第17話 彼女の親友さん


「面白かった!!」

「うん、そうだね」


 東方シネマズ新宿の近くにあるビュッフェのお店。

 もう何度目かもわからない彼女の「面白かった」に対し、僕は短く相槌を打った。


「映像、すごい綺麗だったね! 舞台が東京だったから、毎日何気なく過ごしてる街がすごく特別なものに感じた!」

「うん、そうだね」

「それでいて音楽を流すタイミング! ここだ! って時にそのシーンにあった音楽が流れるからもうすっごい鳥肌立っちゃって!」

「うん、そうだね」

「それとあのラストシーン! 主人公がヒロインのために食材を求めて走るとこ! あれはもう日本のアニメ史に残る名シーンだよ!」

「うん、そうだね」


 まるで庭先で綺麗な石を見つけて自慢する子供と、その受け答えをするオウムのような図である。

 

 彼女は映画が終わってから今までずっとこの調子だった。

 興奮冷める事なく滝のように流れ出る賞賛が止まらない。

 最初は彼女の感想に対し自分の意見を提示したりしていたが、徐々に処理が追いつかなくなってしまった。

 彼女の語りは怒涛のテンポを極め、真面目に返答するモチベーションをすっかり奪い去ってしまった。


 彼女を連れてきたのがリーズナブルで若い層が利用するお店で良かったと思う。

 もしも少々価格帯の高いお上品なお店に連れてこようものなら出禁を食らっていた事だろう。


「それでねそれでね!」

「ストップ」


 わんぱく犬に「まて」するような気分で、手のひらを彼女に向けた。


「とりあえずご飯取りに行こうよ。このままだと、喋るだけで制限時間に引っかかる」

「それは確かに!」


 彼女は「ごっはん〜ごっはん〜」と鼻歌を歌いながら立ち上がった。

 相変わらず頭の切り替え速さに、僕は彼女の中に複数の人格が存在している説の可能性を上方修正する。

 翼が生えたかのようにビュッフェコーナーに飛び立っていった彼女の後を、僕はゆっくりとついていった。


 ここのビュッフェは洋食を中心に何十種類もの料理を取り揃えたお店。

 彼女は全メニューを堪能するぞと言わんばかりに、各料理を少量ずつ盛り分けていた。

 ビュッフェにおける正しい楽しみ方だとは思うがその盛りは一回で収まりきる量ではない。

 なので彼女は、一旦席に皿を置いてから再度コーナーに舞い戻っていった。


 僕は彼女のような大食漢ではないため、一つのお皿に自分の好物を控えめに盛り付けておしまい。

 食べ切ってまだお腹に余裕があれば再度取りに行こうという素晴らしい平和主義っぷりを誰か褒めて欲しい。


「さー食べよー!」


 焼き物、揚げ物、蒸し物。

 多種多様な料理がミックスされて大渋滞を起こしていた。

 肩がずり落ちそうになる。

 

「ポップコーンはどこに消えたの」

「別のお腹かな? まあ、あんなの食べたうちに入らないけど!」

「前菜にもさせてもらえなかったポップコーンに同情するよ」


 あははっと上機嫌に身体を揺すって、彼女は勢いよく手を合わせた。


「いただきます! はむぅ! おいひい!」


 相変わらず、僕が食材に対する感謝の言葉を言い終わる前に料理を口に運び始める彼女。


「いただきます」


 一品ずつ口に含む度にいちいちリアクションを取る彼女は放っておいて、僕は自分の皿の料理をちびちびとつつく。

 うん、やっぱりここのビュッフェは素材に拘っていてとても美味しい。

 そこまで量を多くこなせない僕だけど、ここはビュッフェ料金を払ってでも堪能したいレベルだと思う。


 しばらく黙々と好物たちを堪能する。

 半分ほど食べたところでふと顔を上げると、彼女のお皿はすっかり綺麗になっていた。


 消える魔法かと思った。


「映画、楽しめた?」


 彼女がにっこり笑って尋ねてくる。


「うん、楽しめたよ」


 本心である。


 とても面白い映画だった。

 観る前は正直なところ、監督の前作が一般大衆受けを狙った王道ストーリーで大ヒットを飛ばしたこともあり、今作も民衆の好むテイストで来ると思っていた。


 しかし、実際は全然違った。


 映画のレビューサイトで星5と星1が両極端につくような、賛否両論が巻き起こるタイプの映画だった。

 視聴者に媚びなんか売らない、自分はこれが好きなんだという深海監督の作家性が遺憾無く発揮されていたのだ。

 僕はどちらかと言うとテンプレをなぞったストーリーラインより、甲論乙駁(こうろんおつばく)が巻き起こるタイプの方が好みなため、結果として本作は大満足であった。


 大満足ではあったが。


「でも、見終わった後が大変だった」

「うっ……」


 珍しく、彼女はバツの悪そうな顔をした。

 僕の発言の意図は、上映後の彼女に起こった生理現象に由来する。


「やー、すっごく感動しちゃってつい」

「君の涙の犠牲になったハンカチの身にもなって欲しいよ」

「ごめん! 今度洗って返す!」


 バッとテーブルに両手を付き頭を下げる彼女を見やりながら僕は思い起こす。


 上映中、僕は現実世界の営みを忘れスクリーン内で繰り広げられる物語に釘付けになっていた。

 あっという間に時間が過ぎ去りエンディングロールを迎え余韻に浸っていると、隣からすすり泣く声がしてきてぎょっとした。

 明かりが戻った劇場で、僕は大粒の涙をボロボロと流し鼻水をずるずる啜る彼女を見た。


 あまりにも突発的かつ、これまでの人生で遭遇したことのない事態だった。


 一瞬思考がホワイトアウトしかけたが、おそらくこれがベターな行動だろうと僕は彼女にハンカチを差し出した。

 彼女は無言でそれを受け取りぐしぐしと顔の上半分を拭いて「ありがどぉっ」と礼を口にした。

 選択としては間違っていなかったようで僕は胸を撫で下ろしたが、代償として周りからの視線を集め、ハンカチはぐしょぐしょになった。


 人間の目からこんなにも水分が出るものなんだと、僕は今日初めて知ったのだった。


 回想終了。

 未だ頭部をテーブルに密着させた彼女に、僕は溜まっていた息を吐く。


「まあ、それは気にしなくていいよ。ハンカチに特段これといった思い入れはないし」


 言うと、彼女にしては珍しくゆっくりと頭を上げた。

 額には「本当に怒ってない?」と書かれていた。

 基本的に僕の感情は、喜怒哀楽どの方向にも長く伸びてはいないため、正確な言い方をするならば何とも思っていないが正解である。


「そんなことより、次の料理取ってきたら? 足りないでしょ、それくらいじゃ」


 僕が促すと、彼女は雷に打たれたような顔をし「第2波行かなきゃ!」と訳の分からない事を口走って席を立った。


 やっぱり彼女の中には複数の人格が存在しているのではないかと改めて思った。


 2巡目のフードハンティングに出かけた彼女の後ろ姿を見届けて、僕は再度ちびちびと料理をつつく。

 彼女の不在により食べるペースが上がったため、じきにお皿が空になった。

 自分の胃袋と相談したところまだ食べたいとの返答を貰ったので、僕はお皿を手に立ち上がる。


 揚げ物や焼き物などお腹にどっしり来るコーナーは素通りし、パスタや寿司などの炭水化物類のコーナーに足を踏み入れたところで彼女と遭遇した。

 いや、遭遇したと言うよりも視界に収めたという方が適切かもしれない。


 炭水化物コーナーは店の出入り口に近いところにある。

 そして彼女は出入り口の外側、つまり店外にいた。


 彼女は誰かと話しているように見えた。

 その話し相手はどこかで見たことのある服装をしていた。

 確か、彼女が普段着ているものと同じ制服。


 彼女が僕に気がつき、笑顔の濃度を高める。

 その笑顔で気づいたであろう、隣にいた人物も僕の方を向いた。

 彼女と、小柄な少女が近づいて来る。

 

「ひよりん、一緒に来た人って、この人?」


 彼女と面識のあるコミュニケーション。

 そういえば彼女は友人から「ひよりん」という愛称で呼ばれているとか言ってた気がする。


「そう! この人、私の友達の望月くん! あ、あと、望月くんも。この子は私の親友の、ゆーみん」


 勝手に紹介に預かったものの、僕は初対面に対する自己紹介のテンプレート文を持っていないので、軽く一礼するに留めた。

 ゆーみんと呼ばれた親友さんは彼女と違って大人しそうな子で、知らない親戚に挨拶をする幼子のように控えめなお辞儀をして、「よろしくお願いします」と礼儀良く答えた。


「もーっ、二人とも素っ気ないなぁー! もっとこう、お互いの趣味とか好きな食べ物とか言い合って親睦を深めたらいいのに」

「それができるスキルがあったら、僕は今頃たくさんの友達に囲まれていただろうね」

「今からでも遅くないって! あ、せっかくだからゆーみんとも友達になっちゃいなよユー!」

「親友さんの意思ガン無視してるけど、友達としてそれはどうなの」

「ねえねえ」


 僕と彼女のやり取りに割って入るように、親友さんが声をあげた。

 彼女とは対照的に親友さんは背が低く、髪も短く、雰囲気も庇護欲をそそる小動物を連想させる佇まいだった。

 

 親友さんは、ぱっつり切った栗色の前髪を揺らし、眠たそうな瞳を彼女に向け、ゆったりとした声で言葉を投げた。


「この人とは、お友達なんだよねー?」

「うん、そうだよ!」


 彼女は断言した。

 僕は否定しなかった。

 この場はそういうことにしておいた方が良いと直感的に思ったというのもあるし、不思議と以前に比べその関係性を拒否しようと思わなかったから。


「そっかー」


 親友さんは納得したように言って僕に目を向けた。

 

 興味津々といった風に、じっと見つめてくる親友さん。

 彼女と同様、親友さんも何を考えているのかはわからなかった。

 大抵、彼女と同伴している事を第三者が認めた時、彼らは決まって「なんでこんな冴えない奴がこの子と」的な表情を浮かべるのだが、親友さんからその雰囲気は感じられない。

 何も考えていないようにも見えるし、内心で目まぐるしく計算をしているようにも見える、という不思議なオーラを纏っていた。


「というかゆーみん、行かないで大丈夫なの? 鈴葉とか待っているんじゃ」

 

 彼女の言葉に、親友さんは思い出したようにぽんと手を打った。


「そうだそうだ行かなきゃ。それじゃひよりん、また学校でー」


 のんびりした口調とは裏腹に、親友さんはぴゅーっと駆けて行った。


「ゆーみんばいばーい!」


 彼女が親友さんの後ろ姿に腕を振る。

 親友さんの背中に背負われたパンダのリュックがやけに印象に残った……ってあれ?


 あのパンダのリュック、どこかで見たことあるような。


 ふと気になって、記憶を司る海馬と大脳皮質に検索をかけるが、それらしき結果は出てこない。

 そもそも普段他人のことを意識していないのもあって、特定個人を思い出すことは僕にとって難易度が非常に高い。


 まあ気のせいかと思うと、すぐに関心は薄れていった。

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