第32話 『可愛い』

「あらあら良いわねぇ、この服」

「ほんとだっ、可愛いー!」

「日和ちゃんに似合いそうね」

「私には派手すぎますよー。こういうのは明美(あけみ)さんにこそぴったりだと思います!」

「あら嬉しい。でも、私みたいなおばさんには馬子に衣装じゃないかしら?」

「そんな若い見た目で何言ってるんですか! 絶対似合いますよー!」


 下北沢の商店街を歩くことかれこれ1時間ほど経過しているが、二人の熱は冷める気配すら感じない。


 僕も一応後ろに追従してはいるが、二人だけで会話が完結しているためもはや空気と化している。

 とはいえふたりの会話についていける自信ははないので、これはこれで気楽でいい。

 

 ちなみに「明美」というのは母の名である。

 今日が初対面だというのに、もうお互いを下の名前で呼び合う距離の詰めの速さたるや稲妻の如しだ。


「いい街ねぇ、下北沢。活気もあるし、ご飯屋さんもたっくさん」


 がやがやと人の行き交う下北沢の繁華街を眺めながら母が言う。


「わかります。都心へも出やすいですし、住み心地も良いです!」


 彼女も母の意見に同意していた。


 僕と彼女の住む下北沢は、都内でも住みたい街ランキングの上位に食い込む人気の地域だ。

 その人気の理由を紐解くと、新宿や渋谷といった都心へのアクセスの良さが第一に挙げられる。


 もちろん、街単体にも魅力が詰まっている。


 飲食店も多く、様々なファッションブランドのお店が集まり独自の文化を築いているユニークな街なのだ。

 サブカルチャーの聖地とまで評されるこの街は、ふたりが楽しむには十分な要素を満たしていた。


「このお店可愛い!」

「あらあら本当、可愛いわねぇ」

「これとか秋っぽくて良いですね!」

「ブラウン系は合わせやすいし可愛いのが多いわよね」


 とある店の前で立ち止まり、二人が会話の花に水をやり始める。


 以前、彼女が「可愛い」は共感してほしいのサインだと言っていた。

 二人のやりとりを見ていると、なるほど確かに共感しあっているように見える。

 こうやって女の子たちはコミュニケーションを取っているのか。

 自分の知らぬ女の子の生態系。

 まるでイルカのそれみたいだと思った。


「望月君はどう思う?」


 突然自分に振られたので、しばし彼女の質問の意図を図りかねた。

 彼女の手にはブラウン系の……カーディガンといいやつだろうか。

 これについての感想を述べよと。


 ……ふむ。

 僕はついさっき修得した、女性に対して最大の効力の持つ言葉を贈ることにした。


「可愛いんじゃない」


 言うと、彼女は頬をぷっくり膨らませた。


「心がこもってなーい」


 言葉のセレクトは間違ってないように思ったが、どうやら態度に問題があったらしい。

 以前、彼女の私服について「似合ってる」と評した際には全く逆の反応だった。

 もしかすると、「可愛い」は彼女らにとって特別な言葉なのかもしれない。

 難しいな、女の子とのコミュニケーション。


「おさくんにファッションの感想を求めてもダメよ。この子、こういうのは前からほんと興味が無くて。今でも、芋っぽい服しか着てないでしょ?」


 こらそこ、首を勢いよく縦に振らない。


「そうだわ」


 ぽんっと、母が何かを思いついたように手を打つ。

 この顔をした時の思いつきはロクなものじゃないことを、僕は母から学んだ。


「二人とも、今から店に入って試着しない?」

「わっ、それいい!」

「でしょう? こう見えて私、コーデには自信があるの」

「そうなんですね! わああ、楽しみっ」

「……」


 テンション爆上がりの彼女と、無反応僕。

 僕はそっと行方をくらまそうとしたが、彼女に肩をむんずっと掴まれてしまう。

 気持ちはだいぶ後ろ向きにも関わらず、足は強制的に前に向かされた。

 そのまま連行されて、メンズとレディースも兼ねた大きめの服屋さんで立ち止まる。


「下北沢だと、こことかよく来ますっ」

「あら、いいじゃない。値段も手頃だし」


 母と彼女は俄然やる気に満ちた表情で入店していった。

 仕方なく、僕も後ろからついていく。


 店に入るなりアロマの良い香りがふんわりと漂ってきた。

 服屋さんなんて何年ぶりだろう。

 普段目にしないたくさんの単語やひらひらに囲まれて、僕はそこはかとなく場違いな気がした。


「それじゃあまず、日和ちゃんから選びましょうか」

「はーい!」

「じゃあ、おさくんはRINEで呼ぶまで適当にぶらぶらしててね」

「え」


 まさかここで放置プレイを食らうとは思っていなかったので、僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 母はわかってないわねぇと言わんばかりに肩をすくめた。


「選んでるところ見られちゃ、サプライズ感がないじゃない」

「明美さんさすが、わかってますね!」

「でしょう?」


 二人は楽しそうにハイタッチをした。

 彼女らの方向性は見事に一致しているらしい。

 否応なく、僕はその場からの退散を余儀なくされた。


 ということで思わぬ暇ができてしまった。

 こんなことなら読みかけの文庫本を持って来ればよかった。

 一回帰宅して取ってこようかとも考えたが、そこまで時間の余裕もないだろう。

 仕方がないので、次にやってくる自分のコーデタイムに備えメンズコーナーで下見をすることにした。


 下北沢の中でもかなりの規模を誇る当店はメンズファッションも充実していた。

 案外種類が多くて面倒くさそうだなあと、彼女に聞かれたら怒られそうな感想を抱きつつ適当に物色を開始する。


 ファッションに疎いと、その服の素材やデザインよりも値札に目が行きがちなのは僕だけだろうか。

 薄っぺらいTシャツ一枚に3000円の値がついているのを確認すると、これに文庫本5冊分の価値があるものなのかと信じられない気持ちになる。

 対外的にどう見られるかどうでも良い僕にとっては、どれも無用の長物に思えた。


 その後、ジャケットを上から羽織ってみて似合ってないなと苦笑したり、店員さんの「試着されますか」という質問にどもったりしているうちにRINEが鳴った。

 ディスプレイには、母からコーデが完了した旨のメッセージが表示されていた。

 

 レディースエリアに戻る。

 試着スペースに馳せ参じると、やけに上機嫌な母が待ってましたと言わんばかりに「こっちこっち」と手招きをしていた。


「お待たせー。日和ちゃん、どれ着させても可愛くって、思ったよりも時間かかっちゃった」


 母はリコちゃん人形で遊ぶ子供のような興奮ぶりだった。

 ここまでテンションの高い母は珍しい。


 母の後ろには、カーテンが引かれた試着室。

 この中にコーデを終えた彼女がいると思うと、これからオークションでも始まるかのような心持ちになる。


「心の準備はいい?」

「そういうのいいから」

「もう、つれないわねぇ」


 早く済ませてよと、視線だけで訴える。


「じゃじゃーん」


 大げさな声と共に、カーテンが引かれた。


 ……予想外、とはこういうことを指すのだろう。


 目の前に現れた彼女の姿に、僕はしばし言葉を失った。


 普段の彼女はモデルのようなスタイルを活かした大人っぽい服装や、明るく活発的な性格を反映させたストリートなファッションが多い印象だった。

 それはそれで彼女のに佇まいにとてもマッチしていて似合っていた。


 しかし、今の彼女の格好はそれらの方向性と全く違っていた。

 

 サイズに余裕のある薄パープルのトレーナーは、ガーリーながらもどこか包み込むような印象を受ける。

 それとは対照的にぴったりと履かれた黒のミニスカート、そしてそこから黒タイツに包まれたすらりと長い足が伸びている。

 アクティブな印象ながらも女の子らしさを十分に感じさせる可愛らしいコーデだった。

 

「これに白ソックスとブーツを合わせたら完璧なのよー」


 横で母が解説をしているが、全く耳に入ってこない。


 しばしの間、僕は彼女の姿に目を奪われていた。


「どう、かな?」


 彼女の声で、はっと理性を取り戻す。


 慣れない服を着て居心地が悪いのか、彼女は両腕を前でもじもじさせてほんのりと頬を赤らめていた。

 それは、見たことのない表情。

 普段とのギャップに、息が余計に詰まった。


 ひとりでに、言葉が溢れた。


「可愛い、と思う」


 言ってから、しまったと思った。

 また心がこもってないと咎められると思った。


 しかし彼女は、さっきとは違って、はにかんだ笑顔を浮かばせて言った。


「……ありがと」


 空気を小さく震わせたのは、感謝の言葉


 僕の顔の温度が急激に上昇した。


「褒められましたーっ」

「当たり前よお、だってこんなに可愛いんだもの」


 普段のテンションに戻った彼女が母とハイタッチをする。


 僕の顔は熱を持ったままだった。

 

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