第72話 日和とクリスマス①

「美味しい」

「ふふっ、よかった!」


 クリスマスのメニューはホワイトシチューだった。

 言うまでもなく、絶品だった。


 はふはふとシチューをかき込む僕を、日和はニコニコと眺めていた。


 一口サイズの人参をシチューと共に頬張る。

 人参本来の食感、甘み、生クリームの濃厚さが口いっぱいに広がって、思わず頬が綻ぶ。

 

 日和曰く、市販のルーを使わず、僕の好みに合わせてソースを手作りしたらしい。


 そんなの美味しくないわけがない。


 スプーンが止まる事はなく、お皿はすぐに空になった。


「おかわりいる?」

「欲しいです」

「はいはーい」


 上機嫌な笑顔を輝かせながら、日和が二杯目をよそってくれる。


「ありがとう」

「どういたしまして。ほんと、よく食べるようになったね」

「同僚にも言われた」

「ふっふっふ。盛りに盛った甲斐があったよ」

「日和は僕を太らせたいの?」

「治くんはもっと太った方がいいね。まだ痩せすぎだよ」

「このままいくと適正体重になる日は近いよ。というか、そういう日和も痩せすぎじゃない?」

「えへへーありがと」

「普通に、吸収したカロリーの行き先が疑問なんだけど」

「んー、多分動き回ってるから?」

「納得」

「あとは……胸にいってるとか?」


 からかうような笑みを浮かべた日和が、胸部に実った果実に目をやる。


「……」

「……ちょっと黙らないでよ恥ずかしい!」

「日和が言ったんじゃないか」

「冗談に決まってるじゃんっ、んもー」

「あながち冗談じゃなさそうだったから反応に困ったんだよ」


 あと単純に……男の本能として、視線が胸に釘付けになってしまった。

 日和の場合は美貌に目が行きがちだが、胸の膨らみもそれなりにある。

 これは言わない方が良いだろうと、口のチャックを閉める。


「……治くんのえっち」


 僕から如何わしい何かを感じ取ったのか。

 日和が頬を赤らめ、胸を手で覆って言う。


 恥じらう日和は無論……可愛かった。


「……僕は無実だ」


 ぶっきらぼうに言い置いてから、クリームシチューをかき込む。

 急に、味が薄くなったような気がした。


「ケーキの分も残しておいてね」


 けろっと表情を戻した日和が言う。


「ケーキ?」

「そそっ。クリパで作ったやつ、ちょっと持って帰ってきたの」

「作った? ケーキを?」

「うん!」


 クリスマスケーキは普通、店で買うものだというのが僕の中の価値観である。

 まさかケーキまで作ってしまうとは。


「甘いものは結構得意なの。プリンとか、クッキーとか、たまに焼いたりするよ」


 驚きを隠し切れない僕に、日和はえへんと胸を張る。


「本当になんでも作れるね、日和は」

「なんでもは作れないよー。作れるものだけ」

「三つ編み委員長みたいな事言うね」

「あ、治くんもあのアニメ見てるんだ。猫委員長さんみたいにお淑やかじゃないけどね」

「確かに」

「即答ひどい!」

「自分で言ったんじゃないか」


 僕のツッコミに、日和は「そうだねぇー」とくすくす笑った。


 シチューを食べ終えたあと、食器を洗ってリビングに戻る。

 机には、小皿に乗ったケーキがスタンバイしていた。


 一切れサイズに切り分けられたそれは見た所、チーズケーキのようだった。

 上からホイップクリーム、チーズクリーム、クッキー生地と三階層に分かれている、見た事ない種類の。

 見た目からすでに、手作りとは思えないプロ感が滲み出ていた。


 座ると、チーズと生クリームの香りがしっかり伝わってくる。

 結構お腹いっぱいだったはずなのに、胃の中に別腹が現れた。


 食べる前から、断言できる。


「これは絶対に美味しいやつだ」

「美味しいよ〜。ささ、召し上がれっ」

「いただきます」


 フォークを刺して、一口。


 最初に濃厚なチーズ、次に生クリーム、最後にクッキー生地の甘みと、味の変化もしっかり三段階あった。

 隠し味なのか、ほのかにぶどうジャムの風味も漂ってきた。


「……うま」

「よかった!」


 日和が嬉しそうに手を鳴らす傍、フォークをチーズケーキに伸ばす。

 リッチな味わいにも関わらず、後味は意外にさっぱりしていた。

 ホイップクリームまみれの甘ったるいケーキも良いが、個人的にはこちらの方が好みに思えた。


「ごちそうさま」

「おおっ、光の速さで完食したね」

「よしてよ。まるでどこかの食いしん坊さんみたいじゃないか」

「私、そんな食べるの早いっけ?」

「今僕は、生まれて初めてウラシマ効果というものを目の当たりにした」

「どういう意味?」

「話せば長い」

「じゃあいいや。とにかく、気に入ってくれて良かった」

「少なくとも、今まで食べてきた中で一番美味しいチーズケーキだった」

「うふふ、ありがとう。言ってくれたら、プリンとかクッキーとか、他の甘いものも作ってあげるよ」

「それは非常に魅力的な提案だね」

 

 自覚する。

 もう完全に、日和に胃袋を掴まれていると。


 でも別に良い。

 これだけ美味しい料理を堪能できるのなら、掴まれるくらいどうってことない。


 もし明日から、日和の料理が食べられないってなったら……想像するだけでショックが大きかった。


「いつもありがとう」


 無意識に溢れ出た僕の謝辞に、日和の目が泳ぐ。


「きゅ、急にどうしたの?」

「改めて、日和の料理が食べられる日々に感謝しないといけないなって」

「そんな大袈裟だよー。……でも、ありがと」


 口元を嬉しそうに緩め、照れ笑いを浮かべる日和。


 その表情を目にすると、今度は僕の目が泳いでしまうのであった。



◇◇◇


 クリームシチュー2杯とチーズケーキを胃袋に収めて大満足した僕は、食後の定位置であるソファに腰掛ける……前に、帰りにデパートで買ったラッピング袋を手に取った

 生まれて初めて購入したクリスマスプレゼント。


 羞恥が膨れ上がる前に、さっさと渡しておこうと思った。


「これ」

「へ?」


 差し出すと、ソファで足をぷらぷらさせていた日和がぽかんと口を広げる。


「これって……」

「クリスマスプレゼント的な何かだと思ってくれれば」


 早口で言い置いてから、袋を押し付ける。

 それから隣に腰掛けるも、反応を目にするのが妙に気恥ずかしかったので、顔は見ない。


 妙な緊張感が張り詰める。

 5秒か10秒くらいしてから、やっとの事で日和が口を開いた。

 

「……開けて、いい?」


 日和に背を向けたまま、無言で頷く。


 ガサガサと袋が開封される音。

 それに負けないくらい、僕の心臓も高鳴っていた。


 今回も、はっきりとした根拠のもとにプレゼントを選んだ。

 しかしいざ渡してみると、果たしてあのチョイスで良かったのだろうかと大きな不安に駆られる。


 誕生日にプレゼントを渡した際も覚えた感覚。

 この感覚には、一生慣れることはない気がした。


 ちょいちょいと、袖を引っ張られて振り向く。


 日和は小さな両手にちょこんと、チューブ状の容器を乗せていた。

 まるでハムスターが、ひまわりの種を飼い主に披露するような仕草。


「……ハンドクリーム?」


 ピアノの旋律のような声と共に、日和がこてりと小首を傾げる。

 「あー」と、静寂を怖がるように言ってから、説明した。


「料理してたら、どうしても肌を水に触れる機会が多いから……その、肌荒れ防止になるかと思って。最近、すごく乾燥してるし」


 一気に言うと、喉から水分が消失している事に気づく。

 緊張によってもたらされた乾燥。

 この場から一旦、離れたくなった。


「……ちょっとお茶、取ってくる」

 

 そんな大義名分のもと、退散しようとする。

 しかしそれは叶わなかった。


 腰を上げようとした僕の腕を、日和がぎゅっと掴んできたから。

 重力と張力に引かれ、座り直される。


 突然の拘束に、僕は少しだけ怯えてしまった。


 日和の口が、地上から見上げる飛行機みたいにゆっくりと、開かれる。


「ほんっと治くんって、たまに異様な男子力発揮するよね」 

「男子力ってなに」

「その……男らしさというか?」

「そんなこと、ないと思うんだけど」

「いや、あるって絶対。じゃないと、こんな素敵なプレゼント……うあー、まさか、買ってきてくれてたなんて」


 急に頭を抱え、変な声をあげる日和。

 

 どうしたのだろう。

 こんな余裕無さげな日和は珍しい。

 どう対応すれば良いのかと困惑していると、


「……先、越されちゃったなあ」


 聞こえるか聞こえないくらいかの、小さな呟き。


「え?」


 疑問符で返すも、先の呟きは無かったかのように、日和は別の方向に話題を移した。


「君には本当に、いろんな物を貰ってばっかりだね」

「いろんなものって……他にはぬいぐるみしか、あげてないような」

「目に見えないモノも、たくさんだよ」


 言ってから日和は、ハンドクリームを胸に抱えた。

 サンタさんに貰ったプレゼントを、大事そうに包み込む子供みたいに。


 そうしてから日和は、僕のクリスマスプレゼントに対する感想をたった一文に集約した。


「ありがとう。すごく嬉しい」


 喜びをいっぱいに咲かせた、溢れんばかりの笑顔。

 その笑顔には、見る者全員を虜にしてしまうほどの魅力があった。

 

 僕も例外なく、見惚れてしまう。


 改めて認識する、日和の美貌。

 ゴシップに疎い僕でも、日和がそこらの雑誌やテレビに出るアイドルよりよっぽど美少女している事がわかる。


 端正な顔立ちを構成するそれぞれのパーツは、どれも洗練されていて一切無駄がない。

 美しい、可愛いといった言葉では収まりきれない容貌を、日和は持っていた。


「おさむ、くん?」

「え」

「そんな見つめられたら、流石の私も恥ずかしいというか」

「あっ……ごめん」


 慌てて視線を逸らす。

 身体をもじもじさせながら頬を赤らめる日和。

 わかりやすい、恥じらいの動作。


 次にどう切り出せば良いのか、頭が真っ白になる。


「変なタイミングでごめんだけど私からもはいっ」

 

 急に日和が早口でまくし立ててきた。


「うわっぷ」


 どこからともなく出してきた紙袋を押し付けられる。

 なんだなんだと思う間も無く、日和がしゅびっと腰をあげた。


「お茶、汲んでくる!」

「う、うん……ありが、とう?」


 しゅたたたーっと日和は逃げるように台所へ引っ込んでいった。


 その後ろ姿を見送っている時、目にしてしまう。


 日和の耳が、燃えるように真っ赤になっているのを。


「……さすがに反則でしょ」


 あんなもの見てしまったら……意識するなという方が無理な話だ。

 

 日和から貰った紙袋を抱えて、僕は悶えるように身体を丸めた。


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