第95話 好きという気持ち
涼介に連れられて、入り組んだ裏道を少し入ったところにある、ハンバーグやステーキをメインとしたビストロ風のお店にやって来た。
「こんなところにお店、あったんだ」
「最近見つけたんだ。結構ボリューミーだけど、今の望月なら多分大丈夫」
「大食い専門のお店だと流石にきついよ」
「今時大食い専門店じゃ採算合わんだろ」
「確かに」
見回すと、女性客や年配のお客さんもいたので安心する。
「パワーランチ2つで!」
「ちょ」
席について店員さんが水を持って来るなり、涼介が高らかに注文した。
まだメニューすら見ていない。
「ちょっと怖いネーミングだったけど、大丈夫?」
「へーきへーき、今の望月なら、たぶん」
「たぶんって……」
僕が苦い表情を浮かべると、涼介は悪戯小僧のようにくくくと笑った。
荒海に放り出された木船のような気持ちを抱いて、お冷やとおしぼりをセッティングする。
「さっきの話なんだけどよ」
前触れなく、涼介が切り出す。
「望月の言ってることはわかるよ。精神的な繋がりが大事ってのは、激しく同意する」
「それは、どうも」
務めて平静を装ってるが、内心はそわそわ気味であった。
涼介がどのようなロジカルを展開するのか、期待と興味と……あと、不安が入り混じっていた。
落ち着かせるため、お冷に口をつける。
「ぶっちゃけ、身体の繋がりだけを求めるならセフレでいいもんな」
「うごほっごほっ」
「なにむせてんの」
「急に変なこと言わないでよ」
意外そうにする涼介に、抗議の視線を投げる。
「その歳で、耐性なさすぎじゃね」
珍獣でも見るような目線を向けられた。
気管を落ち着かせてから、逆に涼介をジトリと見やる。
「相当遊んでるようだね」
「アホか、いた事ねえわ。俺は志乃さん一筋だっつーの」
「へぇ」
「うっわ、ぜんっぜん信用してない顔だなそれ」
「いや、ここで関心を持ったらいつもの惚気が始まるじゃないか」
「お、わかってるやんけ。この前も家帰ったら、志乃さんがさー」
「いいから、その証明とやらを聞かせてよ」
はやる気持ちを抑えきれず本題に切り込もうとすると、涼介は余裕たっぷりな笑みを浮かべ手のひらをこちらに向けてきた。
「まあ、焦るなって。多分、もうじきわかるからよ」
「もうじき?」
「お待たせ致しましたー、パワーランチ2つになりますー」
僕が首を傾げると同時に、店員さんが注文の品を手にやってきた。
「おお、きたきた」
待ってましたと言わんばかりに声を弾ませる涼介。
店員さん一礼して去ってから、涼介に尋ねる。
「なにこれ?」
「なにって、パワーランチだよ」
「パワーすぎない?」
大きくて丸い円形のプレートには、ファミレスサイズのステーキが2枚と、唐揚げ6個がこんもりと盛られていた。
ライスも、付け合わせのポテトサラダも、どっちもモリモリであった。
「これで1200円ってやばくね? 増量中の筋トレ男子大歓喜の、コスパ最強のランチ!」
「よくこれを僕に食べさせようと思ったね」
「いけるだろ。はたから見てもお前、かなり食えるようになってんぜ?」
「ほんとに?」
確かに思い返してみれば、ここ最近、積極的にボリュームのあるメニューを頼んだり、ご飯のお代わりを欠かさなくなったような。
って、今はそんなことどうでもいい。
「ねえ、さっきの、もうじきわかるって」
「まあ、まずは食ってみろって。味も抜群にうまいから」
僕の主張はフル無視され、ナイフとフォークを手渡される。
釈然としないながらも、とりあえず指示通りにした。
食事に意識を移すと、こんがり焼けたステーキ肉の香ばしい香りが鼻腔をついて、胃袋をきゅっと引き締める。
「……いただきます」
ナイフとフォークで一口サイズに切り分けたステーキを、口に運ぶ。
「ん、うまい」
脂身が少なくキメの細かい赤身肉は程よく歯ごたえがありつつも、噛めば噛むほど肉汁が溢れてくる。
玉ねぎおろしのソースにつけて食べると、肉の旨味とタレの甘みが絶妙に合わさって素晴らしく美味だった。
気がつくと、黙々と肉に食らいついていた。
サブメインの唐揚げは衣がサクサクで、中身はじゅわじゅわ。
付け合わせのポテトサラダは燻製されていて、香ばしい匂いがすっと鼻を抜けた。
美味しい。
それにどんどん食べ進めても、なかなか減らない。
パワーという名に恥じない、なかなかのボリュームだ。
ここに日和を連れてきたら喜ぶだろうな。
味といい、肉の歯ごたえといい、ボリュームといい。
うん、絶対好きだ、日和は。
今度の休みの夕食は、ここを提案してみ──。
「今、誰の事を考えてる?」
「…………え?」
顔を上げる。
ナイフとフォークを置いた涼介が、じっとこちらを見ている。
「もう一度聞く。このパワーランチを食べている途中、望月の頭の中に、誰が浮かんでいた?」
押し黙る。
返答が出来なかったわけではない。
「まっ、言わんでもわかるけど」
唐揚げをひとつ、口に放り込んで、咀嚼し、呑み込む涼介。
この間に頭を整理しろ、とでも言うように。
「精神的な繋がりってのは……詰まる所、心の距離だと思うんだ」
お冷を飲み終えた涼介がぽつりと、言葉を紡ぐ。
「心の、距離……」
既視感。
確か日和も以前、同じ事を言っていた。
「そう、心の距離。確かにそれは目に見えなくて、観測しづらい。でも、指標みたいなもんはあると思ってる」
「指標……」
涼介が、こくりと頷き、そうだなと顎に手を添え、天井を見上げたまま、
「例えば今みたいに、美味い飯を食っているとき」
ぽつり、ぽつりと、言葉を繋げる。
「他にも、朝起きて、カーテンを開けたら空が晴れ渡っていたとき……通勤中、近所に新しいお店が出来てることに気づいたとき……帰りに寄った本屋さんで、面白い本に出会えたとき……」
涼介が口にするシチュエーションを、順に思い浮かべる。
すると、その情景と一緒に、ひとりの女の子の顔立ちが浮かんできた。
「日常の些細な出来事や、ちょっと嬉しかったことに遭遇した瞬間、一番初めに頭に浮かぶ人」
────。
「その人が、心の距離が最も近い人なんじゃねえの?」
──瞬間、頭頂部から足先にかけて雷が落ちたかのような衝撃が走った。
頭の中が真っ白になった。
涼介の言葉に、ここ最近、いや、思い返せばずっと前から探していた『答え』が含まれていた。
それにより、僕の中にあった最後の引っ掛かりが消え去る。
その刹那、心の奥底、いや、底のもっと下からせり上がってくる激情を捉えた。
鋼の鉄壁だと思い込んでいた僕の理性など薄っぺらい半紙同然になるくらいの、激情。
「もう一度聞く、今度はちゃんと言葉にしろ」
核心的な問いが、放たれる。
「今、この地球上で、望月と一番心の距離が近い人は、誰だ?」
長い髪。
端正な顔立ち。
すらりと高い背丈
明るく溌剌とした声。
温かく落ち着きのある体温。
ふわりと漂う甘ったるい匂い。
そわそわと落ち着きのない動作。
嬉しい時、身体をゆらゆら揺らす癖。
シュークリームを頬張る時に浮かべる笑顔。
頭を撫でると浮かべるくすぐったそうな笑顔。
僕の頭を撫でると浮かべる慈愛に満ち溢れた笑顔。
笑顔、笑顔、笑顔──。
「……ひより」
その名を、紡ぐ。
心を、大海原を駆ける一迅の風が吹き抜けた。
「じゃあ、めっちゃ好きじゃん、日和ちゃんのこと」
涼介の言葉に呼応して、唇が、手が、身体が、震える。
再び次の語を告げられず、押し黙ってしまった。
形が曖昧だった感情の正体が明らかになった途端、頭の中がもう、日和の事でいっぱいになってしまった。
「僕は、日和のことが好き」
確かめるように、言葉にする。
今度はなんの違和感も引っかかりもわだかまりも無く、するりと言い終えることができた。
まるで、感情と理性が手を取り合ってハグしているみたいに。
「やーーーーっと、自覚したか!」
長かったあーと、涼介が両腕を天井に伸ばしている。
その対面で、僕は熱くなった顔を手で覆っていた。
生まれて初めて認識した『好き』という感情。
それは、僕が今まで感じたどの感情よりも温かく……どうしようもないくらい、胸がいっぱいになる作用を持っていた。
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