第5話 彼女の気遣い
「あ、起きた」
鈴を転がすような声と共に、瞼が重々しく持ち上がる。
視界を、見覚えのある端正な顔立ちが占拠していた。
ぼんやりとした意識の中で経緯を思い返し、今、彼女に贈るべき最も最適な言葉を口にする。
「……ごめん」
「許しませんっ、私は待ちくたびれましたー!」
寝起きにキンと来る声に顔をしかめつつ、もぞもぞと起き上がって時計を見ると、時刻は夜の8時。
やってしまったと、頭を掻く。
彼女が部屋に帰った後、言われた通りに着替えを済ませた。
手持ち無沙汰になってから、戻ってくるまでちょっと横になるかーくらいの気持ちで寝転んだのがまずかったらしい。
生産性のない3時間を過ごさせてしまったことを申し訳なく思うと同時に、どんなお詫びをすれば良いかと思い悩む。
「ま、仕方ないっか。まだ具合悪そうだし」
と思ったら、彼女は僕の罪悪感だとか申し訳なさという感情を軽く流した。
多分、おおらかで細かいことは気にしない性格なんだろう。
「そんなことより、体調はどう?」
ベッドに両手をつけ、恋人に手作り料理の感想を求めるようなノリで聞いてくる彼女。
「ん……だいぶマシになった」
「よかった!」
上機嫌に声を弾ませてから、彼女はガサガサとビニール袋を漁り始めた。
袋には、近所にある薬局のロゴマークがプリントされている。
「はい、これ飲んで」
渡されたのはペットボトルの水と、市販の風邪薬。
「わざわざ買って来てくれたの」
「へへ、偉いでしょ?」
腰に手を当てえへんと胸を張る彼女。
偉いとは思わないけど優しいと思った。
僕の彼女に対する評価がほんの少しだけ上方修正される。
ほんの少しだけ。
「水も、ちゃんと常温なんだ」
「お、そこに気づいてくれるなんて意外」
「風邪を引いた時には胃に負担をかけないよう、冷たい飲み物よりも常温に近い方が良いって、前読んだ本に書いてあった」
「へぇ、なんて本?」
「家庭医学大百科」
「君って頭がおかしい人?」
「失礼な。小学生の頃、家に一人でいるとき風邪ひいて、その時に読んだんだ」
「風邪ひいて医学大百科を読む小学生もどうかと思うなー」
そういう小学生だったのだから仕方がない。
我が家にパソコンが導入されるまでは、専ら紙媒体から情報を仕入れる日々だった。
「ん! 薬もちゃんと飲んだね!」
彼女が満足げに頷く。
「それじゃ私、ご飯温めてくる! できたら呼ぶから、今度は寝るんじゃないぞー?」
「ちなみに、なに作ったの?」
「うどん!」
「定番だね」
「麺が好きなのかなーって」
ニヤニヤとした目線が積み重ねられたカップ麺タワーへと注がれる。
なんとも言えないむず痒さを感じて布団を被りたくなった。
「5分くらいでできると思うから!」
部屋から出て行く彼女の後ろ姿を見送り一人になる。
今更ながら、なんでこんな事になったのか思い起こす。
普通に考えると、風邪で弱っているとはいえ男の部屋に女の子が単身で上がり込んでくるなんてありえない。
向こうからすると襲われるというリスクがあるのだから。
ということはよっぽど警戒心がないのか、あるいは罪悪感と正義感がそれに勝ったのか。
「まあ、前者か」
彼女はまだ高校生。
社会の理不尽だとか、平気で人を騙してくる汚い大人とかとにはまだ縁が無さそうに思える。
もし自分が後者の部類だったらどうすんだと思ったが、その点はよく見られているのかもしれない。
僕が受けてきた他人からの評価は良いもので落ち着いている、人畜無害。
悪いもので影が薄い、地味、人に興味が無さそう、ロボット。
つまるところ、女の子に手を出せるような度胸のない鶏肉野郎で、彼女も同じような判断をしたのだろうか。
「わからん」
考えても推測の域を出ることがなく、無駄なカロリーを消費することに馬鹿らしさを感じてベッドに背中を預ける。
「ん?」
ふと、枕がいつもの感触でないことに気づく。
見ると、まだ冷たい氷枕がタオルに巻かれて敷かれていた。
氷枕を常備していた記憶はないから、おそらく彼女が持って来て敷いてくれたのだろう。
彼女、さぞモテるに違いないと勝手なイメージを持った。
明るくて活発で、気遣いもできる美少女。
自分は苦手なタイプだが、学校にいたら周りに人の輪ができる子だ。
そのような女の子を、イケメンたちが放っておくわけがない。
イケメンでもない僕が彼女と空間を共有していることは奇跡に近い現象だなと、しみじみ思った。
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