第48話 少しずつ、わかるように


「あらためて、あざまる!」


 夕食後のリビング。

 今日も今日とて読書に励んでいると、彼女がイマドキな謝辞を投げてきた。


 喫緊で感謝の言葉を述べられるような事をした覚えはないが、独り言にしてはあまりに元気なその声は、やはり僕に向けられたものなのだろう。

 顔を上げると、フォークを咥え「むっふー」と満足げに鼻を鳴らす彼女が目に入って、僕はあらかた理解した。


「ああ、完食?」

「そう!」


 空になった小皿には、焦げ茶色のクリームとマロンのかけらが微かな存在を残している。

 

「よく、抑えられたね」


 僕は皮肉のつもりで言った。


 誕生日に宣言した通り、僕と彼女は、毎日少しずつケーキをシェアした。

 今日、食べ終えたのだ。


 てっきり途中で我慢できずペロリといってしまうかと思ってた。

 食欲より自分に課したルールを遵守した彼女を、ちょっとだけ見直す。


 感心する僕をよそに、彼女はぷくーと頬を膨らませていた。


「私をなんだと思ってるのようー」

「胃袋ブラックホーラー?」

「なにそれ、ネーミングセンス皆無!」


 あははっと可笑しそうに笑って、彼女はフォークで虚空に円を描いた。

 呪いの魔法でもかけられているような気分になったので、僕は少しだけ身体をずらす。


「当分はこの味を超えるケーキは食べられないだろうなー」


 「あーあ」と名残惜しそうに小皿を見つめる彼女が、珍しくため息をついた。


「そんなこともないでしょ。有名店とはいえバカ高いってわけじゃなかったし。探せば、これ以上美味しいケーキはいっぱいある」

「んもおー、違うってばー」


 彼女は小鼻を膨らませる。


 ああ、またこのパターンか。


 僕のそっけない理屈が、彼女の感情的な意見と反り合わなかった際に見られる反応。

 いつもならここで思考を放棄し彼女の解説を黙って待つ僕だったが、今日は少しだけ考えてみることにした。


 気まぐれ、というやつだ。


 最近多い気がする。


 腕を組み、黙考して、瞬発的に降ってきた推測をそのまま口にした。


「…………誕生日という特別な日に貰ったケーキには、普通ものとは違う価値が加えられているから?」


 彼女の反応を疑う。

 いつものように、すっかり解説モードに入っていた彼女の表情が、驚きに染まっていた。

 

 やってしまった、と思った。

 やっぱり慣れないことはするもんじゃない。

 多分、びっくりするくらい的外れな事を言ってしまったのだろう、と思っていたが違った。


「合ってる!! 合ってるよ望月くん!」


 昂ぶる感情を纏った彼女の腕が、僕の腕をガシッと掴む。

 そしてその細さに似合わぬ力でギリギリと、指を食い込ませてきた。


「痛い痛い痛い」

「あっ、ごめん!」


 突然の攻撃に怯える僕に気づき、彼女がぱっと手を離してくれる。

 広げた手のひらをこちらに向ける『なにもしないポーズ』を確認して、僕は真面目な語気で言った。


「肉が引き千切られるかと思った」

「や、それは大げさだよ」

「割とガチなんだけど」


 腕を労わるように摩りながら、彼女に抗議の視線を向ける。


「ごめんごめん、つい気持ちが昂ぶっちゃって」


 彼女は後ろ手に頭を掻き、悪びれない様子で笑った。

 いや、悪いとは思っているものの、それよりも喜びの感情が上まった、という風に見える。


「何がそんなに嬉しいの」


 聞くと、彼女は「いやぁー」と机に頬杖をついて、上目遣い気味に僕を見た。


「なんというか、成長した子供を眺めているような気分?」

「なんの話?」

「君も少しずつ、人の気持ちがわかってきたんだなーって」

「……そんなこともないと思うけど」

「あるよー。君、前なら絶対わかんなかったもん」


 彼女はそう言うが、論理的に逆算しただけで感覚として享受したかと訊かれるとそんなこともない。

 ただ彼女のいう通り、以前まではわからなかった感覚が理屈としてわかるようになってきた。


「でも、理由はもう一つあるよ」


 彼女が予想だにしない追加問題を出してきた。

 ニコニコと、期待に満ちた笑顔を向けてくる。


 少し考えたが、今度はわからなかった。

 首を振り、両手を上げて降参のポーズをする。

 

「そっかー」


 彼女はちょっぴり残念そうな声を残した。

 一拍起いて、僕が辿り着けなかった答えを口にする。


「望月くんが買ってきてくれたケーキだから、いっそう美味しいって思えるの」


 ああ、その笑顔はいけない。

 いつもの明るく元気なものとは違う、柔らかく優しい、慈しむような笑顔。


 その顔は、僕の理性を不安定にさせる。


「……気が向いたら、また買ってくる」

「え、ほんと!? 嬉しい!」


 僕が努めてぶっきらぼうに返したが、彼女は満面の笑顔を花火みたいに弾かせた。

 まるで、特大のお子様ランチを前にした子供みたいに。


 なぜ彼女が、僕の買ってきたものに対し特別な価値を感じるのかは、よくわからなかった。


「ところで、テストはどうだったの?」


 小皿を洗いに行って戻ってきた彼女に、なんとなく尋ねる。


「んー、それなりかな」

「聞くところによると、けっこう成績がいいとか」

「そうかな? というかそんな情報、誰から聞いたの」

「親友さんだよ」

「うええええ!? ゆーみん!?」


 寝耳にコーラでもかけられたみたい驚く彼女。


「いつの間にそんな接点を……?」


 彼女がわなわなと訊いてきた。


 どうやら親友さんは、僕との約束を守り抜いてくれていたようだ。

 親友さんに対する信頼残高の数値が少しだけ上昇する。

 

「たいした経緯じゃないよ。行きつけの書店で、たまたま遭遇したんだ」

「んあー、なるほど! 確かにあの子、本好きだもんねー」


 彼女が納得したとばかりに大きく頷く。


「それで、なに話したの?」

「大したことは話してないよ。好きな本のこととか、学校での君のこととか」


 誕生日プレゼントの件に関しては伏せた。

 僕の中に芽生えたひとつまみの羞恥心がそうさせた。


 彼女は「うええっ!?」と、変な悲鳴を響かせた。

 うるさい。


「なになに!? ゆーみん、私のことなんて?」

「それこそ大したことないよ。昼休みと同時に誰よりも速く購買のパン争奪戦に参加するとか、文化祭で作ったバケツプリンをほとんど一人で食べ尽くしたとか」

「食べ物のことばっかじゃん!」

「懇ろ君のエピソードは、食に関する事で統一されているようだけど」


 食以外にも聞いていたが、あえて伏せた。

 余計な追及を受け止めきれるほど、僕のキャパは大きくない。


 彼女は頭を両手で押さえて天を仰いでいたが、少し経つと、


「まあ確かに、間違ってはないねぇ」


 けろりと表情を切り替えた。

 このスイッチの潔さはどんな育ち方をすれば手に入るんだろう。


「で、どう?」

「なにが」


 ニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべる彼女の言わんとしていることは察しつつも、聞き返す。


「ゆーみん、良い子でしょ?」

「良い悪いの判断は、あくまで主観的判断だけど……まあ、いい子だと思う」

 

 礼儀正しく、歳の割に落ち着いていて、人のことをよく見ている、というのが親友さんの印象だ。

 言葉ではうまく説明できないけど、相手の気持ちを察して自然な感じで歩み寄ってくる感じ。

 全力突進で距離を詰めてくる彼女とは対照的だ。


 だから彼女と相性が良いのかもしれない。


 僕の言葉に、彼女は顔をほくほくとさせた。


「そっかそっかそっかー、むふふー」

「今日は普段にも増して機嫌がいいね」

「それはもう! 絶対仲良くしてほしい二人だったから」


 なぜ。

 僕と親友さんが仲良くすることで、彼女に何か得になることでもあるのだろうか。


 その理由を考える機会は、彼女の思いがけない提案で中断された。


「そうだ! 今度ゆーみんも交えて、どっか遊びに行こうよ!」

「え」


 つい間の抜けた声を零してしまう。

 おそらくここで首を縦に振れば、彼女は本当にその通りにするだろう。

 その確信があった。

 

 有言必ず実行タイプ。

 彼女は、そういう人間だ。


 とはいえ拒否する材料も見つからなかったし、これまで散々彼女の提案に流されておいて今更反旗を翻す特別な理由も無い。

 親友さんに対する僕の心象も悪くはなく、むしろ常識人ぽいので、暴走気味な彼女を食い止める緩衝材になってくれるかも。

 

 なんて都合よく処理して自分を納得させてから、僕は以下のように返答した。


「……機会があれば」 

「よしきた! ゆーみんにも聞いてみるね!」


 もう関わることもないだろうと思っていたが、思わぬ強い鎖で引き繋がれた。


 これが新たな面倒事の火種にならないといいけど。


 僕の心配なぞ素知らぬ様子で、彼女はふんふんと鼻歌を歌い始めた。


 すっかり彼女の言うがままになってしまった主体性の無さを情けないと思いつつも、まあ仕方がないかと無理くり納得する。


 彼女はずっと上機嫌だった。

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