第3章

第70話 日和と、クリスマスの予定

「もうすぐクリスマスだねー」


 夕食後のソファ。

 隣に座る日和が、弾んだ声色で言う。


 漫画に集中していた僕は、その返答にワンテンポ遅れを取ってしまう。


「治くんは、なんか予定ある?」


 日和が先回りで尋ねてくる。 

 相変わらず会話の気が早い。


「普通に平日だから、仕事かな」

「うへえ大変、と思ったけど、私も学校だった!」


 大仰なリアクションをとって、後ろ手で頭を掻く日和。

 間髪入れず、次の質問が飛んで来る。


「お仕事終わった後は?」

「家に帰る」

「それで?」

「漫画読む」

「おっ、ハマってくれて嬉しー。……それだけ?」

「他に何かやることが?」

「それただの平日じゃん!」

「クリスマスってそういうもんじゃないの」


 日和は珍しいものを見るような視線を僕に注いだ。

 溜息をつき、その視線が言わんとしていることに返答する。


「日和の言いたいことはわかる。ただ僕は、クリスマスだから特別な事をしようって思考じゃないし、一緒に過ごす相手もいない。ただそれだけ」


 物寂しくなってきたのは、部屋の温度が低いからだろうか。

 設定温度を見てみたが、そんなこともなかった。


 温度で思い出したが、暖房器具として購入したこたつは夕食時と一人でいる時以外は作用しなくなっていた。

 食後はコタツではなく、ソファに二人並んで腰掛ける、というのが無言のルールになっていた。


 拳1個分くらいの距離感で。

 

「じゃあさじゃあさ!」


 日和が顔をビックリ箱みたいに近づけてきて言う。


「クリスマス、一緒にまったりしようよ!」


 思わぬ提案に対し、至極当然の流れで浮かんだ疑問を投げかける。


「日和の方こそ、予定ないの?」

「んー、クラスの友達がクリパしようかって話は出てるけど」

「じゃあ、そっち優先させなよ。僕が言えた事じゃないけど……友達との交遊は、大事にした方がいい」

「本当に治君が言えたことじゃないね」

「ほっといて。とにかく僕としては、友達の方を優先してほしい」


 というか、僕とクリスマスを過ごしたところでいつもの日々の繰り返しになるだけだから、友達と過ごした方が絶対に楽しいと思うのだけれど。


 僕の言葉に、日和はしばし考え込む。

 

 逡巡する必要は無い二択だと思うのに、日和は相当悩んだそぶりを見せてから口を開いた。


「んんー、わかった。じゃあ、クリパ終わったら家きていい?」

「それは別に、いいけど」

「やった」


 ぎゅっと拳を握りしめ、子供みたいに笑う日和。


「じゃあ、9時くらいには帰ってくるね」

「了解。じゃあ、夜はどっかで済ましてくるよ」

「待っててくれたらなんか作るけど」

「じゃあ待ってる」

「即答かーい」


 あははっと可笑しそうに笑う日和。

 えへんと胸を張り、自慢げに口を開く。


「治くんもすっかり、私の料理に胃袋掴まれちゃったんだねー」

「あんな美味しい料理を食べさせてもらってたらね」

「……うっ、それも即答されるとは」


 ぽりぽりと、今度は頬を掻いて、日和は恥ずかしそうに目を逸らした。


 可愛い。


 思わず手が伸びて、日和の頭を撫でてしまう。


「んぅ……」


 艶のある髪に手を滑らせると、日和は気持ち良さそうに喉を鳴らした。

 桃みたいに柔らかくて、甘い表情。

 しばらく優しく撫でてから手を離すと、朗らかな笑みを浮かべた日和がくすりと笑って首を傾げた。


「どうしたの?」

「いや、なんとなく」

「そっかそっか」


 ここ最近、ふとした瞬間に日和を撫でてしまう癖がついていた。

 あの夜に日和の方から頼まれて撫でてから、「大丈夫だろう」という甘い誘惑が居座っているのだ。


 あんまりよろしくないと思いつつも、ついついやってしまっている。


 僕の奇行に対し、日和は嫌悪感を示すこともなく、むしろ歓迎とばかりに受け入れてくれてた。

 何度かそれを繰り返すうちに、今では馴染みのあるコミュニケーションになりつつある。


 つくづく、慣れというものは恐ろしいと思った。


 そんなことを考えていると、日和が距離をゼロに詰めてきて、僕の腕に小さな腕をくっつかせてきた。

 僕は何も言わず、日和の体温や吐息といった五感情報を受け入れる。


 日和と身体的に触れ合っても、前ほど取り乱すことも減った。

 未だに体温は上昇するし、脈の鼓動は各駅停車から新幹線くらい速くなるけど、ずいぶんマシになった方だと思う。


 異性に対する免疫ゼロ僕にしては、大きな進歩だ。


「楽しみだねー、クリスマス」

「うん、そうだね」


 家族以外の他人と過ごす初めてのクリスマス。


 そのことに、妙な高揚感を覚える自分がいた。

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