第71話 僕も
クリスマス。
それはいつもと違う、どこか特別なひとときを過ごせる日。
なんてのは、恋人や家族、友人がいる人だけに適応される概念であって、間違っても独り身の僕には当てはまらないものだと思っていた。
今日までは。
「今夜は、日和ちゃんと?」
帰り際、奥村さんがニコちゃんマークをそのまま貼り付けたような表情で尋ねてきた。
「友人とクリスマスパーティがあるみたいなのですが……それが終わり次第、うちに来るそうです」
答えると、奥村さんは「いいわねぇー」と、うっとりした様子で顎に手を添えた。
「まあ、来たところで、特に普段と変わらないんですが」
「いいじゃない。いつも通りのまったりクリスマス。下手にイルミネーションとか見に行っても、どこも人混みで凄いことになってるでしょうし」
「ああ、都内はどこも凄いらしいですね」
日和なら、砕氷船のごとく人混みを切り開いていきそうではあるが、僕にそのエネルギーの持ち合わせはない。
重箱の隅にひっそりと生息する羊羹のごとく、息を潜めて部屋に篭る方が性に合っている。
「ちなみに、クリスマスプレゼントは何にしたの?」
「へ?」
「あら?」
首をかしげる奥村さんに、恐る恐る尋ねる。
「もしかしてクリスマスって……赤服おじいさんが子供にあげる以外にも、プレゼントを渡しす文化があったりします?」
「赤服おじいさんて」
クスクスと笑う奥村さん。
「んー、関係値にもよるとは思うんだけど」
少し考える素振りを見せてから、奥村さんが口を開く。
「望月くんと日和ちゃんの親密度なら、贈ってもおかしくないと思うわ」
「……親密度、そんなに高いですっけ」
僕の疑問に奥村さんは、仲睦まじいカップルを眺める奥様方のような、微笑ましげな笑顔を浮かべて言った。
「あんな話聞かされちゃったら、ねえ?」
奥村さんの言葉を意味するところは、あの日の一件に他ならない。
池袋のつけ麺屋で涼介に話したのと同じ内容を、奥村さんにも報告したのだ。
日和のプライベートな部分に関しては涼介と同じく伏せて説明した。
最終的になんとか落ち着いた旨を話すと、見目麗しい上司は僕の背中をぽんっと叩いた。
私の見立て通りだったわと、安堵とともに嬉しげな笑顔を浮かべて。
……説明している途中、見計らっていたかのように涼介が登場し、日和への身体接触の件に関する諸々を奥村さんに暴露されたことは、悲劇としか言いようのない事実だ。
ハグや頭撫でと言ったワードが出るごとに、奥村さんは口を覆ってうら若き乙女みたいに頬を赤らめていた。
それに関しては僕も涼介も、示し合わせたかのように突っ込まなかった。
以来、奥村さんは、僕が日和のことを話す際はどこか微笑ましいものを見るような目をするようになっていた。
回想終了。
「とりあえず、帰りになんか買っていきます」
「うんうん、その方がいいと思うわ」
「ちなみに、クリスマスに贈る定番なものって……」
聞こうとして、口を噤む。
「すみません、やっぱりなんでもありません」
日和の誕生日の時に学んだこと。
プレゼントのチョイスは、世のテンプレートに頼るのではなく、贈り手の立場に立って考えるべし。
そんな僕の胸襟を知ってかしらずか、奥村さんはやっぱり微笑ましいものを見るような目を浮かべて「そっか」と頷いた。
「引き止めちゃってごめんね。それじゃ、楽しんで」
「ありがとうございます」
ひらひらと手を振る奥村さんに見送られながら、オフィスを後にした。
◇◇◇
オフィスを出てると、いつにも増して冷え込んだ空気が頬を撫でた。
発達した寒気が太平洋から流れ込んできて、今夜は雪が降るかもしれないとかなんとか。
朝のニュースキャスターがそう言っていた。
ポケットに手を突っ込んで、新宿のデパートに逃げ込む。
クリスマスフェア一色に染まった店内で悩みに悩んでから、商品を手に取った。
「ラッピングはいかが致しましょうか?」
会計のお姉さんに尋ねられて「お願いします」と頭を下げる。
満面の笑みと共に丁寧にラッピングしてもらったプレゼントを手に、デパートを出た。
クリスマスムードで染まった新宿の街並みに背を向けて、帰路につく。
自宅のマンションに帰ってきてすぐ、暖房とコタツの電源を入れた。
時刻は19時半。
日和が来る時間まで、後1.5時間ほどあった。
シャワーを浴び、寝巻きに着替えてからコタツに潜り込む。
日和から借りた少女漫画を手に取って、ページを開いた。
気づけばこの一冊が、全10巻あるシリーズの最終巻となっていた。
自分には絶対に合わないと思っていたものの、1日に1冊くらいのペースで読み進めてしまうくらいには、面白かった。
日和が気を遣ってくれたのか。
少女漫画にしては珍しい、主人公が男性タイプの作品。
ところどころ、「なぜそうなる?」と首を傾げてしまう展開や描写もあったものの、物語としての完成度は非常に高いと感じた。
読み進める。
物語の終盤にあちがちな、主人公とヒロインが外的要因によって引き離されるクライマックス。
この漫画では、ヒロインが両親の転勤によって海外に引っ越す、という展開だった。
ヒロインと強制的に離れ離れになってしまった主人公が悲しみに暮れるシーンを読んでいると、ふと、心の中で一迅の冷風が吹いた。
日和の顔が、頭に浮かぶ。
生命感に満ち溢れた、瑞々しい笑顔。
今、パーティの真っ最中だろうか。
ちゃんと楽しめているだろうか。
考えていると、1LDKの自室が妙に静かに感じられた。
こたつに下半身を入れ込んでいるはずなのに、やけに物寒く感じる。
なんだ、この感覚。
──ピン、ポーン。
その時、遠慮がちなインターホンが鼓膜をノックした。
時刻を確認すると、8時過ぎ。
日和が来るにはまだ早い時間だ。
宅配を頼んだ記憶もないので、なんだろうと思う。
のそのそとコタツから身を出して玄関へ行き、扉を開ける。
冷たい空気に乗って、聞き慣れた声が流れてきた。
「やっ、昨日ぶり」
ブレザー制服にクリーム色のチェスターコートに身を包んだ日和が、快活な笑顔を浮かべて立っていた。
思わず、呆気にとられる。
「……パーティは?」
「行って来たよ! 私だけ、ちょっと早めに切り上げて来たの」
「そんな、気遣わなくても。最後まで楽しんで来たら良かったのに」
「違うの」
日和がふるふると頭を横に揺らす。
それからくしゃっとはにかんでみせて、瞳を上遣い気味に向けて呟いた。
「私がなんだか、治くんに会いたくなっちゃって……」
心臓が、どくんと跳ねる。
極上の美少女から放たれたその一言は、僕の理性を揺るがすには充分すぎる破壊力を秘めていた。
僅かに恥じらいを含んだその表情は愛おしくて、守ってあげたくなるような笑顔。
視線を斜め下に彷徨わせ、ぽりぽりと頬を掻くあどけない仕草。
抱きしめたい──。
衝動的に、そんな欲求が湧き出した。
両手が動きそうになるのを、慌てて抑え込む。
「んぅ? どうしたの?」
僕の異変を察知した日和が、不思議そうに覗き込んできた。
「……なんでもない」
慌てて背を向けた。
今近づかれたらまずい。
そんな気がした。
「へんなの」
日和がくすりと、口に手を当てて笑う。
「僕も」
無理やり抑え込んだ反動か。
開かれた口はそのまま、言葉を並べた。
「僕も、会いたいと思ってた」
「ふぇっ?」
振り向く。
日和は、自分が何を聞いたのかわからないといった表情をしていた。
多分僕も、同じような表情をしていると思った。
聞いたか言ったか。
違いはそれだけだ。
日和の頭を二度、ぽんぽんと撫でる。
気恥ずかしさを誤魔化したいという気持ちから出た動作。
日和はくすぐったそうにしたが、すぐにまんざらでもない表情を浮かべた。
「寒いでしょ。早く入りなよ」
「……うん、わかった」
嬉しそうに口元を緩めた後、いそいそとローファーを脱ぎ始める日和。
待たずに僕は、リビングに引っ込んだ。
今、顔を見られるのは、非常に良くない気がした。
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