第46話 彼女と誕生日ケーキ
「おいひい!」
フォークを口に咥えた彼女が、瞳をぱああっと輝かせる。
左手で猫のぬいぐるみを抱え、右手でひょいパクひょいパクと器用にモンブランを口に運んでいく様子を眺めながら、僕は素朴な疑問を投げかけた。
「夕食、友達の家で済ましてきたんじゃないの?」
「もちろん、食べてきたよ?」
「よく入るね」
「ふっふっふ、なにせ私だからね!」
「これ以上にない説得力だ」
僕も珍しく、彼女の戦利品であるイチゴのショートケーキをつついていた。
夕食を摂ってしまえば次の日の朝まで何も食べられなかった過去を思い起こすと、胃袋が膨らんでいるのは間違いないようだ。
ほどよく甘いショートケーキを2口食べたところで、彼女は8等分したモンブランケーキの一切れをぺろりと平らげていた。
「いつも思うけど、速すぎない?」
「えへへ、美味しくてつい」
「答えになってない。まあ、ネットでは有名な店で買ったから、味は確かなはず」
「やっぱり、だってすっごく美味しかったもん!」
そのままの流れで二つ目に手を出すかと思いきや、彼女は残り7切れのケーキを箱に戻した。
「あれ、もう食べないの?」
てっきり一切れじゃ足りないと思って、ホールごと買ってきたのだけれど。
「だって一気に食べたらもったいないじゃん。残った分は明日から、一切れずつ食べる事にしたんだ」
そう言って彼女は、箱の表面を優しく撫でた。
「腐らない?」
素朴な疑問を投げかけると、彼女は「あっ」と口を開いた。
僕は冷たい視線を贈ってやる。
「嬉しさ一杯ですっかり失念しちゃってた、てへ」
「てへ、じゃないよ。お腹壊したらどうするの?」
「私の胃袋、けっこう硬いから大丈夫かも」
「説得力あるけど、やめておきなよ」
「じゃあさじゃあさ、望月くんも一緒に食べようよ!」
思わぬ提案だった。
「……君に買って来たんだけど」
「シュークリームの時にも言ったじゃん。一人で食べるより、誰かと一緒に食べる方が美味しいって」
確か、言ってた気がする。
加えて、その通りの結果になった記憶もあった。
素直に従うことにする。
「じゃあ、僕も頂こうかな」
「そうこなくちゃ! 取り分けてこよっか?」
「いや、今はいい」
今日はもう、お腹いっぱいである。
「でも確かにこれ、結構高級なケーキだから、小分けに少しずつ食べた方がお得感があるね」
何気なく言うと、彼女がムッと表情を険しくした。
察しの良い僕は、すぐさま言葉を返す。
「違ったか」
「違うよー」
今度は僕が難しい顔をする。
彼女はやれやれと首を横に振った。
察しの悪い僕に、彼女は説明してくれた。
「少しずつ食べていけば、今日の嬉しい気持ちを何日も堪能できるでしょ」
「……ああ、なるほど?」
言ったものの、半分くらいしか理解できなかった。
理解できたのは理屈的な部分で、できなかったのは感情的なほう。
このパターンは論理的な解が出ないので、深くは考えない事にした。
僕がわからなくても、当の本人は幸せっぽいので良しとする。
「ところで、なんでモンブランなの?」
冷蔵庫に箱をしまいながら、彼女が訊いてきた。
ケーキ界隈のポピュラーさで言えば、チーズやチョコレートに比べると、モンブランは一段下のレイヤーに属する印象だ。
わざわざモンブランを選択した理由に疑問を抱いたのであろう。
彼女がソファに戻ってきて、自由になった右腕もぬいぐるみに絡めさせたところで、僕は理由を口にした。
「前ビュッフェに行ったとき、最後に食べてたから、好きだと思って」
映画を観た後に行った、新宿のビュッフェ。
あの時、満腹で死にそうになっていた彼女が一番最初に口にしたのはシュークリーム。
そして、最後にモンブランケーキを頬張っていた。
最初と最後に食べるものはたいてい好物、という僕の中にある真理。
それに沿ったまでだった。
僕の返答に、彼女は一瞬きょとんとしたあと、呆けたように口を開け、最後に頬を赤くした。
赤くした? なぜ?
ぼすんと、彼女がぬいぐるみに顔を埋める。
「そっかー、そうきたかー」
ぬいぐるみに顔を押し付けたまま、片手で髪をわしゃわしゃと搔きあげ、顔をあげて表情を悔しそうにしたかと思えば口元を緩ませたり、笑ったり、ぐぬぬっと唸り声をあげたり、感情を大渋滞させていた。
今日は一段と忙しない。
感情を司る脳がバグってしまったのだろうか。
彼女がぬいぐるみの顔をこちらに向けた。
「望月くん、きみ」
彼女がジトッと、僕の脳内辞書では言語化できない目を向けてくる。
何かしたわけでもないのに、咎め人になったような気分になった。
「無意識に不意打ち食らわせるの得意でしょ?」
もふもふと両前足を手で弄りながら、彼女は僕の理解の及ばない、平たく言えばわけのわからない事を言った。
「なんの話」
「こっちの話ですぅ」
ぎゅうっとぬいぐるみを抱き直して、彼女はツンとそっぽを向いた。
急に態度が塩っぽくなった彼女に対しどんな言葉をかけていいかわからず、とりあえず残りのケーキを頬張る。
彼女の塩対応のおかげか、ケーキはさっきよりも甘ったるく感じた。
機嫌が治ればと一縷の望みをかけて、僕は話題を転換する。
「随分と気に入ってるみたいだね、それ」
「うん、すっごく!」
破顔一笑して、彼女は大きく頷いた。
「本当にありがとう。すっごく、すごく嬉しかった」
「大げさだよ。そんな高いものでもないし」
言うと、彼女が再びムッとした。
また違ったか。
僕が身構えると、彼女は優しい笑顔を浮かべた。
慈愛に満ちた表情で、彼女は言葉を紡ぐ。
「私のこと、ちゃんと見ててくれたことが、嬉しいの」
彼女の嬉しげな笑顔を見ると、自分の推測は正しかったんだと安心を覚える。
世間一般の女性ではなく、彼女は何が欲しいのか。
その思考転換が決め手だった。
僕は心の中で、親友さんに謝辞を述べた。
「ねえねえところでさ、望月くんの誕生日っていつなの?」
「確か……6月19日」
急に話題を変えるもんだから振り落とされそうになるも、記憶を呼び起こして答える。
彼女は愕然とした。
「えええーーひどい!! もう終わってるじゃん!」
「僕に言われても」
「ぐぬぬー、もうちょっと出会うのが早ければ……」
早くても、教えたかどうかは定かじゃないけど。
内心で呟く。
心底悔しそうにする彼女だったが、おなじみの切り替えの速さですぐさま表情を前に向かせた。
「よし、じゃあ来年の6月19日ね! もう覚えたから、今度は私が全力で祝ってあげる!」
来年は東京にいないけどね。
喉まで出かかった事実を、僕はすんでのところで引っ込めた。
なんとなく、今言うと彼女のテンションを下げてしまうような気がしたから。
せっかくの誕生日にそれはよくない。
「じゃあ、期待しておく」
それだけ言うと、彼女は太陽みたいな笑顔を浮かべて「任すがよいっ」と胸を張った。
その仕草がとても子供っぽく見えて、とても一つ歳を重ねたようには思えなかった。
とはいえ、彼女に喜ぶ品を贈れた事は、僕に大きな安堵をもたらすと同時に理屈では説明できない温かな感情を沸き立たせた。
その感情を言語化する事はできない。
ただ、悪いモノではない、ということだけは確信を持てた。
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