第107話 明るくて


 『いつ、彼の事を好きになったのか』


 なんてのは、答えるのが難しい質問だ。


 気がつくと、好きになっていた。


 という、ありきたりな答えしか浮かばない。


 でも、確実に言えることがひとつある。


 それは……私は彼といつ、どこで出会ったとしても、必ず好きになっていた、ということ。



 ◇◇◇



 ──あれは確か、遅咲きの桜が残る4月の終わり頃。


 中間テストの勉強のために図書館に行った際、彼と遭遇した。


 閲覧コーナーのパイプ椅子に腰掛けて、彼は本と睨めっこしていた。


 ちょうど彼の対面が空いてたから、私はそこに座った。


 彼は私を、ちらりと見た。

 

 しかしそれは一瞬のことで、すぐに視線を戻し、そのまま身体をぴくりとも動かさず、しかめ面のまま読書に耽る彼。


 なんだか怖そうな人だなー、というのがその時の私の印象だったけど、不思議と圧迫感も緊張感もなかった。


 意識はすぐにテスト勉強に移って、私は参考書と睨めっこを始めた。


 どれくらい時間が経っただろうか。


 ページを捲る音とシャーペンのカリカリ音に混じって、くすりと、小さな笑い声が聞こえてきた。


 顔を上げる。


 緊張感のあった面持ちに、微かな笑みが浮かんでいた。


 ……そんな顔もするんだ、と思った。


 私の中の彼の印象が、「怖そうな人」から「笑ったら可愛い人」になった。


 その数日後、彼が同じマンションの、しかもお隣さんだということを知った。


 すごい偶然!


 表札を見て知った苗字は『望月』


 望月くん、かあ。


 少しだけ、望月くんと仲良くなれないかなーとか、思ったりした。


 なんでだろ。



 ◇◇◇



 望月くんと初めて言葉を交わしたのは、初邂逅から半年が経った10月の雨の日。


 その日の私は辛いことがあって、自暴自棄になってた。


 周りが見えていなくて、衝動のままに『力』を使ってしまった。


 その現場を、望月くんに見られてしまった。


 おわた! と思った。


 この力を目にしてプラスの方向に動いた人間を、私は知らない。

 

 気味悪がられるか、好奇心のまま根掘り葉堀り聞いてくるか、言葉巧みに利用しようとしてくるか……そのどれかだ。


 今回もまた……。


 と思ってたのに、


「さっき見た事、誰かに口外するつもりはないから」


 望月くんはそもそも、私の力に興味を示していなかった。


 それどころか、雨に打たれる私を心配してくれた上に、自分の持ってた傘を私に差し出してくれた。


 なんていい人……じゃなくて、そんなことある!?


 明らかに異常なシーンを目撃したはずなのに、どうしてそこまで冷静なの?


 ──知りたい!


 気がつくと私は、傘の返却を口実に望月君の部屋を訪ねていた。



 ◇◇◇



 私のせいで、望月君が風邪を引いてしまった。


 望月君は私のせいじゃないと言うけど、どう見ても私のせいだ。


 半ば強引だったけど、望月君の看病をさせてもらった。


 その流れで私は力を使って、望月君の風邪をちょっぴり軽くした。


 でも、この時もやっぱり望月君は、私の力に関心無さげだった。


 不思議不思議、なんでなんでなんで?


 望月君が言うには、


「現代の科学では説明のできないことなんて、たくさんとある。そのひとつだと思えば、案外納得できる」


 ふむん、なるほど?

 

 言ってることはわかったけど、それですんなり納得できるの?


 私にはわからない感覚だ。


 それからお喋りしていく中でなんとなく、望月君の人となりが見えてきた。


 たぶん、現実主義で合理的に物事を考えるタイプ。


 それもかなり極端なほう、少なくとも今まで私が接してきた人たちの中には居ない。


 思いつきと感情で動く私とは正反対だ。


 面白い!


 気がつくと私は、望月君に興味を持っていた。


 望月君の纏う雰囲気、話す言葉、考え方はどれも、私にないものだったから。


 もっと仲良くなりたい。


 気持ちを抑えきれず、望月君をご飯に誘うことにした。



 ◇◇◇



 望月君、まさかの年上だった!

 

 私と同じくらいかなーと思ってたから、びっくり。


 地元の大学を休学して、こっちで働いてるらしい。


 意外にもすごい行動力。


 なんで休学したんだろう?


 今度、聞いてみよう。



 ◇◇◇



 望月君と一緒に夜ご飯を食べた。


 いろんなことがわかった。


 まず、望月君は少食だ。


 男の子なのに、女の子か! ってくらい、食べない。


 あ、もちろん私基準じゃなくて、ふつうの女の子基準ね!


 そのせいか、身体も細いし、顔色もどこか不健康そうだ。

 

 背格好はもさっとしているけど顔立ちは悪くないし、もっと肉付きが良くなれば良い感じになると思うのに、もったいなーい。


 それと、望月君はやっぱりいい人!


 私の誘いになんだかんだで付き合ってくれるし、どんな会話を振ってもちゃんと考えて返答してくれるし……あと、店員さんへの「ありがとう」「ごちそうさま」をちゃんと言う。


 優しいし、誠実だなって思った。


 最後に、望月君はやっぱり、私とは違う。


 望月君の放つオーラや声はどこか人間味に欠けていて、温度が低い。


 失礼な言い方しちゃうと……なんだかロボットみたい(笑)


 感情が顔と身体にすぐ出ちゃう私とはやっぱり、正反対だ。


 それとたぶん、望月君は人に興味がない。


 私がこんなにもわかりやすく興味を示しているのに、望月君はあろうことか、人の興味が自分に向くわけがないって言った。


 ちょっとショック!


 でも、それが望月君なんだと思った。


 友達は居ない、居たことないって言われた時には流石にびっくりしたけど。


 望月君は自分が一人であることになんら不自由はない、むしろその方が心地いいとさえ思ってる風だった。


 すごい、私には出来っこない。


 人との繋がりが無いとだめだめな私からすると、自分だけと向き合う望月君の姿はどこか魅力的に見えた。


 どうすれば、そういう考え方ができるんだろ?


 望月君に対する興味が、いっそう強くなった。



 ◇◇◇



 公園で待ち伏せをしてみるの巻!


 部屋に直接突撃するのも考えたけど、こういうのは偶然出会った感があるほうがきっと素敵だ。


 3日目で見事遭遇!


 寒い中よく頑張った私、えらい!


 そのご褒美として、望月くんの名前がわかった。


 『治』くん。


 いい名前!


 これからは下の名前で呼ぼっかなーって思って、ハッとなった。


 そういえば治くんは、私のことを一度も苗字で呼んだことがない。


 私は「望月くん」って呼んでるのに、望月くんはずっと私のことを「君、君、君」


 なんでだろ?



 ◇◇◇



 望月くんに料理を振る舞うという名目で、またお部屋にお邪魔できた。


 ノリと勢いって大事!


 肉じゃがも唐揚げも好評だった。


 いつも表情が動かない望月くんがわかりやすく表情を綻ばせていて、心の中でガッツポーズ!


 でも唐揚げにレモンは絶対にかけた方がいい、これは絶対!


 食後に、ちょっと素敵なことがあった。

 

 私の手の小さな火傷に望月くんが気づいた。


 唐揚げを揚げてる時に油が跳ねたって言うと、望月くんはすぐに軟膏と包帯を持って来てくれた。


 あまりに迷いのない動きに、驚いた。


 でも、嬉しかった。


 つい顔がにやけちゃうくらい。


 本当に優しい人だなーって、思った。


 この時、私の中で望月くんに対するイメージがちょっと変わりつつあった。


 感情の乏しい冷たい人なのかなーって思っていたけど、なんか違うような気がしてきたのだ。


 実はただ感情表現が苦手、もしくは知らないだけで、根はとても……愛情深い人なんじゃ無いだろうか。


 根拠は別に無い、ただの勘!


 でも、だとしたら、やっぱりとても素敵な人だ。


 是非お友達になりたい! 


 そう思った。


 願いが通じたのか、その日、私は望月くんと『お友達』になった。

 


 ◇◇◇


 

 やっぱり望月くん、不摂生すぎ!


 あんな食生活じゃ早死にしちゃう。


 私の目が黒いうちは、毎日不健康カップ麺生活なんて許さないんだから!


 というわけで、望月くんの部屋に毎晩夕食を作りに行った。


 最初はあまり乗り気じゃ無さげな望月くんだったけど、ある日を境にすんなりご飯を食べてくれるようになった。


 これは良い傾向!


 そのまま勢いで映画に誘ったら、なんとOK!


 一緒に「ケーキの子」を見に行った。


 意外なことに望月くんは映画をとても気に入ってくれたみたいで、レストランで感想会をしたら大盛り上がりだった。


 超楽しかった、また行きたい!


 あと、たまたまゆーみんと遭遇!


 自己紹介している望月くん、カチコチで面白かった(笑)


 望月くんもゆーみんもいい人だ。


 せっかくだから、二人には仲良くなってほしい。

 

 そう言ったら、望月くんは「検討しておく」だって。


 絶対検討してくれないやつー。


 いいもんね、私が今度、ゆーみん連れてくるもんね。


 とまあこんな感じで、望月くんとは毎日顔を合わせていた。


 ここまで一緒にいると、端から見れば付き合ってると思われてもおかしくないし、私も突っ込まれたらもごもごしてたと思う。


 でも、望月くんとはそういうのじゃない。


 一緒にいて、なんというか、落ち着くというか?


 恋愛的に好きな人に感じるドキドキとは、違う気がする。


 まあ、まだ恋したことないんですけどね(笑)


 そもそもこの時の私は、いろいろあって恋愛には意欲的じゃなかった。


 だから、ちょうどいい距離感だなーって思ってた。


 向こうもこっちがグイグイ来るから仕方なく、って感じで、私自身に対してはさほど興味がないって風だったし。


 このまま程よい距離感で過ぎていくのかなーとか、ぼんやり思っていた。

 

 あの日までは。



 ◇◇◇



 なななんと!


 望月君がお土産を買って来てくれた!


 そういうのしない人だと思ってたから、びっくりした。


 買ってきてくれたのは、シュークリーム……って、私の好きなやつ!


 なんでシュークリーム?


 訊いたら望月くんは、さも当然という風に


「取って来たデザートの中で一番最初に食べてたから、好きなのかなって」


 どきり。


 望月くんの言葉で、胸がきゅうっと締まった。


 私が、これまでの人生で抱いたことのない感覚。


 え? え?


 なにこれ。


 でもすぐ「嬉しい!」って気持ちで一杯になったから、一瞬抱いた感覚の正体は掴めなかった。


 気のせい、かな?


 ひとまず、望月くんにたくさんお礼した。


 本当に嬉しい、ありがとう。



 ◇◇◇


 

 望月くんと高尾山で紅葉狩り!


 これも超超楽しかった!


 スープカレーは美味しかったし、紅葉は綺麗だったし、お猿さんは可愛かったし、炭火焼き団子は……とにかく最高だった!


 でも望月くん、予想はしてたけど本当に体力なかった(笑)


 登り始めてすぐにぜーはーして死にそうになってて、なんか可愛いかった。


 けど、流石に体力なさ過ぎ!


 たくさんご飯食べさせてあげたら、少しは体力つくかな?

 

 印象的だったのは、お寺で引いたおみくじ。


 望月くん、今まで引いたおみくじ全部『凶』でしょんぼりしてたから、『望月くんの運勢が上がりますように!』ってお願いしてあげた。


 そしたら見事にひとつ上がってた!


 さすが私!


 ……それはさておき。


 私のおみくじに書かれてた内容。


 『待ち人:今の人逃すな』


 神様これ、どういう意味?(笑)

 


 ◇◇◇



 高尾山の山頂で知った。


 望月くんは、来年の3月には地元に帰っちゃうらしい。


 なんだかとても、寂しい気持ちになった、けど、


「望月くんが帰るまで、いっぱい色んなところ行かなきゃだね!」


 無理やり笑った。


 せっかくの楽しいイベントなのに、しんみりちゃうのは良くないよね、うん。


 でもそのあと、嬉しいことがあった。


 望月くんが、私と関わるのを「嫌じゃない」って言ってくれたのだ。


 もう、嬉し過ぎてつい、背中をべしべし叩いちゃった。


 ごめんね(笑)



 ◇◇◇



 高尾山の帰りに、ちょっとしたハプニングが起きた。

 

 私が蜂に驚いて転びそうになったのを、望月くんが防いでくれた。


 そのせいで、望月くんが怪我をしてしまった。


 なのに望月くんは、すぐ私の身を案じてくれた。


 たくさんの嬉しさと申し訳なさに混じって……胸がきゅうっと締まった。

 

 まただ、またあの感覚だ。


 身体の芯が一気に沸騰したかと思えばすぐにじんわりとした優しいぬくもりに変わるような……うまく言えない。


 それからすぐ後、また同じ感覚を抱いた。


 下りのケーブルカーの傾斜が凄くて、よろめいた私は望月くんに抱きついてしまった。


 望月くんの匂い、体温、感触を間近に感じて、頭が真っ白になった。


 見かけはほっそりしているのにしっかりとした胸板は力強さを感じさせて、望月くん、ちゃんと『男の人』なんだなって……ってなに考えてるの私!


「ごっ、ごめん!!」


 反射的に謝って身体を離した。


 胸がドキドキする、顔が熱い。


 一体、どうしてしまったのだろう。


 ここ最近、望月くんと過ごしていると起こるこの現象。


 その正体を、私はまだ知らない。


 でも、なんとなく……悪いものじゃない。


 そんな確信があった。

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