第47話 たぶん、気まぐれ


「どうだったよ?」


 週明けて月曜日。

 スプレッドシートにぽちぽちと数字を打ち込むという仕事を忠実にこなしていた僕に、涼介が無遠慮に話しかけてきた。


「人にものを尋ねるときは、主語を省かないって習わなかったの?」

「主語がないとわからないほど話題持ってないだろお前」

「なかなかひどいこと言ってくれるね」


 非難めいた視線を向けると、涼介は冗談めかしく笑って隣の席に座った。

 キーボードを叩く手を止め、溜まっていた息を吐き出して、返答する。


「個人的には、良いプレゼントを選べたと思う」

「ほう! JKちゃん、喜んでた?」

「……まあ、たぶん」

「ほうほう! なにあげたんだ?」


 訊かれて一瞬言葉に出すのを躊躇ったが、彼も相談に乗ってくれた一員なので仕方がなく口にする。


「猫のぬいぐるみ」

「ははあ、そうきたか」


 顎に手を添え、涼介はふむふむと頷いた。


「まあ、JKちゃんの年頃だと喜ばれそうだな」

「というよりあの子、猫好きだから」

「ほうほうほーう?」


 涼介がニタニタと気色の悪い笑みを浮かべた顔を近づけてきた。

 鬱陶しい。


「さっきからなにフクロウの真似してんの」

「してないわ! やー、ちゃんと考えてチョイスしたんだなと、感心したんだ」

「まあ、どうせ贈るなら、ね」


 唐突に思い起こされる。

 彼女の、心の底の底から溢れ出したとびきりの笑顔

 この場にいない彼女の顔が、僕の体温を僅かに上昇させた。


「なに、熱でもあんの?」

「は、いや、別に」


 言われて、顔を背ける。

 他人から見てわかるくらい表情を変化させてしまったことに、僕は軽い衝撃を覚えた。


「まー、なにはともあれ良かったな! これでお前らの仲も一歩前進、ってことで!」

「それ、どういう意味で言ってんの?」

「別にい? まあ、俺はお前らの仲を応援してるぜ?」


 察しの悪い僕でもわかる。

 涼介はおそらく、僕と彼女がいわゆる男女の関係になるのではないかと踏んでいるのだろう。


 確信する。

 それは、ない。


 確かに彼女と過ごす時間は長い。

 ただそれは、彼女の奇妙な好奇心がたまたま僕に向いているのと、彼女が持つ秘密を僕が知っているという特異的な状況の結果だ。


 僕自身、彼女という人間をそういう風に見ているかと訊かれれば、違う。

 元来、他人に対し興味の薄い僕が、彼女個人に対しそこまで思い入れる理由はない。

 ここ最近、彼女に対し妙な感覚を持つ時もあったが、恋愛に類するそれはではないだろう。

 彼女の桁外れの美少女だから、僕の中にある僅かな本能が反応してしまっただけだ。


 彼女も、僕みたいな地味でなにも取り柄もない男に、異性的な関心を持つはずがない。

 おそらく彼女はクラスの中でもトップカースト。

 本来であれば、会話をするのも奇跡な立場なのだから。


 それらを踏まえた上で、僕はただ一言、告げる。

 

「そういうんじゃないって」


 言ってから、胸の奥に妙な引っかかりを覚えた。

 その引っかかりは、僕の眉をひそめるくらいの影響を及ぼした。

 

「そうかそうかー、まあそういう事にしておこう」


 絶対、そういう事にはしていない顔で、涼介は言った。

 とはいえ放っておいて実害があるわけでもないし、話を重ねるのも面倒なので追求は控えた。


「相談、乗ってくれてありがとう」

「いいってことよ! 俺も志乃さんの誕生日プレゼント、考えないとなー」

「誕生日、近いの?」

「来年の4月だな」

「随分と先じゃない?」

「馬鹿ヤロ! 前々から一生懸命考える事に意味があんだよ!」

「さいですか」


 一転、幸せスイッチが入った涼介を適当にあしらって、僕はパソコンに向き直ろうと、


「あ、そうだ望月」

「ん」


 椅子を回そうとしたところで、声をかけられた。


「来週の日曜は暇か?」


 例のお誘いか。


「来週の日曜は」


 ──予定がある。

 いつも用意していた定型文。

 土日は完全プライベートな時間にしたいから、何度も涼介の誘いを断っていた。


 ただ今日の僕は、おそらく、気が向いていたのだろう。


 じゃないと説明のつかない返答を、口にした。


「今のところ、暇だよ」

「そっかー、じゃあまた次の機会に……え?」


 あまりに予想外だったのか、涼介はぽかんと口を開いた。

 珍しく、思考が止まった顔をしている。


「それはつまり、行けるってことか?」

「他に解釈があるのなら教えて欲しい」

「おおっ、そうか、行けるのか!」


 まるで息子が大学に合格したかのようなリアクションをする涼介。


「くうー、誘って誘ってはや半年、長かった! 諦めずにアタックし続けてみるもんだな!」


 涼介は子供みたいに笑って、グッと拳を握った。

 なぜ彼はそこまでして、僕と麺を啜りに行きたいのだろうと不思議に思う。


「それじゃ、日程はまた追って連絡するわ!」

「わかった」


 上機嫌に鼻唄を歌いながら自分のデスクに戻っていく涼介。

 その後ろ姿を眺めつつ、今更ながら、彼の誘いを了承した判断を不思議に思った。


 こんなの、前の僕なら絶対に下さない意思決定だ。


 涼介には相談に乗ってもらったのでなにかしら恩を返さないと、という気持ちはあった。

 ただそれとは他にも理由がある。


 ……おそらく、自身のプライベートが他者に侵食される事に前ほど抵抗を抱かなくなっているのだ。


 原因は言うまでもなく、彼女だ。


「良いのか、これ」


 呟くも、その問いに答える者は誰も居ない。


 ただ不思議と、悪い気分ではなかった。

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