第34話 『気遣い』

 タピオカを満喫した後は、彼女のガイドに付き添って下北沢を堪能した。


 エッジの効いた雑貨屋さんに寄ったり、名も知れぬ個展のギャラリーを覗き見したり、掘り出し物が埋まってそうな小物屋さんでぶらぶらしたり。

 下北沢の名物ともいえる古着屋さんにも寄った。

 いよいよ着せ替え人形にされるのかと僕は身構えたが、二人はリーズナブルで物珍しい古着たちに夢中でそのことをすっかり忘れていたらしい。


「そういえば、おさくんのコーデするの忘れてたわねぇ」


 駅前の広場で母が思い出したように言い、彼女が「ああーーー!!」っと声をあげた頃にはもうすっかり空が茜色に染まりつつあった。


「うぅ……私としたことが……不覚」


 彼女はこれから友人と予定があるらしく、そろそろ離脱しなければならないとのことだった。


「友達って、前映画で遭遇した子?」

「そう、ゆーみん! 今日は前々からフェスに行く約束をしてたの」


 いやあ、それは残念だ、本当に。


「望月くん、絶対に覚えてて言わなかったでしょ」


 僕がニヤケそうになっていたのを目ざとく捉えた彼女が恨めしそうに言う。


「まさか、綺麗さっぱり忘れていたよ」


 澄ました顔で言うと、彼女は「ぐぬぬ」と悔しそうにした。

 普段彼女には手玉に取られてばかりだから、僕は珍しく愉快な気分だった。

 冷静に考えると特に僕が出し抜いたわけでもなく、単なる彼女の自爆なのだけれど。


「着せ替え大会はまた今度かしらねぇ」

「ですねー。あーあ、見たかったなー、望月くんのキメ姿」


 彼女は心底残念そうにしていたが、「そうだ!」と声に芯を通した。


「明日も私、空いてますよ!」


 そういえば今週は三連休だった。

 彼女の提案に、母は困ったように口をへの字にした。


「ううーん……せっかくのお誘い、すごく嬉しいんだけど、私、明日の朝には東京を出ないといけないのよ」

「ええ!? もう帰っちゃうんですか?」

「もともと、こっちで仕事があって帰りに立ち寄ったくらいだったの。本当は、おさくんの顔ちらっと見たら今夜にでも帰る予定だったわ」

「そうだったんですね……なんかごめんなさい、引き止めてしまって」


 母は優しい顔で首を振る。


「ぜんぜん気にする必要はないわ。むしろ、日和ちゃんのおかげでとっても楽しめた。ありがとう、日和ちゃん」

「それはこちらこそですよ……えへへ」


 母の言葉に、彼女は嬉しそうにはにかむ。

 

「そうだ」


 母が思いついたように手を打つ。


「日和ちゃん、今度暇な時にでも、おさくんの服を見繕ってくれないかしら? この子、放っておいたら同じ服を何年も着ちゃうような子だから」


 なんと余計な置き土産をしていくれるんだと、僕は怨恨のこもった視線を送る。


「わかりました! 今度明美さんと会うまでに、今よりもイケてる感じに仕上げておきます!」

「ありがとう、楽しみにしているわ」


 ふふふっと、母は柔和な笑みを浮かべた。

 僕の着せ替え大会は彼女とのワンツーマンによって決定したらしかった。


「楽しみだなー、望月くんのお洒落コーデ」

「変な期待膨らませないでよ。なに着ても絶対、大したことないから」

「ええー? 望月くん、細いからいろんな組み合わせ似合うと思うよ」

「前に自分で選んだことがあったけど、漏れなく全部ダサかった」

「そりゃあ自分で選ぶからだよ。最初のうちはちゃんと、慣れてる人に見てもらわなきゃ。シルエットとか配色とか、コーデは意外と奥が深いんだから」


 人差し指をピンと立ててもっともらしい事を言う彼女だったが、それでも僕は懐疑的だった。

 僕のような地味なやつは、いくら外側を着飾ったって無駄にしか思えなかった。

 

「いけない、そろそろ行かなきゃ!」


 スマホで時間を確認した彼女が焦り声をあげる。


「それじゃあ明美さん、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、付き合ってくれてありがとうね」

「いえいえ、また絶対遊びましょっ。望月くんもありがと! また明日の夜ね」

「あ、ちょい待ち」


 身を翻そうとした彼女を呼び止める。

 「んう?」と小首を傾げる彼女に、僕は手を差し出す。


「それ、持って帰っておくよ」

 

「それ」とは、彼女が母に買ってもらった服一式や、午後に購入したちょっとした小物類を指す。


「あ、これ? いいよ、そんな重くないし!」

「でも、少しでも身軽な方がいいでしょ? そんなに重くないんだったら、これから家に帰る僕が持って帰った方が遥かに合理的だと思うんだけど」

「むむむ……言われてみると確かに」


 彼女は少し逡巡して言った。


「じゃあ、お願いしよっかな」


 表情を緩め、僕に袋を差し出してくる。

 僕も手を伸ばす。


「ありがと」


 指と指が触れ合うその瞬間、彼女の口から優しげな言葉が紡がれる。


「別に」


 袋を受け取りぶっきらぼうに返すと、彼女は身軽になった事を披露するかのようにくるりと一回りした。


「それじゃ、また!」


 快活な声を残して、彼女はしゅたたたっと改札の方に駆けて行った。

 がやがやとうるさいはずの駅前広場に、遠足帰りのような静けさが舞い降りる。


「いいわねぇ」


 向き直る。

 なんも脈絡もなく感想を口にした母は、ニコニコと嬉しそうにしていた。


「なにが?」

「ううん、なんでも」


 母はニコニコしたまま。

 眉をひそめるも、母は何も応えない。

 特に深い意味はないんだろうと思った。


「行くよ」


 自宅へと足を向ける。

 母も付き添うように後ろからついてくる。

 

 マンションに帰ってきても、母はずっと笑顔のままだった。

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