第103話 日和とデート③


 そこは、水と光が調和した不思議な空間だった。


 体育館の半分ほどの空間に、一面水が張られている。

 水位はひざ下くらいまであり、水温は高くも低くもないちょうど良い感じ。

 水面には光と色で形取られた花や鯉がそこら中に泳いでいて、まるで本当に生きているかのような動きを披露していた。


 こんな非現実でおとぎ話の世界のような空間で、日和の興奮値が上がらないわけがない。


「わあああ、すごいすごいすごいーー!!」


 現に、跳ね上がっていた。


 ふよふよと泳ぐ鯉を追いかけたり、ちゃぱちゃぱと足で水をかき分けたり。

 光と水が織りなす空間を、日和は大層お気に召したようだ。


「ねえねえ見て見て! この鯉、追いかけるとちゃんと逃げていくの!」

「へえ、すごい。ちゃんとセンサーと連動してるんだね」

「ねー! ちなみに、足に当たったら花になっちゃう!」

「それはなんか、儚い仕様だね」


 ほらこうやってと、足に鯉を触れさせ花にする日和。

 そんな日和から目を離さない。


「あまりはしゃぎすぎると、今日一日が極寒のハードモードになるよ」

「大丈夫! 私、体幹はいい方だから!」

「もう自重しない方向に転換してる件について」

「だってすっごく楽しいんわわっ」

「おっと」


 言ってるそばから重心をぐらつかせた日和の腕を掴む。

 引き寄せた反動で、日和を抱き留める体勢になった。


 ぱしゃぱしゃと2歩3歩後ずさると、アロマよりも甘い匂いが嗅覚を驚かせた。


「体幹、いい方なんじゃ?」

「いやはー、つい」


 反省反省と、後ろ手に頭を掻く日和。


「結局、支えられちゃったね」

「事前に言われてたから、初動が間に合った」

「ふふっ、予防線張っといてよかった! 私、自分がやらかしそうな事は大体予想がつくんだー」

「対策って言葉知ってる?」


 冷静に突っ込むと、日和はくくくと口を押さえて笑った。


 まあいいか、楽しそうだし。


 息をつき、解放しようとする。

 しかし日和の方から腕を掴んできて、それは実行できなかった。


「どうしたの?」


 小さな頭が横に揺れる。

 ちょっぴり恥じらうように目を伏せた後、ぽつりと言葉が溢れた。


「意外と、力強いんだなって」

「あ、ごめん……痛かった?」

「ううん! そういうんじゃないよ。むしろちょっと強引さがあって、良かった、かも……」


 どくりと心臓が跳ね、足先の水の感覚が一時的に消失する。


 薄暗い空間のはずなのに、日和の頬に赤が灯っているのがわかった。


 暗順応が効いているのだろうか。


 日和を解放し、目を逸らし、パッと思いついた別方向の言葉を漏らす。


「毎晩ご飯作ってくれてるお陰で、前より力がついたのかも」


 言うと、日和は一瞬目を丸め、次にふにっと表情を和らげて、最後に悪巧みが成功した時のような笑みを浮かべて親指を立てた。


「ふっふっふ、盛りに盛った甲斐あったよ」

「そうだね、感謝してる」

「ちょ、治くん、そこは『おま、やっぱりか!』ってツッコミ入れるところだよー?」

「と言っても……感謝してるのは、事実だし」


 なんの悪意も意図もなく言うと、日和はぐぬぬっと眉間にしわを寄せた。

 しかしすぐに表情を緩め、肩を下ろし、まあ、君はそういう人だよね、とでも言うような面持ちを浮かべた後、


「ねえねえ」

「ん?」


 再び表情ををリセットした日和が、腕に抱きついてきて言う。


「私たち、周りから見ると恋人に見えるのかな!?」

「んんっ……?」


 口から内臓が出てくるかと思った。


「いきなりなに」


 唐突に触れた柔らかい感触よりも、質問の意図が気になった。


 しかし、日和は何も答えない。

 にまにまと、意図の読めない笑みを浮かべるだけだ。


 思い出す。


 そういえば、前にも同じ質問を受けた。

 二人で箱根に行って、お昼の蕎麦を食べてる時。


 あの時は確か、1日放置したパンのように水気ない返答をした覚えがある。


 次に、気づく。

 周囲が、主に男子と女子と組み合わせ、いわゆるカップルで大多数を占めていることに。

 デートスポットとして名高い場所だから当たり前の光景なのだろう。


 そんな雰囲気に触発された上で、以前の悪ふざけがぽっと頭に湧いた、といったところか。 


 勝手に推測する。


 悪ふざけなら仕方がない。

 以前の僕なら頭かちんこちんで冷めた思考をしていただろうが、今は違う。


 冗談を言い合うことで成立するコミュニケーションもある事を認識済みだ。


 だから僕は少し得意になって、答えた。


「うん、見えると思うよ」


 些細な気持ちで悪ふざけに乗った、つもりだったけど口にして恥ずかしくなった。

 そうでありたいという願望と、もしそうだったらという想像が、頭の回路に電流を生じさせた。


 落ち着け僕と、顔を抑える。

 動揺を悟られていないだろうかと心配になった。


 しかし、日和から言葉が返ってくる事はなかった。

 

 おや、と思うと同時に、腕を締め付ける力が強くなった。


 ぎゅううっっっと、強く。


 ……悪ふざけ、だよな?

 恐る恐る、横に目線をやると、


「えへへっ」


 弾んだ声。


 水面(みなも)に映る桜と同じ色をした表情。


 ぷるぷると震える小さな身体、肩、唇。


 ああ、わかってしまった。

 いま日和は、喜怒哀楽の一つ目の感情が溢れ出しているのだと。


 世界に祝福されたような美貌に浮かんだ可憐な笑顔に、その感情が溢れ出している。


 わかる、だって、何度もその笑顔にくらりとさせられてきたから。


 今回も例外なく、くらりとした。


 今度は僕がこけそうになって日和が慌てて軸を支えてくれたのは、誰も知らなくていい事実である。

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