第80話 日和と初詣①
「ひゃーっ、寒いねー!」
元旦の下北沢に、日和の声が響き渡る。
小鳥のさえずりくらいしか張り合うものが居ないため、もはや独壇場だ。
いつもは賑やかな繁華街も人通りはまばらで、シャッターが閉まっているお店がほとんどだった。
「冬の朝っていいよねー。人がいなくて静かだし、空気も凄く澄みきってるし!」
言いながら日和は、僕と結海の3歩くらい先を先導して「んんーーっ」と両腕を伸ばしている。
スキップしたり、くるくる回ったりと、その足取りはフィギュアスケーターのように軽やかだった。
寒さを感じさせないその姿を眺めていると、本当に同じ季節を生きているのだろうかと疑いを持ちそうになる。
「学校でも、いつもこんな感じなの」
「まんまですー」
隣をちょこちょこ歩く結海が頷く。
想像する。
日和と過ごす学園生活を。
賑やかで休む間もないんだろうけど、ちょっとだけ体感してみたい気もした。
たぶん、1日で満足する程度の、好奇心。
「……くしゅん」
隣で可愛らしいくしゃみが上がる。
「寒そうだな」
「寒いです。手袋忘れてきちゃいましてー」
言って、しきりに手を摩る結海。
何気に、結海の私服姿を見たのは初めてだった。
すんすんと鼻を鳴らす結海はクリーム色のブラウスにブルーのアウター、その上にパステルカラー色のダッフルコートを着込んでいる。
ブラウン系のスカートの下からは濃い黒タイツが伸びており、足元は黒ソックスと底のあるレースアップシューズを履いていた。
しっかり防寒能力を備えつつも、あどけなさが引き立つ可愛らしいコーデだと思った。
「背がちっちゃい分、熱を生み出す力が弱いのかもしれませんねー」
「ああ、確かにそれはあるかも」
「すんなり同意しましたねー。そこはフォローするところですよー」
むむっと、結海はおやつの時間をすっぽかされた子供みたいに頬を膨らます。
「……ごめん」
「ふふっ、怒っていませんよー。むしろ、正直なのは良いことです」
くすりと、結海が小さく笑う。
今度は子供っぽさを感じさせない、大人びた表情。
本当に4つ下か?
疑いを持ちそうになる。
「お詫びじゃないけど。これ、よかったら」
ポケットの中で温めておいたカイロを、結海に手渡す。
結海は、その眠たそうにしていた目を大きく見開いた。
「いいん、ですか?」
「いいよ」
「でも、望月さんが」
「暑さより寒さに強い体質だから、平気」
半分嘘である。
強いが、寒いことには変わりない。
とはいえぷるぷると凍えている結海を見ていると、そっちの方をなんとかしてあげたくなる。
結海は、微かに葛藤する素振りを見せた。
しばらく腕を組み「うー」と頭を傾げていたが、やがてふるふると首を横に振った。
「私は大丈夫です。なのでこのカイロは、ひよりんに渡してあげてくださいー」
優しいな、と思った。
さすがは、日和の親友なだけある。
しかしだからこそ、ぬくぬくして欲しいと思った。
「日和の分は別に持ってるから、大丈夫」
「……流石、事前準備は万端ですねー」
「だからそれは、結海が使いなよ」
言うと、結海は観念したようにぎゅっと、カイロを両手で包み込んだ。
まるで、大事な宝物を貰ったみたいに。
「あったかいです」
「そりゃよかった」
「ありがとう、ございます」
小さな謝辞を溢して結海は、口元をカイロを握った手で覆い隠した。
年相応の、邪念のない笑顔。
そんな表情も出来るんだと、ちょっと意外な一面を知れた気になる。
そうこうしているうちに目的地に到着した。
下北沢の初詣スポットとしてはメジャーらしい、北澤八幡神社。
「おーっ、早速賑わってんねー」
元旦の午前だというのに、境内はそれなりの人だかりが出来ていた。
さすが東京。
地元では見られない光景だ。
「まずは身を清めないとだね!」
日和の言葉に従い手水舎へ。
そういえば、日和と手水舎で肩を並べるのは2回目だ。
前回は高尾山で、作法を遵守する日和のことを意外に思ったものだ。
あれから2ヶ月経ったのかと妙な感慨に耽りつつ、水で手を清める。
1月の水道水は刺すように冷たく、思わず身体が震えてしまう。
「ひゃっ、ちべたい!」
右隣で日和が僕の気持ちを代弁してくれている。
言う割に、日和は楽しそうに笑っていた。
普段は味わえない強い刺激を楽しんでいるかのように。
「……」
左隣で結海が、ぷるぷる震えながら手に水をかけていた。
終えた後はすぐさまハンカチで手を拭い、先ほど渡したカイロで体温を取り返し始める。
カチコチだった表情に、ほっと安堵の色が灯った。
微笑ましい。
「やっぱり冷たいねー」
言いながら、ハンカチの摩擦で暖を取る日和。
気分的には平気だったものの、皮膚まではカバーできなかったらしい。
わずかに赤らめた繊細な手に、カイロを差し出す。
「いる?」
「いいの?」
「うん」
「でも、治くんが」
「自分の分はある」
「そっか。じゃあ、貰っちゃおっかな」
「はい」
「ありがとう!」
受け取ったカイロを、日和は頬に擦り付け始めた。
「あったかーい」
「手じゃないんかい」
「なんかやりたくならない?」
「いや、別に」
「うっそだー! ほら、暖かいよ?」
言いながら日和は、僕の頬にカイロを押し当ててきた。
頬に唐突に触れる熱。
日和からすると本当に何気ない動作だったのかも知れないが、僕にとっては不意打ち極まりない所業だった。
「ね?」
すぐ目の前で、日和の端正な顔立ちがにっこりと笑う。
言葉は発せなかった。
ただこくこくと、首を縦にふるだけで精一杯だった。
自分の顔が、カイロの熱に負けないくらい熱くなってきた事を自覚した。
ぱしゃり。
聞きなれたシャッター音で、思考に冷静さが帰還する。
振り向くと、結海がスマホをこちらに向けていた。
「ああーっ、また撮って!」
悪戯っ子を叱るような調子で、日和が結海を指差す。
「微笑ましくて、ついー」
言葉通り、結海は仲の良い2匹の子猫を眺めるような表情を浮かべていた。
「いいもんね。私も治くんをパシャるもんね」
「だから、なんでそうなるの」
ぱしゃり。
やはり僕に肖像権は無いらしい。
「お気に入りに追加〜」
さっきも聞いたようなセリフを口にして機嫌良さげにする日和。
やれやれと、溜息をつく。
こんなに騒がしくして神様に怒られないかと心配する。
献上するお賽銭を2倍にして許してもらおうとか、一人でそんな事を考えていると、
「望月さん」
「ん?」
「顔、赤くありませんー?」
……そんなこと、わかってる。
だから全く関係ない事を考えて、体温を下げようとしていたのだ。
「……冷たくなった身体が体温を正常に戻そうと、血流を良くしてる」
先と同じように、それっぽい理由を言い放つ。
流石に苦しすぎるか。
「なるほど、そうですかー」
結海はまた、それ以上は突っ込んでこなかった。
ただ先ほどよりも深い笑みをたたえて、僕と日和を微笑ましそうに眺めていた。
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