第4話 彼女の力と提案

 僕の住むマンションの間取りは1LDK。

 システムキッチン完備でオートバス付き。

 玄関から廊下を挟んですぐに広々としたリビングがあり、その隣に寝室がある。

 一人暮らしには贅沢すぎるこの部屋は、働くに当たってせめて生活環境は良くしたいと思い自分で決めた。

 服にもレジャーにも全くお金をかけないため、家賃に関しては今の給料で問題なく賄えているが、正直なところここまでお金をかけなくても良かったと後悔している。


 一人で暮らすには、この部屋はあまりにも広過ぎたのだ。


 そんな我が家の寝室のベッドに、僕はぐったりと横たわっている。

 すっかり使い物にならなくなった僕を、彼女が引き連れ寝かしてくれたのだ。


 流れでそうなったとはいえ、無理やりドアを閉めてでも彼女を家に入れるべきではなかったと僕は後悔していた。

 倫理的な観点はもちろん、自分の部屋が今、由々しき事態になっているからだ。


「うっわ、すごいねこの部屋。図書室みたい!」


 彼女の発言は文字通り、リビングの至る所に積み上げられた書籍に対するものだ。

 小説をメインに、ビジネス書や百科事典など、そのラインナップは様々である。


 僕はたぶん、読書家だ。

 仕事以外の時間は、暇さえあれば本を読んでいる。

 当然、購入する本の数も膨大で、気づけば本棚から溢れてしまった。

 そのせいで今、僕の根城は、積み本タワーが何棟もそびえ立つ汚部屋になってしまっているのだ。


「えーと、なになに。「華々しき鼻血ぶー」 なにこの本のタイトル、変なの」


 勝手に本を物色していた彼女から、くすりと小さな笑い声が上がる。

 普段本なんて読まなさそうな彼女からして、この部屋は新鮮に映っているのかもしれない。


 本で乱れ散らした部屋を赤裸々に見られ、僕の中の些細な羞恥心が声を上げていた。


「男の一人暮らし、なんて……こんなもんじゃ」

「いやいや、そんなことはないって」


 僕のささやかな反論はぴしゃりと言い伏せられる。

 言い返す気力もないので押し黙った。


 早く興味を失ってくれと願うばかりであった。

 その願いが通じたのか、彼女が本を物色していた時間は3分もなかったと思う。

 飽きたのか、体調を気遣ってくれたのか、どちらかは知らない。


「じゃあとりあえず、風邪治そっか」


 スーパーに牛乳でも買いに行くようなノリで言われた後、床に積み置かれた本をどかす音と床に膝をつく音がし、視界の横から彼女の顔がひょこりと出現する。

 涼やかな微笑みを浮かべる彼女は、なぜか楽しそうだった。


「さてっ、これから望月くんを、ちょっぴり不思議な力で治しちゃいます」


 某3分クッキングの開幕のようなテンションでさらりと常識はずれな宣言をする彼女。

 僕が彼女の言葉を怪訝に思わなかったのは、昨日の子猫の一件があったからに他ならない。


「ただ、ここで注意点があります」


 彼女が先生のようにピンと人差し指を立てる。


「私の力も万能ではありません! だから、完治はしないということは事前に言っておくね。超しんどいから、ちょっとしんどいくらいにはなると思うけど、それでもいい?」


 とにかくこの最悪な気分から抜け出せるのならと、回っていない頭でこくこくと首を縦に振る。

 それを了承と合図と受け取った彼女の表情が、少しばかり真面目なものに変化した。


 先ほどまでとは明らかに違う空気。

 彼女はわずかに逡巡する仕草を見せた後、おもむろに小さな手を僕の頭に乗せてきた。

 ひんやりとした感触に表情を強張らせると、彼女はくすりを頬を緩ませた。


 そして、聞き覚えのあるフレーズが紡がれる。


「この人を癒して」


 正直なところ、昨日の出来事を含め、彼女がいわゆる「ファンタジーな力」を持っていることに関しては半信半疑だった。

 科学的な作用を介さず対象に劇的な変化をもたらすことを魔法や超能力と呼ぶが、それは創造上の産物であることは中学生でもわかることだ。


 だが今この瞬間、いわゆる目に見えない超常的な力の存在を、僕は認めざるを得なくなった。


「あれ……?」


 自身の身体に起きた明瞭な変化に、拍子の抜けた声が漏れる。


 時間にして数秒ほどの出来事だと思う。

 先ほどまで鉛のように重くのしかかっていた倦怠感と、沸騰するんじゃないかと思うほどの熱が、嘘のように引いていた。


 正確に言うと、だいぶ軽減されていた。


 上半身を起こして額に手を当ててみる。

 まだ少し熱っぽい。

 身体も若干重く平常時のコンディションとは言えないが、それでもさっきと比べれば雲泥の差だった。


「どう?」


 反応が楽しみで仕方がないとでも言わんばかりに尋ねてくる彼女。

 その額にはうっすらと汗が滲んでおり、わずかに息が上がっていた。


「なんか、疲れてる?」

「私のことはいいの! で、どうなの?」

「えっと、なんというか」

「んっ! さっきに比べて声に張りが戻ったね! だいぶ楽になったんじゃない?」

「まだなにも言ってないんだけど」


 とはいえ概ね彼女の言う通りだった。

 日常生活において驚きの感情を持つことが少ない僕も、常識を無視した不思議な力に興味を持たざるを得なかった。


「これは一体なに?」

「んーと、「魔法」かな!」


 えへんと胸を張り、いとも容易く言ってのける彼女。

 それに対する僕の返答は、簡素なものだった。


「……ああ、なるほど」

「え! それだけ!? もっとこう、ないの!?」


 大仰に声を荒げる彼女。

 素直にオーバーリアクションで応えるのは柄ではないので平坦な対応をしてしまったのだが、それが予想外だったようだ。


「いや、ちゃんと驚いてるよ? 顔に出ないだけで」

「絶対うそだー! まだ信用してないって顔してる!」

「なんだ、信用してない顔って」


 アニメやライトノベルの世界にしか存在しないと思っていた超常的な力が現実世界に存在していた。

 それ自体は非常に驚いている。

 信用してくれないのはむしろ彼女の方ではないだろうか。


「現代の科学では説明のできないことなんて、たくさんとある。そのひとつだと思えば、案外納得できる」

「ぬはー、君って現実主義者なんだね」

「今まで話してて思わなかったの?」

「面白い人だなーって」


 くすくすと笑う彼女。

 同じ生き物なのかと疑ってしまうくらい、彼女は頻繁に表情を変える。


「とりあえず、助かった。ありがとう」

「そんなかしこまらなくてもいいのにー。私は単に、昨日のお礼をしただけだし」

「傘を貸したことと風邪を治してくれるのとじゃ、あまりにも差がある」

「そんな細かい事気にしないでいいって! そもそも君が風邪を引いた原因は、私に傘を貸してしまったせい」

「いや、だからそれこそ気にしなくて」

「だと思っていたんだけど」

「ん?」


 彼女の視線を追うと、台所に放置されたゴミ袋に行き着いた。

 透明なゴミ袋の中には、近所のスーパーで大量購入したカップ麺の残骸がぎっしりと詰まっている。


「どうやら君にも原因があったみたいだね!」

 

 お前が犯人だと言わんばかりにビシッと人差し指を向けられる。

 人を指さすもんじゃありませんと学校で習わなかったのかと思いつつも、バツが悪そうに顔を背ける僕。


 お世辞にも、自身の食生活は整っているとは言えない。

 昼はオフィス周辺で外食、夜は自宅でカップ麺という生活だ。

 体調を崩す要素盛りだくさんである。


「いや、最初はちょっと頑張ってたんだけどさ。ただ、材料を買う時間とか、作る手間とか、片付けの労力を考えたらインスタントで良くないかと」

「言い訳無用! それで身体を壊したら本末転倒じゃん」


 考えついた反論も、彼女の切れ味の良い正論にばっさりと斬り捨てられてしまう。

 実際、壊してしまったのだから返す言葉もない。

 だが、彼女の表情が単に僕の食生活を心配しているわけでもなく、なにか悪巧みを考えついたそれに変化しているような気がして、なんとなく嫌な予感がした。


「だからなに。僕の食生活に小言を言って、なんになるの?」

 

 彼女は表情筋を楽しませてにんまりとした。

 ああ、やっぱりこれは何か悪巧みを考えている顔だし、その予想は見事に的中した。


「一回部屋に戻って準備してくるね! その間に、君も着替えておいて」

「待って待って話が見えない。準備? なにするつもりなの」

「ちょっと台所借りるだけだよ。使われている形跡は全くないから、いいよね?」

「いいよね、じゃないよ……えっとつまり、夕食を作ってくれるの?」

「それ以外になにかある?」

「むしろそれをしてくれる理由がわからなくて困惑してるんだよこっちは」


 提案自体は魅力的だが、風邪を治してくれた上に夕食までご馳走になるのは申し訳ないし、そもそもこの関係値でご相伴に預かるのも居心地が悪い。

 なにか裏があるのではないかと疑ってしまう。

 もし無かったとしても、彼女が単なる思い付きで提案しているのであれば、気持ちだけ受け取って丁重にお断りしようと思った。


「このまま放置して帰ったら君、ちょっと体調が良くなった事をいいことにカップ麺に手を伸ばしちゃうでしょ?」

「…………いや、流石にそれは」

「はい、間があった! 即答しなかったってことは、可能性大だね!」


 詰められて、押し黙る。

 カップ麺ひとつくらいは食べられると思ったのは事実だったから。


「もしそうだとして、何か問題が?」

「問題が、じゃないでしょーっ。せっかく治したのに添加物で無にされる気持ちになってみなさい」

「……いい気分ではないね」


 そういえば彼女が魔法とやらを使い終わった後、少しばかり体力を消費しているように見受けられた。

 推測だが、魔法とやらを使うと何かしら消耗するのだろう。

 となると確かに、労を費やしたものを無駄にされたくない気持ちも頷ける。


「ああ、だから君がまともな料理を作ってくれるってこと?」

「少なくともカップ麺よりは身体にいいもの作れる自信があるなー」


 得意げな笑顔をドヤドヤと見せつけてくる彼女。

 どうやら彼女は、感情と思いつきが先行して後から理屈がついてくるタイプらしい。

 それっぽく辻褄を合わせた感は否めないが、この流れで断る理屈を僕は持ち合わせていなかったし、正直考えるのが面倒臭くなってきていた。

 

「……じゃあ、今日だけ」


 考えた末に条件付きで了承すると、彼女は満足げに頷いた。


「よろしい! たぶん30分くらいで帰ってくると思うから、その間に着替えとか済ましておいてね!」


 そういえば会社に着て行ったままの服装だった。

 言われて自覚すると、着替えたい欲が湧いてくる。


 30分もあればシャワー浴びれるかな。

 あれ、でも病み上がりにシャワーってよくないんだっけ。

 そんな事を考えている間に、彼女はさっさと寝室から出ていった。

 嵐が去った後の自室は、妙に静かに感じられた、


「あいたっ! もー! 膝打った!」


 リビングから聞こえてきた悲鳴に、完治したら部屋を少し片付けようと心に誓った。


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