第81話 日和と初詣②


「結構並んでるねー」


 日和の言葉の通り、賽銭箱の前にはそれなりの列が形成されていた。


 基本無宗教の日本人たちもこの時ばかりは賽銭を握りしめ、神様に今年一年の願いを聞いてもらおうというのだから現金なものである。

 かくいう自分のその一人なので、なんとも言えないところだけど。

 年明け早々神様も大変だなーと、列に並びながら他人事の思考に耽っていると、


「ねえねえ! 今日の私、どう?」

 

 じっとしていることに耐えかねたのか、日和が不意に言葉を投げてきた。

 その質問の意図を瞬時に察せるくらいには、過去に何度も同じような問いを受けている。


 日和を、正確にはその服装を見やる。


 まず目についたレッド系のチェスターコートは、冬の寒さを感じさせない日和らしいカラーを印象付けた。

 その下に見えるクリーム色のニットセーターは包み込むようなサイズ感で、抱きしめると柔らかい反動が返ってきそうだ。

 ブラウン系のスカートからは黒タイツに包まれたすらりと長い足が伸びており、足元は黒のショートブーツを履いている。

 頭の上には赤色のベレー帽がちょこんと乗っていて、可愛らしさをひい立たせる良いワンポイントアイテムになっていると感じた。


 ふわっと感とフェミニンさのバランスがとても良い。

 カラーリングも日和らしく、可愛らしいコーデだと思った。


「似合ってるし、可愛いと思う」 


 そのままの感想を口にすると、日和は「やたっ」と嬉しそうな声をあげ、ぎゅっと拳を握りしめた。

 次いで口元をマフラーで隠し、照れくさそうに目を伏せる。


 可愛い。

 喉まで出かかった言葉を押し込む。

 胸のあたりが、きゅっと締まった。

 

「というか、こういう質問は僕じゃなくて結海にした方が的確なアドバイスがもらえるんじゃ?」


 気恥ずかしさを誤魔化すように、結海にボールを投げる。

 結海は、意外な事実を口にした。


「それに関して言えば、このコーデは私が提唱したものですよー」

「え、そうなの?」

「はいー。なんならたくさん質問されましたよー。治くんが好きそうな組み合わせはどれだ」

「わーわーわーわー!!」


 急に日和が声を上げて結海の口を塞いだ。

 日和にしては珍しく、目に見えてわかるくらい動揺している

 

 手を当てられもがもがしている結海と「なんてこと言うのっ」とほのかに声を荒げる日和。

 この数瞬の間に様々な思惑が交錯したように感じたが、その詳細を言語化することのできない僕は、混乱する。


「どういう流れ?」


 訊くと、日和はぎぎぎっと音が聞こえそうな調子で振り向き、明らかな誤魔化し笑いを浮かべて言った。


「ななななんでもないよ」

「流石に無理がある」

「本当になんでもないからっ」


 どうやら深く詮索されたくないようだったので、口を噤む。

 とはいえ伝えたいこともあったので、頬をぽりぽりと掻いて言う。


「その、僕なんかのためにお洒落してくれたのは、すごく嬉しいよ」


 率直な気持ちを明かすと、日和は微妙な表情を浮かべた。

 違うんだよなー的な、なんならちょっと機嫌斜めのように感じる。


「……なんか、まずいこと言った?」

「うん、言った。「僕なんか」って」

「でも」

「卑下するの禁止っ。前にも言ったでしょ。治くんは良い所たくさんあるんだから、もっと胸張りなさいって」


 めっと人差し指を向けられる。


「ああ、うん……なんか、ごめん」

「謝らないの。謝り癖は思考を後ろ向きにしちゃうから」

「それは否めない」

「はいっ、じゃあこんな時はなんて言えば良いでしょう」

「……ありがとう」

「ふふっ、よろしい」


 にぱっと笑って、日和が手を伸ばしてきた。

 そのまま頭をぽんぽんされる。


 せっかく下げた体温が、また一気に上昇した。


「あの」

「なーに?」


 色々と気づいていない様子でにこにこしている日和に、告げる。


「……人前では、遠慮してもらえると」

「あっ……」


 言うが遅く、後ろに並ぶ夫婦らしき男女がニマニマとこちらを眺めていた。


「ごめん、つい……!!」


 バッと手を引っ込めた日和が、かああっと表情を朱に染める。

 それを目にして、僕の羞恥が一層大きくなる。


「見てて吐くほど甘ったるいですねー」


 結海が、よくわからないことをぼそりと言う。


「なんの話」

「まあ私、物理的にも精神的にも甘いのは大好物なので、全然ウェルカムなのですがー」

「だから、なんの話」


 結海は答えず、ただニコッと笑うだけであった。


 そうこうしているうちに列が捌けて、僕らの番がやってきた。

 神様のお財布に十円玉を投げ込み、名前のわからない鈴をじゃらじゃらと鳴らし、二拝二拍手一拝して祈る。


『平和な日常が続きますように』


 気づく。

 内容は、高尾山で祈ったものと同じだったことに。


 違うのは、前回と比べて長く祈っていたことくらいか。


「ねぇねぇ! なにお願いしたの?」


 神の御前から離れてすぐ、日和が訊いてきた。

 既視感を覚える流れ。

 

「平和な日常が続きますように」


 今回は、濁すことなく答えた。

 

 反応を伺う。

 日和は、表情に喜色を浮かべ質問を重ねてきた。

 

「それってつまり、これからも私と一緒に過ごしたいってこと?」

「うん、そうだと思うよ」


 迷いなく、答えを口にする。


 去年の僕が聞いたら驚くだろう。

 僕が、日和と過ごす日々を強く望んでいることを。

 それこそ、お祈りなんて非科学的だと軽視していた僕が、深く、長く祈ってしまうくらいに。


 僕の返答に、日和はふわふわとしたわたあめみたいな笑顔を表出させた。


「私も同じ事をお祈りしたよ! 治くんと過ごす楽しい日々が、少しでも長く続きますようにって」


 胸の奥で、何かが擦れた。


 前回も、日和の願いが自分と一致している事を知り、同じ感情を覚えた記憶がある。


 あの時は、その感情の正体を掴める事ができなかった。


 今、わかった。


 日和が一緒に過ごしたいと思ってくれている事を、僕は嬉しいと感じているのだ。


 雪降る公園。

 『来年のクリスマスも一緒にいたい』と日和に告げられ初めて抱いた、他者に必要とされて嬉しいという感覚。

 それは、人とのつながりを必要としなかった僕が、元来持つはずがなかった感情だった。


 日和によってもたらされたそれは温かくて、言葉に言い表せない充実感を抱かせる。


 意思に反した表情筋が、僕の口角をそっとあげた。


「なに笑ってるの」


 日和も朗らかに笑いながら、尋ねてくる。


「別に。願い事が被ることも、あるんだなって」


 内心で思っていても言葉で表すのは小っ恥ずかしくて、誤魔化してしまう。


 こればかりは、どうしようもない。


「ふふっ、そうだねー」


 日和は特に疑問を抱いた様子もなく、楽しげに笑った。


「ゆーみんは、何お願いしたのー?」


 視線を結海に向けて尋ねる。

 結海はしばし目線を天に向け、考え込むような仕草を見せた。


 そんな考えるような事だろうか。

 疑問に思っていると、結海はどこか悪戯っぽく笑った、ような気がした。


「ひよりんと望月さんの仲が進展しますよう」

「わーわーわーわー!!」


 仲が進展?

 仲が進展?


 とは、どういうことだ。


 疑問を抱いた途端、日和が再び結海の口を塞いでぎゃーぎゃーし始めた。


「いきなりなんてこと言うのー!」


 詰め寄る日和と、口の自由を奪われてもがもがしている結海。


「ねえ」

 

 声をかけると、ばっと振り返った日和は鬼神の如く「何も突っ込んでくるな」オーラを噴出した。

 肉食獣に射抜かれたチワワみたいに、たじろぐ。

 

「深い意味はないから」

「え」


 言葉の意図がわからず素っ頓狂な声を漏らす。


「さっきのゆーみんのお願い、深い意味はないから!」


 顔を真っ赤にして言う日和に、僕はただただ「う、うん……」と返すばかりであった。

 なぜ発言者でない日和が断言できるのか疑問に思ったが、突っ込んだから喉を噛みつかれそうな勢いだったので、押し黙る。


 そんな僕と日和のやりとりを、いまだに口を押さえられた結海が呆れ顔で眺めているように見えた。

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