第31話 彼女と母親


 キッチンから上機嫌な鼻唄と胃袋を刺激する香ばしい香りが漂って来る。


 先ほどのバタバタの後、お腹空いてるでしょうと母が朝ごはんを作り始めたのだ。

 相変わらずのマイペースっぷりにずり落ちそうになったが、空腹なのと一旦切り替えて落ち着こうという二つの理由からお言葉に甘えることにした。

 彼女が手伝いを申し出ていたが、「まだ眠いでしょうから」とキッチンから追い出されていた。


 いつも料理をしている彼女が調理音をBGMにソファに座っている光景はどこか新鮮だった。


「まだ信じられない」


 不老不死の薬でも発見したかのような顔で首を振る彼女。


「免許証見せたじゃないか。紛う事なき僕の母親だよ」

「情報として正しいことはわかったけど、まだ頭が受け入れきれてないというか」

「まあ、気持ちはわからないでもない」


 客観的事実として、母は若い、若すぎる。

 実年齢ではなく、外見が。


「……なに?」


 彼女が僕の顔をまじまじと見つめてくる。


「ちゃんと引き継いでるなーって」

「ああ、遺伝子?」


 うんうんと首を縦に振る彼女。


「これじゃ高校生だと思っても仕方がないないっ」

「理解してくれたようで何よりだよ」

「でも、望月くんの言った通りのお母さんだね」

「なんか言ったっけ」

「のんびりしてて抜けてるって」

「ああ」


 昨日、そんなことを言った気がする。

 まさか話題に出した翌日に来るとは思わなかった。

 よりによって、彼女が寝泊まりした日にやって来るなんて。


「抜けてる部分は望月くんそっくりだね」

「僕のどこが抜けてるって?」

「もしかして、自覚ない?」

「まず抜けているの定義から始めようか」

「んー、めんどくさいからいいや」

「自分で振っておいてスプーン投げないでよ」

「いいじゃん、可愛いし」

「可愛いって」


 不意に言われて息が詰まった。


「褒めてるの、それ」 

「さー、どうでしょう?」


 彼女がくすくすと笑う。

 そろそろ僕をからかうことに飽きてほしいと切に願った。

 僕は本題に切り込みを入れる。


「で、どうするの?」

「どうするって?」

「君についてだよ。毎日晩御飯一緒に食べてるだなんて言えないし」

「え、別に言ってもいいんじゃない?」

「正気?」

「だって別に、やましいことは何もしてないでしょ?」

「それは……そうだけど」


 確かに、僕と彼女との間に後ろめたい何かがあるわけではない。

 母に言いたくなかったのは、恐らく僕の羞恥がそうさせているだけだ。

 あと、彼女が高校生ということもあって、妙な想像を膨らませた母が僕に警察への出頭を勧めてくる展開も見える。

 母の思い込みが激しめなのは、息子である僕がよく知っていた。


「というか、昨日泊まったことバレちゃってるんだし、今更ご飯作りに来てるくらいじゃ驚かれないって」

「誰のせいでこうなったと」

「いやはー、眠くてつい」


 悪びれなさそうに頭を搔く彼女に、僕は非難の目を向けた。


「ともかく、悪いことはしてないんだから堂々とすればいいじゃん! 変に嘘ついて後々面倒な事になるより、最初から正直に話した方が良いと思うの」

「まあそれは確かに。念のため確認なんだけど、君の力のことついては?」

「うっ、それはナシの方向で」

「だよね」


 その部分に関してはうまくごまかすということで両者合意協定が結ばれる。


「仲がいいわねぇ、二人とも」


 微笑ましげな笑顔を浮かべた母が朝食をトレイに載せてやってきた。

 テーブルに続々と並べられるメニューは白ご飯に焼き魚、きんぴらごぼうに卵焼き、そしてお味噌汁。

 THE 日本の和食といったオーソドックスな献立だが、朝ごはんを普段食べない僕からすると黄金の輝きを放つ宝石箱だ。

 

「すごーい! 美味しそう!」

「ふふっ、そうでしょう? ささ、食べて食べて」


 母は僕の隣に座ってニコニコしている。


「はいっ! いただきます!!」

「いただきます」


 彼女はいつもより控えめなペースで食べ始めた。

 母がいることを意識しているのだろうか。

 こういうところは気にかけているんだなと、ちょっとした弱点を得たような気になる。


 久しぶりの母の手料理は美味しかった。

 僕の好みを把握しているというのもあると思うけど、それよりもどこかホッとする懐かしい味だったから。


「美味しい! 美味しいですこの卵焼き!」


 僕が母の味に舌鼓を打っていると、彼女が興奮した様子で目を輝かせていた。

 母は「あらあらまあまあ」と頰に手を当て嬉しそうにする。


「そう? よかった。おさくん、食は細いけど結構濃いめの味付けが好きだから、醤油多めに入れてあるの」

「へええぇっ。じゃあ、今度作ってみますね」

「あら、自炊? その歳で偉いわねぇ」

「いえいえ、そんなことないですよー」

「おさくんも、えーと」

「日和です、有村日和と言います!」

「日和ちゃん、いい名前ね」

「えへへ……ありがとうございます」

「おさくんも日和ちゃんを見習って、たまには自炊しなさいよね」

「それは本当にそう! 私が夕食を作ってあげてなかったら、今頃成人病まっしらですよー」

「あら?」

 

 母が首を傾げる。


「日和ちゃん、おさくんに料理を作ってあげてるの?」

「ですです!」

「どのくらい?」

「最近は毎日ですかねー」

「毎日……日和ちゃん、随分お若いみたいだけど、今おいくつ?」

「16ですっ、来月17になります!」


 ガシッ。

 お茶碗を持った僕の手が掴まれた。

 振り向きたくないけど、母の強制力には逆らえないので頭を横に向ける。

 

「おさくん」


 正面から鋭い視線を注がれる。

 息子を見つめる瞳が、犯罪者を見るそれになっていた。


「今からでも遅くないわ。お母さんと一緒に警察へ……」

「予想通りの反応すぎて怖い」


 そこからは事情説明タイムである。

 彼女とは雨の日に傘を貸したことで接点を持ち、お隣さんということも相まって仲良くなった。

 そしてあまり成績が芳しくない彼女の勉強を見る代わりに手料理を振る舞う事になったとかなんとか。


 後半部分は彼女が適当なこと言ってそういう事になった。

 おかげで彼女の力については触れることなく話が進んだ。


 僕は念のため、あくまでも彼女は友人であることを強調した。

 昨日のお泊まりについても彼女の寝落ちが原因で不可抗力であったという説明も忘れない。


「なるほどー、そういうことだったのねー」


 母は安堵の息をついた後、「おさくんにもついに女の子のお友達ができたのねぇ」と嬉しそうにした。

 基本的に母は人を疑わない性格であるため、すんなりと納得してくれたようだ。


 妙なこじれもなく、母は彼女のことを歓迎した。

 朝食を食べ終えた後も、母は彼女と積極的にコミュニケーションを交わしていた。

 彼女も裏表がなくおっとりした性格の母をいたく気に入ったらしく、もうすっかり打ち解けている。


「いつもおさくんの面倒を見てくれてありがとうねぇ」

「いえいえっ。私も、望月くんにはいつも助けてもらってますので!」

「まあ、そうなの? おさくん、人と関わるのは苦手な子だったのだけれど」

「素直じゃないなぁとはいつも思いますけど、不器用なだけで根はいい人だと思います!」

「あらあらまあまあ。ふふっ、私もそう思うわ。ふふっ、よく見ているわねぇ」

「とんでもないですよー」


 仲が良いのはなによりだ。

 なんか僕について有る事無い事言われているような気がするが、面倒なので突っ込まないことにする。


 そんなことよりも読書の時間だ。

 僕は二人の会話の輪からこっそりとフェードアウトし、昨晩読みきれなかった本の続きを読もうと……。


「日和ちゃん、今日お時間空いてたりしないかしら?」

「夜はちょっと友達と予定があるんですけど、日中は空いてます!」

「あら! じゃあ、日和ちゃんが良ければ今日、みんなでショッピングに行かない?」

「いいんですか!? 是非行きたいです!」

「じゃあ行きましょ。ね、おさくん?」


 後ろから飛んできた矢が背中に刺さったかと思った。

 見ると、二人は僕に拒否権を与えなさそうな輝きの目をしていた。


 普段は彼女の提案にすら抗えない僕が、そこに母が加わるとなると結果は火を見るより明らかである。


 僕は肺まで出てきそうなほど大きなため息を吐いた。


 残り30ページとなった文庫本を読み終えるのは、いつになるだろう。

 

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