第6話 彼女の料理の腕前は

 宣言通り、10分ほどでリビングに呼ばれた。

 ソファに座って待っていると、湯気が立ちのぼる土鍋を手に彼女がやってきた。


 ……土鍋?


 センターテーブルに敷かれた鍋敷きの上に、重厚感のある土鍋が置かれる。

 ちょっと待て、想像していたのと違うぞ。


 土鍋のふたが開けられると、熱気とともに白い湯気が立ち昇る。

 かつおダシと醤油の合わさった甘い匂いがすっと漂ってきて、昼から何も食べていない空っぽの胃袋がキュッと締まった。


「はい、どーぞ!」


 姿を現した鍋焼きうどんの全容に、僕の視線が釘付けになる。


「んんっ? なになに? あーんして欲しいの?」

「アツアツのまま口に突っ込まれそうだから遠慮しとく」


 淡白に返すと、彼女は肩頬をあげてあははっと笑った。

 そんな彼女を尻目に改めて食卓に目を向ける。

 なかなか箸に手が伸びないのは、眼前に置かれた鍋焼きうどんのクオリティに度肝を抜かれていたからだ。

 

 ぐつぐつと煮えたぎるそれは、お店で作りましたと言っても遜色のない出来栄えだった。

 黄金色のスープに、見栄え良く盛られた小麦色の麺。

 その周りには大ぶりに切られた白ネギがどっさり添えられており、真ん中には金色に輝く半熟卵が主役だと言わんばかりに鎮座している。

 細く切られたお揚げや種を取り除いた梅干しも、しっかりと存在感を主張していた。


 これで美味くなければ僕は一生、視覚情報に対して懐疑心を持ち続けることだろう。


 それくらい、美味しそうだった。


「いただきます」


 ようやく鍋に箸を伸ばす。

 よく冷ました後、ゆっくりとうどんを啜る。


 麺はコシが強く太め。

 カツオと昆布の出汁が効いた醤油ベースのスープとよく絡み合っている。

 熱々のスープは甘くほんのりと優しい味がして、胃に収めると身体の芯から温まっていくような感覚を抱いた。


 ふと視線を感じる。

 横を見ると、確信犯的な表情を浮かべてニヤニヤしている彼女がいた。

 どうやら彼女は自身の料理スキルを心得ているらしく、次に出てくる言葉を期待しているようだった。 


「美味しい」

「ほんとにっ!? やたっ」


 望んだとおりの返答だったようで、ぐっと両拳を握ってガッツポーズ。


「料理、上手なんだ」

「まー、一人暮らし歴も長いからねぇ」

「へえ」


 今知った事実である。

 女子高生でこのマンションに一人暮らしとは、かなり裕福な家庭なのだろうか。


 なんてことを考えながらうどんをちゅるちゅる。

 それにしてもこれ、本当に美味しい。

 飲み込む前についつい箸が鍋に伸びてしまっていた。


「もー、そんな慌てなくたって、誰も取ったりしないよ」


 微笑ましげな声に構わず、ものの10分足らずで鍋は空になった。


「わっ、もう無くなっちゃった。さすが男の子」

「美味しかったから」

「もーっ、お上手ねぇきみ!」

「痛いんだけど」


 上機嫌になった彼女がバシバシ背中を叩いてくるもんだから苦言を呈しておく。

 病人なんだから、物理的な衝撃は控えて欲しい。


「ご馳走様、美味しかった」

「ふふっ、どういたしまして!」


 彼女は満足げに頷き、満面の笑みを讃えた。


「あ、そうだ」


 僕は財布を引っ張り出してきて、5000円札を1枚差し出す。


「これは?」


 こてりと小首を倒す彼女に、簡潔に言う。


「薬と水と氷枕代」

「多すぎ! 合わせて1000円もしないよ」

「じゃあ鍋焼きうどん代」

「材料費合わせても300円もしませんっ」

「手間賃込みってことで」

「ダメーっ、お金は大事にしなさい」

「困った、今これしかない」


 物品的なものは諸々合わせても2000円もしないだろうけど、別に樋口さんを渡してもいいと思っていた。

 なにせ、本来であれば数日は高熱でうなされるところを、一瞬で治してくれたのだ。

 むしろ5000円でも安いと思う。


 という説明も付け加えたが、彼女はそうはいかないと言わんばかりに首を振るだけであった。

 

 となると、どこかで崩してきて彼女が消費した金額分だけを渡した方が良いと判断する。

 

「じゃあさ!」


 ちょっとコンビニで崩して来ていい? と尋ねようとした時 、彼女がまたよからぬ笑みを貼り付けて声を張った。


「今度は君が私にご馳走してよ!」


 ほら、やっぱり。


「ねえそれ、僕が料理できないの知ってて言ってる?」

「ご馳走してとは言ったけど、料理をしてとはいってないよ?」

「えーーと……つまり、どこかのお店に連れていけと?」

「連れて行ってほしいなー。どっかいいとこ知ってる?」


 キラキラと、期待に瞳を輝かせる彼女。

 なにがどう彼女の思考回路が組み合わさってその提案に至ったのか、軽い恐怖すら感じる。


「知ってるけど……別にこの5000円をコンビニで崩してくれば」

「だめ! 病人なんだから、今日は大人しくしなさい」

「じゃあ、体調治ってから返しに」

「もー、言わせない! 私は君とご飯を食べに行きたいの!」


 言われて、なぜ? という疑問が浮かんだ。

 しかし、尋ねるほどの気概はなかった。

 有無を言わせない彼女の気迫に押された上に、大きな波には逆らえない己の性分が作用してしまう。


 悩んだ末、尋ねる。


「好き嫌いは?」

「ない!」

「ありそうにないもんね」

「何を食べても美味しいと感じる幸運の舌の持ち主なのだよ。君は?」

「特に」

「いいね!」

「じゃあ逆に、好きな食べ物は?」


 尋ねると、彼女は首をゆっくりと傾げ始めた。


「うーん……難しいなー......強いて言うなら、肉? こう、歯ごたえがあって対抗してくる感じが好きで!」

「どんな理由なの」


 たしかに彼女は、肉食か草食かで分けるなら肉食な気がした。

 でっかい骨付きのマンガ肉をもっちゃもっちゃと頬張る姿が似合いそうである。


「わかった、じゃあその方向で」

「ありがとう! あっ、でもそんなに高くないところね! あと、変に私に気を使ってお洒落で量が少ないみたいな所もNG。私、こう見えて結構食べれるから」

「どこをどう見たら少食と判断できるのか教えて欲しい」


 常に元気を振りまいているのだから、消費するエネルギーも相当なものに決まってる。


 肉で美味しい店……となれば、いくつか候補はある。

 食に対する欲求はそれなりにはあるため、休日はソロでお店を開拓したりしている。


 読書と並ぶその趣味が、まさかこんなタイミングで活かされるとは。


「あ、もうこんな時間!」


 はっとした声。


 時刻は夜の10時前。

 年頃の女子高生が、単身で男の一人暮らし部屋いてはまずい時間だ。

時間関係なくまずいのだけど。


「そろそろ寝ないとだから、部屋に戻るね」

「寝るの、早いんだね」

「いつもは日付変わるくらいまで起きてるんだけどねー。今日はほら、力、使っちゃったから」


 なるほど。

 やはり彼女が使ったあの力は、何かしらエネルギーを消費してしまうらしい。

 それが体力なのか精神力なのかはわからないが、どちらにせよいつもより多くの睡眠時間を必要とするのかもしれない。

 一人で納得していると、彼女がちらちらと伺うような視線を投げかけていることに気づいた。


「なに?」

「やっ……えーと、なんでもない!」


 気にはなったが、なんでもないと言うのであれば、深堀りしないほうが賢明である。


「とりあえず、今日はありがとう。とても助かった」

「いいっていいってー。私も、君が元気になってなによりだよっ。でもまだ完治はしてないんだから、ちゃんと温かくして、たくさん水分とって、身体に悪いモノは食べないこと! わかった?」


 子供に言い聞かせる母親みたいに人差し指を立てる彼女に「わかった」と返す。

 「よろしい!」と頷く彼女はとても満足げだった。


 そのあとは流れで連絡先を交換することになった。

 いっそう機嫌を良くした彼女は「それじゃまた!」と、韋駄天の如く身を翻して部屋から出て行った。


 ひとりになった自室は、やけに静かに感じられる。

 彼女がいかに勢力の強い嵐だったか推し量るのは容易であった。


「……寝るか」


 彼女のおかげで体調はだいぶマシになったが、精神的にだいぶ疲れていた。

 普段こんなに人と話す機会がない上に、彼女のような人間とのコミュニケーションマニュアルの持ち合わせが無いため、気力をごっそり持っていかれたようだ。


 明日は土曜日だし、目覚ましをかけずに心ゆくまで寝過ごそう。

 

 そう心に誓った。

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