第78話 日和と年越し


「今年も終わりだねぇ」


 大晦日。

 笑ったらお尻をバットで殴打されるという、なんとも理不尽な番組を眺めながら年越しラーメンをすすっていた僕に、対面に座る日和がしみじみと話しかけてきた。


「まあ、終わったところで何か変わるというわけでもないけどね」

「でも、いい節目じゃない?」

「気持ちのリセットにはいいかもね」

「どうだった?」

「え」

「2019年は、楽しかった?」


 訊かれて、黙考し、答える。


「結構バタバタしてたかな。休学して上京して、慣れない都会暮らしについていくのに一苦労だった」

「ふむん、なるほど。じゃあ、私と出会ってからは?」


 期待に染まった瞳に促され、思いを起こす。

 

 傷や病気を癒すファンタジーな力を目撃するという嘘みたいな出会いから、夕食を作りに来るようになったり、外食したり、映画を見に行ったり、登山したり、温泉旅行に行ったり。

 

 それ以外にもいろいろあって、結果的に今、日和とふたりで年を越そうとしている。

 もっと長い間過ごしていた気がするのは、それだけ日和と過ごす日々が濃密だったからだろう。


 それらの日々に対し、自分がどう思っているか。


 自然と、言葉は出てきた。


「悪くはなかった」


 言うと、日和はほんのりと頬を膨らました。


「むー、君、そういうところあるよね」

「どういうこと?」


 尋ねるも、日和は質問には応えず深い笑みをたたえた。


「ともかく、それなりに楽しんでくれてたようで、なによりだよ」

「否定はしない」

「ふふっ、そっかそっか」


 何度も頷く。

 輝きに満ちた表情。


 身体をゆらゆら揺らし、ふんふんと鼻歌を歌い始めた日和は、満足したとばかりに夕食を再開した。


 僕も同じ動作を倣う。


 市販ではなく小麦から作ったという麺は、程よくコシがあって喉越しも上々だった。

 醤油と魚介出汁ベースのあっさりスープは、甘みの強い醤油と煮干しや貝類の旨味が凝縮していて、単体でもずっと飲んでいたくなるくらい美味しい。


「というか、なんで年越しラーメン?」

「蕎麦だとありきたり過ぎてつまんないじゃん。あと、ラーメン食べたい気分だったし」

「うん、多分後者の理由が9割を占めてるよね」

「えへ、バレた?」

「でも、個人的な趣向としては蕎麦よりもラーメン派だから、英断だと思う」

「おっ、珍しく方針が一致したね」

「方針の幅が広がっただけかもしれないけどね。ん、このチャーシュー美味しい」

「でしょでしょ!? このチャーシュー、1日お酒に漬け込んで柔らかくしててさー」


 美味しいチャーシューの作り方を力説し始めた日和を眺めながら、ふと思う。


 まさか自分が、年末を女の子と二人きりで過ごすことになるとは。

 去年の僕が聞いたら、無表情で「嘘つくな」と切り捨てるだろう。


 今の僕でさえ、たまに現実感を見失うくらい、あり得ない状況なのだから。


 食べ終わり、食器を洗った後は、二人でソファに腰掛ける。

 もはや暗黙と化した、拳一個分の距離感。


 今日は引き続き、年越し番組を見る流れになった。


「治くんは笑ってはダメダメ派? 紅白歌戦争派?」

「テレビを見ない派」

「よし、今日はなんとしてでも笑ってはダメダメ派に引き込んでやる」

「そんな面白い?」

「死ぬほど面白い!」

「今、僕の中でハードルが爆上がりした訳だけど、大丈夫?」

「下潜れるから大丈夫なんじゃない?」

「いつも潜らそうとするよね、日和は」

 

 ツッコミを入れたタイミングで、日和がけらけらと大笑いし始めた。

 そのままテレビを食い入るように見始めたので、僕も倣って視線を固定させる。


 ふんふん、なるほど。

 ほうほう、ふーん。


「確かに、面白い」

「でしょ!?」


 日和がぱあっと破顔する。


「ちなみに、どういうところが?」


 ハイライトを纏った瞳を向けられる。

 右上に視線を流してから、答えた。


「笑ってはいけないという状況で、笑いの刺客があの手この手で笑わそうとしてくるという、緊張と緩和のギャップがうまく演出されているし、笑いを堪えている人を見て笑うという二重構造になってる点も、相当練り込まれているんだなーと……」


 説明途中で、日和が目をぱちくりさせている事に気づく。

 またなにか、場を興醒めさせるようなことを言ったのかもしれないと、嫌な汗を掻く。


「なにその分析眼!? どうやったらそういう風に考えられるの!?」


 と思ったら、違ったようだった。

 日和は星屑を見つけた子供みたいに瞳を輝かせ、距離を詰めてきた。

 

 たじろぐ。


「た、多分、どういう構造でユーザーを笑わしているんだろうという論理的な構造を、感情を抜きにして考えてる、から?」

「ほえええ、なるほどー、すごいなー」


 日和が感心するように頷く。

 あんまりわかってなさそうな顔だった。


「そんな凄いことでもないと思うけど」

「いやー、すごいよ、私には絶対できなもん。治くんのそういうところ、本当に尊敬しちゃうなー」


 嘘偽りのない、本心から紡がれたであろう賞賛を浴びせられ、肺を内側からくすぐられているような感覚を抱く。


 未だに慣れない感覚。


「やー、まさかそういう仕組みだったとはねー」


 テレビに向き直り、日和がふんふんと首を縦に振っている。

 その端正な横顔に向かって、口を開く。

 

「僕も、尊敬しているよ」

「ほえ?」


 澄んだ瞳をぱちくりさせ、小さな首をこてんと横に倒す日和。

 あまりこういう事を言う柄でもないのに、ふと言いたくなって、そのまま空気に言葉を乗せた。


「日和の、ほんの些細なことに対しても興味を抱くこととか、感情を豊かに表現するところとか……僕には乏しい部分だから、尊敬してる」


 言い終えて、伺う。

 日和はそのバリエーション豊かな表情をきょとんとさせたあと、にへらっと崩してから、頬を掻いた。


「尊敬してるとか、面と向かって言われると、なんだか恥ずかしいね」


 はにかんだ表情、緩みきった頬、そして、恥ずかしそうに伏せられた目。


「……なんか、ごめん」

「なんで謝るのー。私は今、すっごく嬉しいよ」

「そうなの」

「うん。こんなにも私の内面をきちんと褒めてくれたの、治くんが初めかも」

「そんなことは」


 無いんじゃないか、と言おうとして、口を紡ぐ。


 いつだったか、日和は言っていた。

 

 自分に好意を向けてくる人間は、見た目が好きとか、明るいところが好きとか、上ら辺の理由しか言わないとかなんとか。

 

 無理もない話かもしれない。

 普通の人は、日和の内面を見る前に、彼女の持つ美貌やらプロポーションやらに釘付けになってしまうだろうから。


「だから、ありがと」


 これ以上に嬉しいことはない、と言わんばかりの感情が溢れ出した満面の笑顔。

 目にした途端、胸がそわそわしてきた。


「……どういたしまして」


 それだけ返してテレビに向き直った。

 顔が火照っているのを、悟られないように。



◇◇◇


 

 あっという間に日付が変わる時間となった。

 新たな新年の幕開けくらいはそれっぽい雰囲気にしようということで、テレビのチャンネルはどこかのお寺で年越しを待つ生放送に切り替えた。


「いよいよだね!」


 日和が、興奮を抑えきれないといった様子でうずうずしている。 

 まるで、テーマパークのパレードを今か今かと待ちわびる子供みたいだ。


「そうだね」


 珍しく僕も高揚していた。

 多分、日和に感化されているのだろう。


 人生史上、最も感情移入している年越しだ、


「そういえば除夜の鐘って、なんで108回も鳴らすんだろ。焦れったいから、年が終わる瞬間と、始まった瞬間の2回でいいのに」

「神様もびっくりなせっかちぶりだね。確か、仏教における煩悩の数が108個あって、それに由来しているとか」

「へええ、物知り! ちゃんと意味があるんだね!」

「逆に意味もなく108回も鐘打つとか、どんな苦行なの」

「あははっ、確かに。あれ?」

「どうしたの」

「今、テレビに見覚えのある顔が映った気がする」

「まあ、これだけ人がいればね。似たような顔の人もいるんじゃない」

「それはそうね!」


 やりとりしている間に、画面の中で除夜の鐘が107回目を打ち終わり、2019年に幕が降ろされた。


 108回目の鐘が鳴らされ、2020年が幕を開ける。


 その瞬間、日和はバッと立ち上がり、両手と片足をあげるという奇妙なポーズを取ってから高らかに宣言した。

 

「あけましておめでとう!!」

「なにそのポーズ」

「知らないの? 一粒3キロメートル」

「グルコ?」

「正解!」

「なに、それが日和なりのお正月スタイルなの?」

「いやはー、新年一発目の挨拶って、なんか厳で堅苦しいからはっちゃけたいなと」

「なるほど。一応念のために言っておくけど、僕は乗らないからね?」

「ええー、一緒にグルコろうよ」

「なんだ、グルコるって」


 やれやれと息をつき、一応膝に手をついて、口を開く。


「明けましておめでとう」

「うん、おめでとう!」


 グルコポーズを解いた日和が快活に笑う。

 その途端、日和のポケットからぶるぶるバイブレーションが響き始めた。


「うあっ、あけおめRINEの嵐が」


 慌てた様子でポケットからスマホを取り出してから、ソファに座りなおす。

 震えは止まらない。


「すごいね」

「毎年こんな感じだよー」


 なんでもない風に言う日和に対し僕は、新年明けてから一度も通知が鳴らない自身のスマホの事を思い浮かべた。


 まあ、日和は友達が多い部類だろうから、相対的に見て通知が少なくなるのは当たり前の事だ。

 全国民の平均値と比べてどうなのかは、考えないようにする。


 日和は今時の女子高生らしく、両親指を巧みに使ってフリック操作に専念していた。

 表情は笑ったり、綻んだり、たまに難しい顔したり、親指くらい忙しない。


 画面越しでも感情表現を欠かさないんだと妙な気づきを得ていると、自身のスマホもぶるぶると震えた。


 ディスプレイを見ると、RINEが2件。

 一つは親からで、もう一つは涼介からだった。


 奇妙な安堵を覚える。


 母親からは、僕が年末に居なくて寂しい事と、次の帰省の予定についての質問、そして日和とうまくいってるか的な質問が記されていた。

 それぞれのセンテンスに対してテキストを打ち込み、送信。


 涼介からは、テンション高めのあけおめメッセージと共に、さっきテレビに映っていたお寺の画像が添付されていた。

 おそらく、彼女さんと行っているのだろう。

 仲の良きことこの上なしだ。


 メッセージを打ち込んでいると、「日和ちゃんとうまくいってるー?」という質問。

 

 そんなに気になる事なのかと首を傾げつつも、今隣にいる旨を打ち込み送信。


 一瞬にして既読がついた後「ラブラブじゃんかー笑!!」と返ってきた。

 取り合っていると長くなりそうなので、「そういうのじゃない」と送信してから、スマホを仕舞う。


 すぐにスマホが震え出したがスルーした。

 是非とも、彼女さんとの時間を有意義に過ごして頂きたいものだ。


「よしっ、一通り返し終えたかな!」


 しばらくして、日和が高らかに声をあげた。

 大きな一仕事を終えたように、ふいーと額の汗を拭う動作をしている。


「ごめんねー、待たせちゃって」

「気にしない」

「ありがと。じゃあ、改めて」


 急に日和は畏まってソファで正座し


「今年もよろしくお願いします」

「……堅苦しいのは苦手なんじゃ?」

「一発目ではっちゃけたからいいの。後こういうのは、ちゃんと言葉にして伝えないとだし」

「なるほど」


 空気で察する。

 次は自分の番だと。


 日和に合わせて正座し、頭を下げる。


「今年もよろしくお願いします」

「うん、楽しくいこーね!」


 年明けにふさわしい、太陽みたいな笑顔。


 日和と一緒なら宣言通り、充実した日々を送れるような気がした。


 僕と日和の2020年は、こんな感じで幕を開けた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る