第62話 同僚のアドバイス


 一夜明けて、金曜日。


 東京一帯は、朝から厚い雲に覆われていた。

 予報によると、夜から雨が降るらしい。

 そんな空模様を写したかのように、僕の心にも暗雲が垂れ込めていた。


 朝からずっと、昨晩のことが気がかっていた。


「どーした望月、浮かない顔して」


 デスクで仕事をしながらちらりとスマホを見るという、朝から何十回繰り返したかわからない動作をしていると涼介が話かけてきた。


「そんな顔してる?」

「おう。なんつうか、気が気でなくてそわそわしてるというか」

「相変わらず鋭いね」

「あざす! もっと褒めてくれてもいいぞ?」

「いつも目ざといね」

「それ貶してるくね!?」


 いつものテンションの涼介を見ていると、ほんの少しだけ気が緩んだ。

 ほんの少しだけ。


「それで、なにがあった?」


 涼介が隣の席に腰掛けて一転、落ち着いたトーンで尋ねてくる。

 

「……具体的には何があった訳でもないけど、何か起こりそうな気配ではある」

「なんだそりゃ」


 流石の涼介も、首を捻った。


 ……まあ、涼介にならいいか。


 正直なところ朝からモヤモヤしていたのもあって、誰かに話したい気分ではあった。


「なるほどなぁ」


 涼介が大きく息を吐く。

 

 彼女と親の間に何かしら確執があること。

 それについて尋ねた際、彼女が見せた反応。


 そして、昨晩の一件。

 おそらく、親からの連絡だろうという僕の推測も話した。


 他人に話すと気が楽になるという法則は幸い僕にも適用されるらしく、話し終えるとだいぶスッキリした心持ちになっていた。


「確かにそりゃ、これから何か起こりそうな気配ではあるな」


 僕の言葉を反芻し、腕を組む涼介。


「僕は、どうすればいいと思う」


 尋ねると、涼介は「うーん」と天を仰ぎ、難しい顔をして切り出した。


「第三者の意見を言うと……これはJKちゃんとそのご両親の問題だから、お前が介入する余地はないな」

「まあ、普通に考えるとそうだよね」


 頭ではわかってる。


 彼女とは赤の他人同士。

 家族の問題に介在するなど、お門違いもいいところだ。


 でも、何かできることはないかと思ってしまう。

 彼女の、歪んだ表情を思い出すと余計に。


 そんな僕の胸襟を察したのか、涼介が続ける。 

 

「現状、お前ができることは限られてると思う。せいぜい、なんか悩みがあったら相談してくれ的な事を伝えるくらいだろうな。でも……」


 そこで言葉を切り、涼介は言った。


「一番大事なのは、何があったとしても、お前がお前のままでいることがなんじゃねーの」


 そのアドバイスはすとんと、妙に腹落ちした。 

 今どうするかを考えるより、何か起こった際に自分はどうするかの方が重要に思えた。


「……うん、その通りだと思う」

「だろ? まー、お前は何があったとしても、俯瞰して観れるタイプの人間だから、多分大丈夫だろ」


 先日、奥村さんにも同じようなことを言われた気がする。


「でも、意外だな」

「なにが?」


 訊くと、涼介は「わからないのか?」とでも言うような表情で、僕が全く気づかなかった事柄を口にする。


「こんなにお前が、他人に頭を悩ませるなんて」


 言われて、ハッとした。


 確かに涼介の言う通り、僕は今、彼女のことが気がかりで、仕事も手につかない有り様だ。


 何よりも優先させていた仕事よりも、彼女のことを考えている。


 以前の僕なら絶対に生じなかった思考パターン。


 これも間違いなく、彼女の影響。


 知らず知らずのうちに僕は、彼女の利他的な部分にまで感化されていたのだろうか。


 それとも、もしかして、僕の優先順位の中に占める彼女の割合が、想像以上に大きく……。


「そんなにJKちゃんの事が好きか」

「いきなり何言い出すの」


 じとりと涼介を見やると、彼はくくくっとわざとらしく笑って肩を竦めた。

 心臓に悪い冗談だと、ため息をつく。


 僕の変化については今、感慨に浸っている場合じゃない。

 

「参考程度に聞きたいんだけど……落ち込んでいる女の子を目の前にした時、君ならどうする?」

「話をひたすら聞いた後、頭を撫でて落ち着かせ、ハグして頭をぽんぽんする」


 光の速さで即答した涼介に、ため息をつく。


「後半、参考にならなかった」

「そんな白けた目すんなって。俺は至って大真面目だぞ?」

「真面目だと思ってもらいたいなら普段の行いを正すべきだと思う」

「ひでえ。じゃあ逆に望月は、どうするんだ?」

「問題の解決策を一緒に模索する」

「ダメだ望月。そりゃダメだ」


 両手を上に向け、涼介はやれやれと首を横に振った。

 何がダメなんだろうと釈然としない表情をする僕に、涼介は人差し指を立て諭すように切り出した。

 

「いいか望月。落ち込んでる彼女たちが求めてるのは『共感』と『安心』だ」

「共感と、安心……」

「そうだ。女子って生き物は、男の俺たちが思っている以上に繊細なんだ。これはマジマジのマジだから。違ってたら舌切ってもいい」


 鬼気迫る勢いで断言する涼介に、思わずたじろぐ。

 

 とはいえ、涼介の発言に思い当たる節がないわけではなかった。

 彼女も以前、同じようなことを言っていた。


 そして共感してもらえることが、暖かい感情を呼び起こすという事にも覚えがあった。

 無論、彼女が原因で。


「参考程度にしておくよ」

「これは参考じゃなくて信条にしてもいいと思うけどな」


 そう言い置いて、涼介が笑いながら立ち上がる。


「そろそろ戻るわ」

「了解。相談、乗ってくれてありがとう」

「いいってことよ。まあ、何か進展あったら言ってくれ。俺も純粋に気になる」

「わかった」


 そのやりとりを最後に、涼介は自分の席に戻っていった。


 僕もパソコンに向き直り、指を走らせる。

 気分は少しだけ、軽くなっていた。

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