第96話 決意
「僕は、どうすればいい?」
急に味がしなくなったパワーランチをなんとか平らげた後、涼介に尋ねる。
「どうすればって?」
「僕が日和を……好きという気持ちは、自覚した」
「うわーお、今までとは打って変わって、めちゃんこ素直になったな」
「自覚したからね……もう、ごまかせない」
「……こりゃ、今後は余計ブラックを手放せなくなりそうだ」
「どういう意味?」
「なんでもねー。それで?」
「気持ちを自覚した後は、その……」
「うん、告れよ」
さらっと言ってのける涼介に、眉をひそめる。
「簡単に言ってくれるね」
「手順としてはそれしかねーじゃん……まさか、そんなことも知らないレベルじゃないよな?」
「流石にそれはない」
再び珍獣を見るような視線を投げかけてくる涼介に、真顔で返す。
好きを自覚した後は、告白という手法によって心の内を伝える。
そして、友人から恋人という関係性にシフトする。
そのフローは、ネットや本の知識で以下略。
「なんかまた、ちょっとズレた考え方してる気がするが……まあいいや。で、なにに悩んでんの?」
「僕が日和のことを好きでも、向こうが自分のことを好いてる確証がない。だから、告白しても、了承されるかどうか……」
「はっ? お前、それマジで言ってる?」
信じられねえ頭を抱えた後、「いいかっ」と言葉に力を込める涼介。
「毎晩料理を作りに来る、休日は二人で過ごす、下の名前で呼び合う、合鍵渡していて出入り自由、手は繋ぐ、頭は撫でる、ハグもする……」
ずらずらと箇条書き形式で事実を述べられ、最後に核心的な言葉で締められる。
「好きでもない限り、そんなの許す女子はいねーわ」
……冷静になって、客観的視点で考えると、そうかもしれないと思った。
「でも……」
「お待たせいたしましたー」
僕がネガな返答をしようとしたタイミングで、食後のコーヒーがやって来る。
飲み物が来たらまずは一度口をつけるという暗黙の了解により、お互いマグカップに口をつけた。
「甘ったる」
「ブラックだよね、これ?」
「望月のせいでシロップマシマシなんだよ」
「そんな悪戯をした覚えはないけど」
「こっちの話だから気にすんな。んで、お前は日和ちゃんにこんなにも心を許してもらってて、後は何が不安なわけ?」
訊かれると、すぐに言葉が出た。
「僕みたいな地味で、なんの取り柄もない男を、日和が好いてくれるかどうかが……不安、なんだと思う」
言った途端、涼介はそれはそれは大きな溜息をついた後、人差し指と中指を立てた。
「望月、今お前は2つの間違いを犯している」
中指が降りる。
「1つは、望月の思う他人から見た自分と、実際に他人が望月を見たときの評価の間に大きなズレがあるということ。前々から言ってるが、お前は別にルックスは悪くねえ。ちょっと前まではひょろっとしてて不健康そうな感じはあったけど、今は血色も良くなって、むしろ良くなってる。頭も良いし、人間的にも真面目で誠実で優しくて……そうだな、最近は仕事面で評価もされて、自信もついてきてるように見えるね」
涼介の言葉がお世辞ではないことくらいは、わかった。
だから、相変わらずむず痒い。
「日和にも同じこと、何度か言われた、けど……」
心がそれを受け止めきれていない、というのが本音だった。
「まあ、客観的事実としては理解できてるが、心が受け止めてきれてない、って状態だろうな」
「涼介は、いつも僕の心を読むね」
「まっ、頭が良いからな、俺は」
得意げに鼻を鳴らす涼介。
いつもなら鼻についていた動作も、どうしたことか全く腹が立たなかった。
むしろ彼のその能力に、尊敬の念を抱いてすらあった。
その心境の変化に一抹の驚きを覚える間に、涼介が続ける。
「まあ、自己評価の高い低いは性質的なものと、これまでどれだけ人に承認されたかによって変わるからなー。これは日和ちゃんが時間をかけて、徐々に溶かしていくとして」
勝手に未来予測をする涼介が、人差し指を立てたまま中指も上げる。
「望月の間違えその2。お前は正解を求めすぎ」
「正解を、求めすぎ?」
首を傾げる僕に、涼介が頷く。
「そう。ある成果を得るためにどんな行動が正解なのか、それを突き詰めすぎなんだよ。まあざっくり言えば、合理的に考えすぎ、って感じ?」
図星である。
言われた通り、僕は自分の行動に正解を求めがちである。
ある目標を達成するためにはまず、どの行動を取るのが最も合理的か、という思考プロセスがデフォルトだ。
最近はイレギュラーな選択を取ることも出てきたけど……本質的には、僕は意味のない行動は極力取りたくないし、無駄なカロリーは消費したくない性分である。
「別に俺は、それが悪いとは言わん。ある目標を逆算して効率的な行動を選択するのは、成果を出すという観点からすると良いことだと思うし、その思考に特化していると、なにかと役に立つ場面も多い」
でもな、と逆接を置いて、涼介はこう言い置いた。
「人の感情が絡む事柄……特に恋絡みに関しては、正解を突き詰める事自体がナンセンスだと、俺は思う」
そこで一旦コーヒーをすすってから、再開する涼介。
「いいか、望月。人の感情ってのはもう、ありえないくらい複雑で、移り変わりの激しいものなんだ。だから、人の感情が介在する目標に対しては、正解を求めようとすればするほど時間だけが過ぎていって、正解から遠ざかる場合が多い」
涼介の言葉の意味は、理解できる。
人の感情は複雑だ。
僕が日和の感情を、完全には読み取れないように。
人の感情は変化も激しい。
僕が日和に対して抱いていた感情が、何度も変わってきたように。
「つまり……どの選択を取るのが正解か迷って時間を浪費するより、最初に浮かんだ選択をまずは取ってみよ、ってこと?」
「話が早くて助かる。チェスにおける直感率の話、知ってるか?」
「……チェスにおいて5秒で考えた手と、30分かけて考えた手は、86%が同じ、ってやつ?」
「お、流石。どうせ時間をかけて同じような手段を取るなら、最初にパパッと直感に従って行動した方がいいってことよ」
言葉には、不思議な力があった。
さっきまで後ろ向きだった思考が、言葉が重ねられるにつれて前の方向に向きつつあった。
胸にこびり付いていたネガティブな思考が、徐々に霧散していった。
人の感情というものは、移り変わりが激しい、涼介の言った通りだ。
「ま、とりあえず告白してみ。億が一にもあり得ないと思うが……仮にもし振られても、何度だって告白すりゃいい」
「前者は肯定だけど……後者になった際にそのメンタルが発揮できるか……僕には厳しいかも」
「大丈夫、そうなったらクソしんどいけど、時間がなんとかしてくれる。時間が経てばまた気力が湧いてくる」
「そういうものなのか」
「そういうもんだよ。あとこれは俺の一個人の意見だけど……諦めずに何度も突撃して、想いが成就したときの嬉しさは半端ねーぞ」
無邪気な子供のように笑う涼介。
そういえば僕は、涼介の恋事情については何も知らない。
「何度も、突撃したの?」
自分の意思で、話を広げる。
涼介はふっと口元を緩めたかと思うと、どこか懐かしむようなに目を細めた。
「当時の俺は高校生、向こうは教育実習生だったからな。歳や立場の差もあったし……いろいろとな」
「……だいぶ、苦労したみたいだね」
「まあーな。でも、むしろその苦労があってよかったよ。だから今、俺は超幸せ」
言ってから涼介は、人の表情に疎い僕でもわかるくらい幸せそうな笑顔を浮かべた。
今から涼介お馴染みの惚気祭りが始まっても全然腹が立たない、そう確信してしまうくらい、幸せそうな笑顔。
「ああ、でも望月」
しかし涼介は惚気モードに入る事なく、笑顔を一変、神妙なものに変化させた。
「そういえばお前、そろそろ地元に帰るんだよな? もし告白が成功しても、その……遠距離恋愛になると思うけど、そこは大丈夫そうか?」
言われて僕は「ああ」と頷く。
涼介の懸念点は、ごもっともだ。
それについては告白云々に関わらず、何度も深く考えた。
その結果、自分の中に今、『とある選択』が浮かんでいた。
少し黙考してから、応える。
「その点については……ちょっと考えがあって」
「ほう」
涼介に、自分の考えを明かす。
まだ確定的ではない。
正解なのか間違っているかもわからない、その選択を。
説明し終えると、涼介は「なるほどな」と一言呟き、どこか複雑そうな表情を浮かべて口を開いた。
「まー、俺は望月がどんな選択をしようと応援はするけど、その……頑張れ」
その頑張れが、何を指しているのかは明白であった。
僕は少しだけ、拳に力を込める。
「うん、頑張ってくる。でも、その前に」
意思をもう一度確かめるように。
周りに言うことで、自ら退路を断つように。
「まずは日和に想いを告げられるよう、頑張るよ」
はっきりと告げると、涼介はいつもの爽やかな笑顔を浮かべて親指を立てた。
「おう、グッドラック」
このとき僕は、上司だけでなく同僚にも恵まれていた事を確信した。
涼介とは仕事上の関係を超えて、プライベートでも関わりを持ちたいとすら思った。
色々落ち着いたら、今度は自分からランチでも誘おう。
自然と、そう思った。
……その時、頭の中で何かが繋がる。
「ねえ」
「ん?」
「もしかして、ランチにこの店を選んだのって……」
僕がこれまで話した日和の情報から、彼女が好きそうなお店のセレクト。
加えて、日和の食の好みと高い確率でリンクするパワーランチをチョイス。
涼介はニヤリと口角をつり上げて、前の僕なら絶対にムカついていた笑みを浮かべた。
「まっ、頭良いからな、俺は」
言われて、僕は自分の口角が少し上がったことに気づいた。
自然と湧き出た感謝の気持ちが、言葉を伝える。
「涼介」
「ん?」
「ありがとう」
「良いってことよ。結果、楽しみにしてるぜ?」
僕の人生を大きく変えたランチが終わる。
自分の気持ちを自覚し、
今後の行動を決めて、
ひとつの決意を、胸に抱いて。
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