第33話 彼女とタピタピ
「『かえるの卵』っていうお店に行ってみたいわ」
彼女の試着が終わった直後に母が放ったこの一言が、今日の予定を大きく変えた。
耳にすれば少々グロテクスな印象を与える単語に、僕は不審げに眉を寄せる。
「なに、東京まで来て両生類を見物したいの?」
「ちがうわよお。ほら、最近流行ってるじゃない。えーと」
「タピオカですね!」
「そう、タピオカ! さすがねぇ、日和ちゃん」
タピオカか。
ふーん、タピオカ……。
なんだその店名。
タピオカを飲んでる時に一番連想したくないワードじゃないのか。
売る気あるのかその店。
「あ! でも、『かえるの卵』は超人気店なので、昼前には並ばないと売り切れちゃいますよ!」
「嘘でしょ?」
僕は耳を疑った。
女子高生という生き物は、僕の理解を超えた感性を持っているのか。
どうりで方向性が合わないはずだと、僕は彼女との日々を思い出す。
「あら大変。じゃあ、おさくんの着せ替え大会はまた後かしらねぇ」
「僕は人形じゃないんだけど」
服の清算を済ました後、タピオカ事情に明るい彼女の言葉に従い『かえるの卵』とやらに向かった。
店に近づくにつれて、すれ違う若い女子たちのタピオカ保有率が高くなってくる。
「うひゃー、相変わらずの行列!」
「まあまあ大変」
彼女の言った通り、『かえるの卵』は相当な人気店のようで、女子中高生を中心に長蛇の列が形成されていた。
飲み物は回転率が早いとはいえ、ありつけるまでは相当な時間を要するだろう。
普段は田舎暮らしで行列にあまり縁のない母は驚いていた。
「うーん、どうしようかしらねぇ? あまり二人の時間を取らせるわけにもいかないし」
「私は全然かまいせんよ! むしろ、美味しいタピを堪能するためにこの行列は必須条件といえるので!」
「あら、そうなの?」
「はいっ、それに、ここのタピは私の中でもベスト・オブ・タピの一つなので、絶対に飲んでもらいたいです!」
ちゃんと女子高生らしいことを言う彼女はなんだか新鮮だった。
普段は女の子が好みそうな店ではなく、彼女の底なし胃袋を満たす店ばかり行っているからだろう。
「んんー、そう言われちゃうと飲まないわけにはいかなくなってきたわねぇ」
「タピりましょう! 望月くんも、いいよね?」
拒否権があるはずもなく、気がつくと列に並んでいた。
世の女性たちを虜にするタピオカとやらの味を分析するため、と己に言い聞かせるもすぐに列から離脱したくなった。
自分以外に男性は並んでおらず、服屋の時とは比べ物にならない場違い感が襲ってきたのだ。
まるで、自分以外の男が全て死滅した世界に迷い込んだかのような気分である。
「ふっふふーん」
僕の心中なんてどこ吹く風。
服屋のロゴがプリントされた袋を大事そうに抱え、彼女は上機嫌に鼻唄を歌っていた。
「気に入ってくれたようで何よりだわ」
母が優しい眼差しをして言う。
「はいっ、すっごく気に入りました! でも、その」
「お代のことは気にしないで。これは私からのお近づきのしるし。私も、娘ができたみたいで楽しかったわ」
彼女は満面の笑みを浮かべ母に礼を贈った。
母は愛おしそうに目を細めた。
すると、彼女は何か気づいたように疑問を投げかける。
「望月くんって、一人っ子なんです?」
「いいえ。おさくんと、あともう一人年の離れたお兄ちゃんがいるわ」
「え!? お兄さんいたの?」
「いるけど」
そんなに驚くことだろうか。
「どんな人?」
「明るくて外交的」
「逆じゃん」
「いま、遠回しに貶された気がする」
「別に悪いって言ってないじゃんっ。私は君の性格、結構好きだよ?」
「からかわないでよ」
「からかってませんよーだ」
そんなくだらないやり取りを、母が微笑ましそうに眺めていた。
「仲がいいわねぇ、二人とも」
どこがだ。
「そうです! 仲良しなんですーっ」
君は黙っててくれ。
そうこうしているうちに行列が消化され、メニューの立て看板が見えるあたりまでやってきた。
「案外時間かからなかったですねー!」
「ほんとねぇ、良かったわ」
「明美さん、なに飲みます?」
彼女がメニューの立て看板を指差す。
「うーん、タピオカ自体初めてだから……まずはこの、一番人気の『牛乳黒糖タピオカ』にしようかしら」
「いいですね! 初めてだったら断然それがおすすめです! 望月くんもそれ?」
普段なら一番スタンダードなメニューを頼むところだが、僥倖なことに僕の好物が使用されたタピオカを発見したため、そちらに天秤が傾いた。
「『宇治抹茶黒糖タピオカ』で」
「あ、それ私唯一飲んでないやつだ」
「なんとなくそんな気がした。君こそ、この期間限定?」
聞くと、彼女は指をパチンと鳴らして「わかってるねぇ」とドヤり顔。
なんと腹の立つジャスチャーなのだろう。
「『ぷりんとチーズクリームの黒糖タピオカ』とか、絶対美味しいやつじゃん!」
「いろいろと渋滞しすぎじゃない?」
まったく味の想像がつかないが、彼女はそれがいいのだろう。
相変わらずカオスな舌っぷりだ。
僕は彼女の味覚を心配する。
それぞれのタピオカを購入した後、僕たちは店先にあったベンチに腰を下ろした。
「いただきます!」
ずぞぞぞぞっと、勢いよくタピオカを吸い上げる彼女。
己の暴食ぶりを隠すのはやめたようだ。
「んーー、美味しい」
「あらあら……不思議な食感だけど、とても美味しいわ」
母はふむふむと頷きながら初タピオカを堪能していた。
ゆっくりと、自分のペースで。
本来はこうやって楽しむものじゃないのだろうか。
すでに半分になった彼女のタピオカを見やりながら思う。
僕も一口すすってみた。
……ふむ。
ほんのりと苦味のある抹茶と、黒糖の後を引く甘みが絶妙にマッチしている。
タピオカの存在意義たるデンプンも、噛めばもちもちとした食感とともにじんわりと黒蜜が染み出してきてた。
「どう?」
「美味しい」
「でしょでしょー? カエルの卵と思って侮ることなかれよ」
「飲んでる途中で言うのひどくない?」
飲む気が失せてしまったので、一旦休憩。
だいぶ肌寒くなってきた秋風は心地よく、僕にひと時の憩いを感じさせてくれる。
ああ、ずっとこんな時間が続けばいいのにと思う僕の願望は、母の提案によって打ち壊された。
「せっかくだし、みんなで交換なんてどうかしら?」
「いいですね、トレードしましょっ」
「みんな」が絡むイベントに積極的な彼女は、餌を撒かれた魚のように食いついた。
デフォが一人の僕も強制的に参加させられる。
まずは僕と母のタピオカを取り替えられた。
手元にやってきたのは、牛乳黒糖タピオカ。
一番オーソドックスなメニューだ。
一口すする。
うん、まあ、美味しいよね。
まろやかな黒糖デンプンと濃厚で甘みのある牛乳との相性がバッチリだ。
一番人気とあってか、クセもなくバランスが良く仕上がっているように感じた。
抹茶タピオカがなかったら、間違いなくこれ一択だっただろう。
母は僕の抹茶タピオカをえらく気に入ったらしく、こんなに美味しい抹茶があるなんてと仕切りに感動の言葉を口にしていた。
やはり好みの部分で共通している部分があるのだろうと、母との血のつながりを実感する。
普段は全く感じないけども。
互いに感想を交換した後、ぷりんとチーズクリームの黒糖タピオカがやってきた。
なんだかよくわからない色をしていたので、飲む前から軽い恐怖を覚える。
とはいえそれは一瞬だった。
未知の味に対する耐性がついたのだろうか。
覚悟を決め、やけに太いストローを口に含もうとして、動作が止まる。
僕の視線は、ストローの先端に注がれていた。
このストローに口をつけ、美味しそうにタピオカを堪能する彼女の光景が頭に浮かぶ。
同時に、昨日から断続的に発生している胸の不具合が発症した。
なぜ?
ちらりと目を横に流す。
彼女は躊躇いなく僕のタピオカをすすりながら、「抹茶も案外イケるかも!」とご満悦だった。
なんだか無性に腹が立った。
「あれ、飲まないの?」
彼女が訝しげに訊いてくる。
「飲むよ」
ぶっきらぼうに言って、僕は乱暴にストローを口に突っ込んだ。
生ぬるい液体が口内を満たし、喉奥に流れ落ちていく。
彼女の頼んだタピオカの味が一番カオスなはずなのに。
どうしたことか、全く味を感じなかった。
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