第19話 上司との1on1
「それじゃあ、1on1(ワン・オン・ワン)始めるわね」
「お願いします」
彼女と映画を鑑賞した日から数日が経過したオフィスの応接室。
僕は奥村さんと1on1に臨んでいた。
1on1とは月に一回、この会社で実施されている、上司と部下が1対1で行う面談のこと。
上司との面談というと一方的に指示を与えられ管理されそうな響きではあるが、実際は部下の現状や悩みに寄り添い、評価シートを基に部下の能力を伸ばす、という趣旨のものだ。
「それじゃあ早速、望月くんの過ごした10月は天気で例えると、どうでしたか?」
「今月の天気は……」
この面談は決まって、「今月の天気はどうだったか」という切り口から始まる。
もちろん、気象庁が発表している実際の気象の事ではなく、この一ヶ月の心のコンディションを天気で例えよ、という意味だ。
入社して初めの頃は「天気でコンディションを表せってなんだそれ」と不思議に思っていたが、なかなかこれが勝手が良いことに気づいた。
その都度違う言葉で説明するよりも、双方の共通認識である天気で例えた方がわかりやすく、コミュニケーションコストの大幅な削減に繋がる。
もう今回で7回目となる1on1という事で、僕は予め用意して置いた答えを口にした。
「中旬までは晴れだったんですけど、下旬から雨でした」
本当は『嵐』と言いたいところだったが、一応『晴れ 曇り 雨』の三段階で答えると言うルールがあるので留めておく。
「ふむふむ、なるほどなるほど」
頷きながら、僕の発言内容をノートPCに打ち込む奥村さん。
僕が「雨」を使うのは入社初めで業務が一杯一杯だった4月以来だったためか、奥村さんの纏う空気に微かな緊張感が宿った。
「雨だったのは、どうして?」
「仕事に関しては全く問題は無いんですが……プライベートが少々、騒がしくなったというか」
「それって」
一瞬、目線を上に向けた奥村さんがピンときたように答える。
「先週言ってた、例のお隣ちゃん?」
「ご明察です」
「今も交流してるの?」
「はい」
「おっ、ちゃんと実行してくれてたんだ」
「はい、一応」
奥村さんのノートPCがカタカタと音を鳴らす。
「それが、どうして雨に繋がるの?」
僕は顎に指を添え、頭を整理してから答えた。
「混乱することが増えたからです。彼女といると、理屈じゃ説明できないような心情になることも多くて、メンタルが安定しないというか」
「メンタルが安定しない?」
「頭が空っぽになる……違う、理論立てて考えられないという方が正しいんですかね……すみません、纏まらず」
「いいのいいの。言いたい事は理解できるわ」
奥村さんは腕を組み、少し考える素振りを見せたあと質問を重ねる。
「夕食以外に、その子と何かした?」
「2回ほど外食したのと……あと、この前、映画を一緒に観に行きました」
「へー! 何観に行ったの?」
「ケーキの子です」
「あっ、それ今すごい流行ってるやつ。どうだった?」
「内容はすごく良かったです。個人的には視聴者ウケを狙って置きに来るかなーって思ってたんですが、全然そんなことはなくて」
「違う違う。その子とのデートはどうだったかって質問」
「でーと?」
余りにも馴染みの無い単語だったから、僕は大きく頭を捻った。
だってほら、デートって、ようするにあれじゃないか。
「彼女とそういう契約を結んだ覚えはないのですが」
「中学生かっ」
奥村さんにしては珍しく、中学生のようなツッコミを放ってきた。
「デートは別に、恋人同士でなくとも親しい関係なら成立するイベントよ」
「そ、そうなんですね、勉強になります」
「それで、どうだったの?」
奥村さんの問いに、僕は先日彼女に送信しなかった感想を言葉にした。
「……それなりに楽しかったです、けど」
「けど?」
「彼女のある発言が、よくわからなくて」
「ある発言?」
「他人が嬉しいと、自分も嬉しい気分になるって、彼女は言ったんです」
言うと、まず奥村さんはきょとんとした。
変な事言っただろうかと憂慮していたら、見目麗しい上司は理解が追いついたのか目を瞬かせた。
奥村さんの口角が僅かに上がった、ような気がした。
「なるほどねー」
またカタカタとキーボードを叩く繊細な指先は、まるで機嫌よく鼻歌を歌っているみたいだった。
上司の「なるほどねー」はそこそこ心臓に悪く、僕は何かお叱りを受けるのではないかと僅かに身構えた。
「うんっ、いい兆候かも」
僕の懸念とは裏腹に、奥村さんは声を弾ませてノートPCのディスプレイをこちらに向けてきた。
「これが望月くんの評価シート。さっきまで、数値は先月と変わりなかったんだけど」
シートに記載された項目を上から順に見ていく。
・仕事の正確さ:3/5
・仕事を捌くスピード:4/5
・業務に繋がる情報の収集力:3/5
中略。
ずらりと15個ほどある項目のうち、僕は視線はある一点に注がれた。
・他人に興味関心を持ち、理解しようとする姿勢:1/5
「上がってますね」
先月、この項目は0/5だった。
そして奥村さんは、さっきまで数値は変わっていなかったと言った。
「さっき上げました、期待も込めて」
「期待……」
顔を上げると、奥村さんは初めて自分の名前が書けた我が子に向けるような表情を浮かべていた。
形の良いくちびるが言葉を紡ぐ。
「他人が嬉しいと、自分も嬉しい。その感覚は、人の気持ちを理解する上でとっても大切なもの。それに関心を持ったって事は、少なくとも望月くんは、この項目の数値が上がる見込みがある、という期待を込めて」
いまいちピンとこなかった。
確かに奥村さんの言うように、僕は彼女の発言に疑問を感じた。
しかしそれは気持ちを感覚的に修得したいというよりも、どういうロジックでその気持ちが生じるのか、知的好奇心に基づいて答えを知りたいという側面が強いように思えた。
「すみません。仰る意味は理解できるんですが、感覚的にはどうにも……」
おやつを忘れられた子供のように釈然としない表情で言う僕に、奥村さんはくすりと笑う。
「答えを言うのは簡単なんだけどね。それじゃあ望月くんの成長につながらないでしょ? こういうのは習うより慣れた方が良いと思うわ」
「習うより慣れ……」
「そう。だから是非、引き続きお隣ちゃんとコミュニケーションをとることをお勧めするわ」
「それは僕との意思とは関係なく、むしろ向こうから毎日来るというか」
「素晴らしい機会じゃない! お隣ちゃんが許す限り、最大限交遊を深めること。それが後々、評価の数値……いいえ、望月くんの人生に良い影響をもたらすと思う」
妙な心持ちになる。
評価表の数値だけでなく、人生にも影響が?
「大丈夫。望月君はちょっと擦れたところはあるけど、根は真面目で素直な子だから、きっとうまくいくわ」
僕の浮かない表情を自信が無く尻込みしていると判断したのか、奥村さんぐっと拳を握って激励してくれた。
とりあえず僕は一言、「ありがとうございます」と頭を下げた。
奥村さんは満足げに頷いて、こう締めくくった。
「繰り返しになるけど、私は望月くんに数字をあげて欲しいというよりも、人と人との関わりによる楽しさを感じて欲しいの。とはいえそれを体感してもらうには上司の私じゃ限界があるから、その子に託そうかな」
人と人との関わりによる楽しさ。
僕にそれを感じる日は来るのだろうか。
そもそも、感じたいと思っているのだろうか。
それすらわからない。
わからないから、暫くは現状のまま様子を見るしかない。
自分に合わないと確信したら……その時は、方向を転換すればいい。
とりあえず、そのように結論づけた。
その後、仕事に関する業務連絡や軽い雑談を経て、10月の1on1は終了した。
微動だにしなかった項目が0から1に変化した点においては評価すべきだけど、手放しでは喜べない。
とはいえ今後の動きが明確になった点においては、実りのある面談だったのかもしれない。
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