」

「もちろん! 映画館で堪能できるもんは堪能しないと! 望月君は?」

「作品に集中したいから何も持ち込まない」

「そんなところも反対なんだね、私たち」

「なんでちょっと嬉しそうなの」


 彼女は相変わらず何を考えているかわからない笑みを浮かべた。


 上映中のお供を購入しに行った彼女を待っている間、なんとなしにロビーを見回していると、映画マイレージカードの新規入会を受け付けているカウンターが目に入った。


 なにやら6回映画を見ると一回タダになるカードらしい。


 映画なんて滅多に行かない僕にとっては無用の長物だろうなと思っていると、彼女がキャラメルポップコーンとコーラという糖分メガパンチセットを手に帰ってきた。


 甘ったるいキャラメルの匂いに思わず眉を寄せる。

 

「映画終わった後、夜食べに行くんじゃなかったっけ?」

「これは別腹だから問題なし!」

「別腹って食後に使う言葉だと思うんだけど」

「別ってことには変わりないでしょー。ちなみに望月くん、ポップコーンは塩派? キャラメル派?」

「塩だね。もっと言うと飲み物は緑茶かウーロン茶を頼む」

「どうやら私と君とじゃ食の好みが合わないみたいだね」

「果たして食だけかな。あ、映画代、先に払っておくよ」

「いいっていいって、付き合わせてるのは私なんだし」

「そうはいかない。ただでさえ普段の夕食の調理代、払ってもらってるんだし」

「いうて割り勘じゃん」

「それでもここはしっかりと払わしてほしい。年上のプライド的にも」

「年上のプライドなんてあったんだ」

「……冷静になって考えてみたら無かったけど、こういうところはちゃんとしたい」

「うーん、そう? ぶっちゃけ今日は映画マイレージ使ってタダだから、本当に良かったんだけど」

「この短時間で3つも君との反対要素を発見するとは思わなかったよ」

「えっ、もう一つなんかあったっけ?」


 説明するのも面倒なので、僕はさっさと映画代を財布から取り出し、きょとんとする彼女に半ば強引に受け取らせた。


 入場時間となり、彼女と揃ってゲートに向かう。

 彼女は高校、僕は大学の学生証を見せてシネマフロアに足を踏み入れる。


「休学中も学割使えるんだ」

「一応、在学中だから」

「じゃあ、ずっと休学してたら死ぬまで学割使い放題だね!」

「学割のために休学し続けようって人はいないと思うけど」

「あははっ、確かに!」


 笑いながら、彼女はポップコーンを口に放り込んだ。

 まだスクリーンにも着いてないのに行儀が悪い。

 着の身着のままで作品に臨む僕を見習ってほしいものだ。


 スクリーンについて指定された席に座ると、彼女はいよいよ本領発揮と言わんばかりの勢いでポップコーンとコーラを食べ始めた。

 マナー違反というわけではないので特になにも突っ込まなかったが、上映中に隣から聞こえてくるポップコーンの咀嚼音の事を思うと観る前から期待値が半減してしまう。

 ところが驚いたことに、彼女は本編上映前のムービーラインナップの間にポップコーンを食べ尽くしてしまった。

 

「食べるの速くない?」


 本編中に食べる分が無くなってしまったのではないかという意図の質問を小声で投げかけると、コーラをずぞぞっと吸っていた彼女がぷはっとストローから口を離して言った。


「速く食べてるの。本編始まってから食べてちゃ、せっかくの映画に集中できないじゃん」

「なるほど」


 その点においては僕と共通の認識を持ってくれていたようで、僕の-10だった機嫌が0に上がった。


 彼女はポップコーンを食べている間とれなかったリアクションを取り返すかのごとく、残りの予告編が流れている間いちいち感想を口にした。

 ポップなミュージカル映画には「こういう楽しい気分になるのって良いよねー」とか、病気がちな主人公と捨て猫との交流を描いた感動ハートフル映画には「この手の映画は凄い好きだけどすぐ泣いちゃうっ、うぅっ」とか。

 やたらとジャニジャニしたイケメンや美少女俳優を起用した純愛邦画映画には「こーゆーのはちょっと苦手なんだよねー」と今ひとつの評価を下していた。

 ノリと勢いて生きているように見える彼女だったが、意外にも自分の趣向がはっきりしているんだなと意外に思う。


「いよいよだねっ」


 頭がビデオカメラのキャラクターが出現し映画泥棒の撲滅を訴え始めたあたりで、期待に心躍らせる彼女の声が空気を揺らす。


「うん」


 必要最低限の相槌を打っていよいよ静かになった時、僕は僕で心に微かなざわめきが存在していることに気づく。 

 それがこれから始まる作品に対しての期待なのか、彼女と二人きりで映画を見るという状況に対する緊張なのか、どちらかはわからない。

 

 劇場内に灯っていた薄明かりが一気に照度を落とす。


 暗黒に落ちた空間の中、スクリーンに制作会社のロゴが明るく映し出され、本編が始まった。

 

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