第26話 彼女とおみくじ
ケーブルカー駅から山頂へと続く道中は、所々にお店があったり自動販売機が設置されていたりして登山者には優しい設備が充実していた。
道もしっかりしており他の登山者も多いため、ルートを外れない限り遭難とは無縁そうではあるが、いつ彼女が草むらの方へ突進していくかわからないので油断は禁物である。
途中、香ばしい匂いが漂ってきて足を止めた。
匂いの元は高尾山名物である炭火焼き団子。
彼女は見事に心を射止められた。
おやつ休憩をとりたいと彼女が喚き始めたので二つ返事で了承した。
炭火でパチパチと炙り焼いた団子はモチモチで美味しく、疲労が溜まった身体に良いエネルギー源となった。
ただ、先ほど食べたスープカレーが腹の中で消化待ちをしていたため、僕は途中で食欲を失ってしまった。
5つのうち残り2つとなった団子串を片手に動きを止めた僕を、彼女は指差して笑った。
イラッときたので、少しでも重量を増やしてやろうと自分の団子を押しつけた。
彼女は「いいのっ!?」と目を輝かせ、一瞬のうちに僕の団子もぺろりと平らげてしまった。
満足げな表情を浮かべて腹をぽんぽんと叩く彼女を見ているとさらにイラッときたので、僕の方から腰をあげて歩みを再開した。
しばらく登ると、サル園とやらが左手に現れた。
ネットの情報曰く、100匹以上のニホンザルを飼育している専門の動物園らしい。
彼女は目をキラキラさせて大いに興味を示し、帰りに寄ろうと提案する僕を振り切って入場していった。
肩を落として僕はついて行った。
動物園特有の獣臭に僕は顔をしかめたが、彼女はずっと興奮しぱなしだった。
歩くサルにもきゃー、すてんと転ぶサルにもきゃー、てちてちと走るサルにもきゃー。
身体一つでは足りないと言わんばかりに興奮を全身で表現していた。
動物が好きなのか、サルが好きなのかという僕の問いに対し、彼女は「毛むくじゃらは愛してやまない主義だよ私は!」と、そういえば前聞いたことあるようなセリフを発していた。
ちょうど良いタイミングでサルのショーとやらも開催していた。
ここまできたらと、ついでに鑑賞していくことにした。
子供と思しき小柄なサルが入場した瞬間、彼女は手を叩いて大いに喜んだ。
子猿を指差しぴょんぴょん跳ねる彼女を見て、どっちが子供なんだろうと思った。
サルですらお行儀よく背筋をピンと伸ばしていると言うのに。
僕は、人間の脳みそは原始時代からそう変わっていないと言う学説を思い出した。
サル園を堪能して満足げな彼女の伴って先に進むと、今度は大きなお寺が姿を現した。
ネットの情報曰く、高尾山では有名な開運のパワースポットらしい。
門を潜ると、どこからともなくお香の匂いが漂ってきた。
入ってすぐ左手に手水舎があったので、そこで僕は手を洗い口をゆすいだ。
山歩きで熱を持った身体に冷たい水は気持ちよく、ひと時の憩いに自然と息が漏れる。
彼女は意外にも、木札に記された手順を遵守して手と口を清めていた。
てっきり、水をガブガブ飲むような罰当たりめいた奇行に走るものだと思っていた。
この辺りはちゃんとしているんだなと、僕は少しだけ感心する。
「む、今なんか失礼なこと考えてたでしょ」
「別に」
彼女が思いもよらないエスパーを発揮したので、僕は足早に奥へ進む。
境内の道の両脇には、お守りやおみくじの売店があった。
そのまま素通りしようとしたが、彼女の一声によってそれは叶わなかった。
「一緒におみくじ引こ!」
僕は遠慮したが、彼女の気迫と腕を引っ張る物理的な力に押し切られてしまう。
たった100円で運命を決められる恐ろしい紙切れを引きながら、僕は大きなため息を吐いた。
「こらっ、おみくじ引くときにため息つかないの。運が逃げちゃうでしょ?」
「心配しなくても、僕の運はこれ以上、下がりようがない」
「どうして?」
「初めて引いたおみくじが凶で、次に引いたのも凶だった。それ以来、引いていない」
「神様に2回いじわるされたくらいで大げさな」
「はじめと次に凶を持ってくるなんて、神様はよほど僕という人間に不幸になって欲しいんだね」
「でも確かに、私も凶ばっか引き始めたら嫌になっちゃうかも」
「そういう君は大吉ばっか引くタイプ?」
「あ、わかる?」
ぺろっと舌を出して、まだ開いてもいないくじをひらひらさせる彼女。
彼女が運勢がどん底に落ちることを強く願いつつ、僕は一ミリの期待も抱かずにおみくじを開いた。
「おっ、末吉じゃん!」
横で歓声が上がる。
僕としては微妙な気分だった。
狙ったかのように1段ランクアップしたのは、これからもくじを引いて運を上げなさいという神様からの助言だろうか。
「きっと、私が運をおすそ分けしたんだよ!」
んなわけあるか。
内心で即答するも、乗ってやるとする。
「もしそうだとしたら、君は中吉?」
「ざんねーん」
彼女はにんまり笑って、大吉が刻まれたおみくじを見せてきた。
そのおみくじを奪って紙ヒコーキにしてどこかへ飛ばしてやりたくなった。
なんて事を考えていたら、僕のおみくじが彼女に奪われた。
「どれどれー?」
「ちょっと、人のを勝手に見ないでよ」
「待ち人、来るでしょう。おっ、やったじゃん」
「それだけで信憑性ゼロということが証明されたね」
「案外そうでもないかも?」
「何を根拠に」
吐き捨てるように言うと、彼女が吐息の聞こえてきそうな距離まで顔を近づけてきて、ふにゃっと表情を崩した。
目の前に突然現れた美しい顔立ちに僕は息を呑む。
香水とは違う甘い香りが漂ってきて、僕は静かに距離をとった。
「……なに?」
「んーん、なんでも」
「からかわないでよ」
彼女はにししっと悪戯っぽく笑った。
相変わらず心のうちが読めない。
からかわれているんだろうけど、腹に企みを秘めているようにも感じた。
「君はどうだったの」
「教えなーいっ」
「不公平じゃない?」
「乙女の引いたおみくじはトップシークレットなのだ」
「聞いたことないよ、そんなの」
僕はため息をつく。
「大吉って100点と同じだと思うんだー」
彼女が、さっき2秒で思いついたようなフレーズを風に乗せる。
「99点は99点だけど、100点は200点にも1万点にもなるってやつ?」
「そうそう! わたし多分、幸運貯金はたくさんあるから、望月くんはどんどん運を吸い取っていって良いよ! 」
「代わりに君の運勢が下がるけどいいの?」
「いいよ?」
「いいんだ」
「もちろん」
なんの躊躇いもなく、彼女は笑って言った。
その時ちょうど吹いた山風が、彼女の前髪をさらさらと揺らす。
あまりにも躊躇いもなく言い切るものだから、僕は会話のテンポを一時的に見失ってしまった。
そんな僕に構わず、彼女はくるりと背を向けて本堂の方に足を向けた。
「さっ、おみくじも引いたし、ぱぱっとお祈りしよ」
彼女の中で話題は終わったみたいだったが、僕の中ではまだ先の発言が少し水をかけただけの焚き火のように燻っていた。
もし仮に、運勢が意図的に交換し合えるのだとしたら。
彼女は自分が凶になってでも、他人の大吉を願うのだろうか。
長い髪を揺らして本堂へ向かう彼女の後ろ姿を眺めながら、僕はそんなことを考えた。
本堂にやって来ると、彼女は早々に百円玉を賽銭箱に投げ入れ手を合わせた。
僕は五円玉を放り投げ、同じく手を合わそうとして動作が止まる。
そもそもお寺って、神社とは違い願いを言う場所じゃなくて教えを説いてもらう場所じゃなかったっけ。
いや、確か特定の派の場合だと、お願い事をしても良かったような……まあ、細かい事はいいか。
世界中の宗教を闇鍋のようにミックスしている日本人にとって、賽銭箱がある場所では願い事をしたくなるものだ。
言い聞かせ、手を合わせる。
一瞬、仏の御前に来るのが久しぶりすぎて何を願えばいいのかわからなかった。
まあ無難でいいかと、端的に願う。
『平和な日常が続きますように』
気づく。
その平和な日常とは、一人で黙々と読書に耽る日々のことなのか、それとも……。
「ねぇねぇ! なにお願いしたの?」
彼女が訊いてきた。
素直に答えたら面倒なことになりそうなので、ぼかすことにする。
「至極無難な事だよ」
「世界が平和になりますように的な?」
「いつから僕は博愛主義者になったの? まあ、それの規模を縮めた感じ」
「日本も最近物騒だもんねー」
「まだ大きい」
言うと、彼女は可笑しそうに笑った。
それ以上は聞いてこなかった。
「一応聞くけど、君はなにを願ったの?」
「おっ、興味あるんだ」
「少しだけ」
「へえぇーーー?」
勿体つけるように語尾を伸ばし、にまにまと笑う彼女。
なんと腹立たしい。
明かす代わりに何か対価を求められるんじゃないかと思ったが、杞憂だった。
両手を後ろに組み、下から覗き込むようにして、彼女は言った。
「今の日常が続きますようにって、お願いしたよ!」
驚く。
彼女の願いは、僕のそれと重なっていた。
僕の胸の奥で、何かが擦れるような感情が湧いた。
決して嫌ではないけど、なぜむず痒い、そんな感覚。
なんだろう、これ、と首を傾げる。
「よーし! お願い事もしたし、あとは目指せ頂上、だね!」
お寺からパワーをもらった彼女は活き活きと声を弾ませ、えいえいおーと天に拳を掲げたあと元気に一歩を踏み出した。
彼女の後を追う。
僕の足取りは控えめだった。
先ほどの感覚について境内を出るまで考えてみたが、結局答えは出なかった。
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