第58話 上司と12月の1on1


「あら、寝違え?」


 週明けて月曜日。

 オフィスの応接室で首を揉んでいると、向かいに座る奥村さんが尋ねてきた。


「ずっと同じ姿勢でいて、首が痛めたといいますか」

「大変っ。デスクワークなんだから、こまめに身体を伸ばさなきゃダメじゃない」

「すみません、おっしゃる通りです」


 優しさに溢れたアドバイスに、小さじ一杯の罪悪感が芽生える。


 原因は仕事ではない。

 温泉の帰りに寄りかかってきた彼女を起こさないようにと、正面を向き続けたのが原因だ。

 首に残るむち打ちのような痛みは今だに尾を引いていて、己の身体の脆弱性を嫌でも認識させられる。


「大丈夫? 1on1(ワン・オン・ワン)、別日にしようか?」

「いえ、大丈夫です。今日を逃すと、また日程を合せが大変だと思いますから」

「それは確かに。ごめんねー、11月分が随分後倒しになっちゃって」

「仕方がないですよ、だいぶお忙しいようですし」

「多忙の極みよー。新規事業の目標数値がコロコロ変わって、マネージャー陣もてんやわんやで……」


 1on1は月末に執り行われる上司と部下の対面ミーティングである。

 本来なら11月の最終営業日に実施する予定だったが、唐突な社内体制の変化や目標数値の変更諸々など、ベンチャーらしい事情が重なり、結果的に今日までずれ込んでしまっていた。


 ひとしきり奥村さんのぼやきに耳を傾けた後、1on1が始まる。


「それじゃあ早速、望月くんの過ごした11月は天気で例えると、どうだった?」


 1on1は決まって「今月の天気はどうだったか」という切り口から始まる。

 1ヶ月の心のコンディションを天気で例えよ、という意味だ。


「ずっと曇りですね」


 迷いなく、僕は口にした。


「あら」


 感嘆の声を漏らして、ノートPCをカタカタと鳴らす奥村さん。


「雨は、止んだのね」


 その言葉の意図は、僕が先月の1on1で「雨だった」と評したことに起因する。


「はい」

「まずは仕事の方はどう?」

「えっと、仕事の方は概ね良好です。先月から取り組ませていただいているシステム周りのマニュアル整備や、管理メンバーのオンボーディングも予定期間内に終わる見通しで、現状の業務で特に困ったことはありません」

「ふんふん、概ね私の予想通りね。最近の望月くん、すっごく調子がいいもの」

「そう、ですかね?」

「そうよー、もともと優秀なのはわかってたけど、さらに拍車がかかってきた感じ?」

「はあ……ありがとうございます」

「じゃあ、仕事の話は終わりね」

「へ」


 仕事の話があっさり終わってしまい素っ頓狂な声を上げる僕をよそに、楽しみにしていたバラエティ番組を見るような表情を浮かべる奥村さん。


「プライベートの方は、どんな感じ?」


 むしろそっちを聞きたかったと言わんばかりの笑顔で、奥村さんが尋ねてくる。


「……いいんですか」

「なにが?」

「先月の1on1は、プライベートの話メインになってしまったので、よくなかったかなと思い」

「そう思っていると思ったから、あえて分けたの」

「ああ、なんかすみません、お気遣いいただいて」

「いいのいいの、どうせ、曇りの理由はそっちにあるんでしょう?」


 訊かれて、頷く。


「それで、お隣ちゃんとはどうなの?」


 しばし黙考した後、答えた。


「慣れ、てはきていますね」

「慣れ?」

「はい。なんというか、いるのが当たり前になってきたというか」


 言うと、奥村さんは口角を上げて目を見開くというなんともユニークな表情を浮かべた。

 効果音をつけるとしたら、「にまにま」だろうか。


「……なんですか」

「ううん、なんでも。今も毎日、夕食を作りにきているの?」

「はい、平日は毎日作ってもらってますね。休日は、二人で外食に出かけてますが」

「それはもう、いるのが当たり前になってくるわね」

「です……ね」

「誕生日プレゼントも、喜んでくれたのよね?」

「おかげさまで、喜んでもらえました」

「あら、よかったわねー! 何渡したの?」

「猫のぬいぐるみです」

「ぬいぐるみっ」


 奥村さんは、涼介とは正反対の反応を見せた。

 がたんと椅子から腰を浮かし、瞳を子供のようにきらきらさせている。

 普段の奥村さんの印象からは想像できない姿に、僕は少々面食らった。


 控えめな香水の香りが漂ってきて、思わず目をそらす。


「あ……」


 突然テンションのギアを上げてしまった事に気づいた奥村さんが、こほんと咳払いする。

 そして、何事もなかったかのように椅子に座り直し、表情を元に戻した。


「どこか行ったりはしているの?」


 柔和な笑顔。

 なにも突っ込むな、という美人な上司の圧力に従い、過去1分間の記憶を消去して応える。


「一昨日、箱根温泉に」

「あら、いいじゃない箱根」


 素敵っ、と奥村さんの表情が一瞬輝くも、すぐに陰りが生じた。


「まさか、二人で?」

「二人で、ですね」


 言うと、奥村さんは急にシリアスな雰囲気を纏って詰め寄って来た。


「一晩の過ちは犯してないわよね?」

「ないですよ。日帰りでしたし」

「なんだ、日帰りか」


 ほっと胸を撫で下ろす奥村さん。

 

「いや、なんだ、じゃないわね。日帰りとはいえ、二人きりで旅行って」

「なにもありませんよ、彼女とは」

「ふうん」


 変な誤解が生まれてはいけないので念のため言うと、奥村さんはまたユニークな顔をした。


 むしろ逆効果だったかと、一抹の後悔が浮かぶ。

 

「望月くんがそう言うなら、それでいいわ」

 

 絶対にいいやつじゃない。

 そう思うも、弁明する間も無く次の質問を投げかけられる。


「それで、曇りはどの部分なの?」


 訊かれて、言うか言うまいか逡巡したが、触り程度に説明することにした。

 

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