第14話 上司に相談

 

 僕の部屋に調味料を置いていった時点で薄々予感はしていたのだが、彼女は次の日も夕食を作りにきた。

 

「昨日だけのはずだったよね?」

「だね!」

「じゃあ」

「今日の夜ご飯、ハンバーグなの! 絶対好きだよね? 男の子だし」


 僕と会話を成立させる気のない彼女が、ニコニコと屈託のない笑みを浮かべる。


 彼女の言う通り、ハンバーグは好物である。

 なんなら一番好きと言っても過言ではない。

 彼女が作るハンバーグはどんな逸品なんだろうという期待が、僕の理性を揺らす。

 加えて、昨晩の件で彼女に対する警戒心が緩和していたこともあり、最終的に彼女を招き入れてしまった。


 こうして、埃を被っていた我が家のリビングは2日連続で活躍することとなった。


 リビングでハッとしてから、貴重なプライベートタイムが連日無くなってしまったことに気づき、心に灰色が被る。


 とはいえ、彼女の作ったハンバーグが絶品で、そんな気持ちなど彼方へ飛んで行ってしまった。


 スーパーの食材だけでこんなにも美味しいハンバーグが作れる事を僕は知らなかった。

 少なくとも、ファミレスのハンバーグは二度と食べられそうにない。


 僕がハンバーグを黙々と食べている間、彼女はずっと楽しそうにしていた。

 なにが楽しいんだろうと考えたけどやめた。

 きっと深い意味はないんだろうから。


 食べ終え片付けたあと、彼女は「また明日!」と部屋に帰っていった。


 再びハッとしてから僕は、「また明日?」と首を捻るのであった。



◇◇◇



 金曜日は週末ということもあって、オフィスの面々の顔には疲労の色が浮かんでいた。

 漏れなく僕もその一人だったが、疲労の要因は仕事ではない別のところにある。


 午前の業務中ずっと、彼女の突撃晩ご飯についてどうしたものかと頭を捻っていたが、これといったアイデアは出ることなくお昼になった。


 本当はランチに出る気分でもなかったのだが、今日は珍しく涼介のほかに上司の奥村さんも同行するということで重い腰をあげた。


 涼しい秋風に頬を叩かれながらやって来たのは、日本一美味しいミートソースとやらが味わえるパスタ屋さん。

 結構な人気店でいつも長蛇の列を作っていたが、今日は運の良いことに待ちなく入ることができた。


「大丈夫? なんかまた顔色悪いわよ?」


 テーブルに座るやいなや、対面の奥村さんが心配そうに尋ねてきた。

 お馴染みのテーラードスーツにきっちりと身を包んだ奥村さんの風貌は、まさにキャリウーマンといった感じでお洒落なパスタ屋さんの内装によくマッチしていた。


「変わんなくないですか? いつもの生気の抜けた顔だと思うんですけど!」


 横に座る涼介がけらけらと笑う。

 相変わらずの爽やかイケメンぷりだが、その軽い物言いはどうにかならないものか。

 不健康そう、青白いと言われることはあったが、魂まで抜けている事はないだろう。


 店員さんがオーダーを取りに来たので、三人揃って日本一美味しいミートソースを注文する。

 おしぼりで手を清潔にしていると、改めて奥村さんが尋ねてきた。


「体調、まだ芳しくないの?」


 憂慮気味に僕の顔を覗き込んでくる奥村さん。

 それに合わせて、彼女の胸部の膨らみが確かな破壊力を持ってずいっと強調された。


 彼女は良い上司だと思うし、尊敬もしている。

 でも時々、自身のスペックを理解していない無自覚な魅惑を発揮する点はどうにかしてほしいと思った。

 

「えっと……風邪はもう治ってるんですけど」


 二つの膨らみから、さり気なく目を逸らす。

 しかしそれを疚しいことがあって目を逸らしたのだと捉えたのか、奥村さんはさらに神妙な面持ちになった。


「なにかあったの?」


 探るような視線を向けられたからには、何か答えねばならない。

 少し言葉を選んで返答を口にする。


「あったといえは、あったかもしれないです」


 僕の言動が煮え切らないのは、一連の出来事を二人に明かすべきかどうか迷っているからだ。

 

 当然だが、彼女と弊社のメンバーにはなんら接点がない。

 万が一、彼女と弊社が僕以外のパイプで繋がるとすれば、それはもう趣味の悪い神様の悪戯だろう。

 だから明かしたところで、人間関係や日常生活に支障が出るような事態にはならない。


 正直、手詰まり感があったので、ここはひとつ違う視点からのアドバイスを頂くのも一手だと考えた。


 とはいえ懸念点がひとつ。

 奥村さんにはともかく、涼介に明かすのは気が引けた。

 お隣の女子高生が毎晩ご飯を作りに来てて困ってる、なんて答えたら絶対に面白がって弄ってくる。

 その状況は少々煩わしい。

 ここは適当にごまかして、後でこっそり奥村さんだけに相談する方が得策だろう。

 そういう風に考えがまとまってきたのに。


「わかった! お隣のJKちゃんとなにかあったんだろう!?」


 この爽やかイケメン野郎はいとも容易く僕の目論見を台無しにした。

 それがあまりにも唐突だったもんだから、僕は何食わぬ表情を作ることに失敗してしまう。

 言い当てられたことによる驚愕や、知られたくない者に知られたという絶望といった感情がわかりやすく顔に出てしまったのだ。


「えっマジ!? 図星!? また俺正解しちゃった?」

「え、え? お隣さん? じぇーけー? ちょっとなにその青そうな話!?」


 二人して身を乗り出してきたところで、日本一美味しいミートソースがトレイに運ばれてやってきた。

胃袋を刺激する良い匂いが漂ってくる。

 日本一美味しいと自称させておきながら、今日それを堪能する余裕はないんだろうなと申し訳なく思った。


 閑話休題。


 いつもより味が薄く感じる日本一美味しいミートソースをちびちびしながら、僕はあらかたの事情を説明した。

 もちろん、彼女の特異的な能力については一切触れなかった。

 説明しても信じてくれないだろうし、彼女もそれを望んでいないだろうから。


「というわけで、僕のプライベートがその子に侵食されていて、困ってるんです」


 二人に意見を仰ぐために向き直る。

 涼介はミートソースをもっちゃもっちゃと頬張っていたかと思うと、ごくりと喉を鳴らして口を開いた。


「望月おまえ」

「なに」


 にっこりと笑う涼介。


「それ、なんてエロゲだ?」

「僕が知りたい」


 ほんとに。切実に。

 主人公の人選を盛大に間違えたゲームと言われた方がまだマシだと思った。

 

 奥村さんはミートソースに手をつけず微妙な表情を示していた。

 何を心配しているのか、大方予想はついた。


「ねえ、望月くん」

「はい」


 奥村さんはちょっぴり困ったような笑みを浮かべたまま、僕が予想した通りの言葉を下した。


「捕まらないでね?」

「捕まりませんよ」


予め用意しておいた返答を用いてきっぱりと否定する。

 

「でもそれあれだな。お前、そのJKちゃんにめっちゃ気持たれてるじゃん」

「いきなり何を言い出すの、君は」


涼介の体調を憂う。

 冗談でも思いつかないような事を言うくらい、疲れで頭がおかしくなったらしい。

 今日は早く上がって休んだほうが良いのではないかとアドバイスを贈ろうとしたら、涼介が続けた。 


「だって飯行こうって言ったのも、ご飯作りに来たのもJKちゃんからなんだろ? なんの気もなかったらそんなことしねーって」

「その程度で気があると思うあたり流石だね。やっぱり、僕と君とでは物差しが違うみたいだ」

「おっ、なんか照れるな」

「皮肉もわからないの」


 このイケメンじゃ話にならない。

 僕はまともなアドバイスを求め、期待を含ませた眼差しを奥村さんに向けた。

 「私っ?」と自分に人差し指を向ける奥村さん。


「いやー……春って感じで良いわねぇー」


 少女漫画を読む女子大生ような感想を述べられた。

 肩を落としそうになるのを、すんでのところで思いとどまる。


「今、秋ですけど」

「ひとつだけアドバイスをあげるわ、望月くん」

「はい」


 奥村さんは眉間にしわを寄せて、形の良い人差し指を立てた。

 僕は叱られる前の子供のような心持ちで身構える。


「言葉にはいろんな意味が含まれてるの。その場にあった一番最適な意味を汲み取るのも、仕事をする上で大事は能力だと思うわ」

「でも僕、青春の条件を一ミリも満たしてないと思うんです」

「あ、意味わかっててそういう解釈しちゃったのね」


 奥村さんは苦笑いを浮かべた。


「逆に、どこに青春要素があるのかご教授いただければ」


 尋ねると、奥村さんに「自分で考えなさいっ」と窘められた。

 

 腕を組み、黙考してみる。

 なるほど、わからない。

 降参ですと白旗を挙げる。

 奥村さんから大きなため息が返ってきた。

 結局教えてくれなかった。

 

「でも、今の望月にはちょうどいいんじゃねーの?」

「なにが」

「望月って、人として大事な部分が欠けてるところあるじゃん?」

「それは……否定できない」

「聞いてる感じその子、すげーコミュ力高くて明るそうだからさ。いろいろ学べる部分は多いんじゃねーの」


 彼の言葉の裏を返すと僕はコミュ力が低くて暗い人間だということになるが、それに関しては反論できない。

 確かに彼女の、人と人との間に存在する見えない壁をいとも簡単に飛び越える能力は僕には無いものではある。

 かといってそれが今の僕に必要なものかといえば、本当にそうだろうか?


「それは名案ね!」


 りんと鈴を鳴らすように声を弾ませ、奥村さんも涼介に同調する意向を示した。

 

「その子とたくさんコミュニケーションとれば、評価シートの数字もアップするかも!」 


 奥村さんの言葉に僕は「うっ」と言葉を詰まらせた。


 評価シートとは、社内で行われている人事評価制度のことを指す。


 仕事の速さや論理的思考力といった様々な項目を5段階に分け、それぞれを数値で評価する仕組みだ。


「望月くん、仕事の速さとか正確さは他の社員に負けないくらい高いのに、人間的な評価項目で数値が上がらないのは勿体無いと思うの」

「それは確かに……そうかもしれませんけど」


 奥村さんの言う通り、僕の評価には偏りがある。


 「仕事の速さ」や「アウトプット力」など、タスク的な部分の数値は高い。


 対して「コミュニケーション能力」や「他人への配慮力」といった、対人要素が絡む数値が軒並み低い。


 それはきっと、僕がこれまでの人生において他人と関わりを持たなすぎたことが原因だ。

 21年ぶんのツケは冷酷な数値となって、今の僕の悩みの種の一つとなっている。

 

 その問題の数値が、彼女と接することでアップするのか?

 あまりイメージが湧いていない。

 もしなにも変わらなかったら、ただの徒労である。


「いま望月君、数字が上がる保証もないのにその子とコミュニケーション取るのは無駄なんじゃないか、なんてこと考えてるでしょ?」


 心中を言い当てられ、心臓が冷たいものに浸されたみたいに縮まる。


「エスパーですか」

「まさか。上司として、ちゃんと望月くんを見ているだけよ」


 言われて、気恥ずかしいような、なんともいえない心持ちになる。

 僕が何も返せないでいると、奥村さんはくすっと笑って言葉を紡いだ。


「人間、できない理由はいくらでも思いつくの。でも、それだとなんの成長もないわ。とりあえずやってみる。それが大事。あ、でも当然、闇雲にやれって意味じゃないわよ? 努力にも正しいものと間違ってるものがあるから」

「でも、結果が伴わなかったら」

「その経験を未来の違うことに活かすの。望んでいたものとは違う結果になったとしても、なにかしら得られるものはあるでしょ? それは点となって、自分の中にある、あるいはこれから生まれる点と繋がって、全く別の価値を生む」


 奥村さんの説明は、僕の胸にすとんと落ちた。

 いつもノリが軽い涼介も、奥村さんの意見にうんうんと頷いている。


「あと、これは補足だけど」


 立てた人差し指をくるくるさせてから、奥村さんが続ける。


「本質を言うとね、私、望月くんにただ数字を上げて欲しくてその子と関わって欲しい、ってわけじゃないの。そもそも数字なんて、後からついてくるものだし」

「それは、どういう」


 聞くと、奥村さんは、精一杯背伸びする子供を眺める親ような微笑みを讃えて言った。


「人と関わる事の楽しさを、望月くんには知って欲しいなーって」


 奥村さんのその言葉は今日一番、僕を戸惑わせた。

 人と接して楽しいなんてそんなこと、感じたことなかったから。

 他人に興味を持つというファーストステップを踏むことすら微妙な僕が、その感情を抱く日が来るのか。 

 全くといってイメージが湧かなかった。


 ただまあ、人生経験豊富で頭も良い奥村さんのことだから、何か考えがあってのことなんだろう。


「わかりました。ちょっとやってみます」


 働き始めの2年はどうせ使い物にならないんだから、ひたすら上司の指示に従うのが鉄則だと、どこかで読んだビジネス書に書いてあった。

 その通りだと思うし、今までそうしてきたのもあって気づけば同意の言葉を口にした。


 奥村さんは満足そうに頷く。


「ふふっ、楽しみね」


 最終的に、当初の思惑とは逆の結果になってしまった。

 だけど、新たな学びを得ることができたという点において確かな収穫はあった。


 仕事と同じで、とりあえず試してみる。

 仮に臨んだ結果にならなかったとしても、未来の別の何に繋がるかもしれない。

 そう思うと、彼女との今後に対して少しだけ前向きに考えることができた。

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