第59話 上司のアドバイスと、嬉しい知らせ


 一通り、説明した。


 彼女が親との間になにかしら問題を抱えていると言う事。

 それについて尋ねた際、彼女が見せた反応。

 言いたくなったら言えば良いと伝えたものの、内心、不安な部分があるという事。


 説明している間、奥村さんはまるでカウンセリングのお姉さんみたいにうんうんと頷いて耳を傾けてくれた。


「なるほどねぇ」


 話し終えて表情を伺うと、奥村さんは重要な商談に臨む時の面持ちを浮かべていた。


「すみません、ちょっと重い話になってしまって」

「私が聞きたいと思って聞いてるんだから、気にしないの。それに、こういう相談事に乗るのは、もともと好きな性分だし」


 言って、奥村さんはにっこりと微笑んだ。

 気が緩んだ束の間、尋ねてくる。


「その話を聞いてから、お隣ちゃんとの接し方は変わった?」

「いえ、特に。今まで通りです」

「そっか、やっぱり優しいね、望月くんは」

「え……」


 僕にはあまり馴染みのない言葉をかけられ、困惑する。

 それが顔に表出したのか、くすりと、奥村さんが小さく笑った。


「人は、他者に暗い部分があるとわかった途端、距離を置いてしまう事も多いの。面倒ごとは避けたい、っていう心理ね」


 そういうものなのか。

 これまで逆に人と接しなかったせいか、その感覚はよくわからない。


「でも望月くんは、そうしなかった。お隣ちゃんの抱える問題に、ちゃんと向き合おうとしている」

「それは……」


 多分僕が、他に方法を知らないからだ。


 人との距離の取り方を知らない。

 他者のそういう部分を見たとき、どういう感情を持つものなのかを知らない。

 

 だから、現状維持を続けている。

 そうすると問題に触れるのは必然的な流れなので、考えざるを得ない。


 ただ、それだけだ。


 という胸の内を明かすと、


「それでいいんじゃない?」


 何を悩むことを、とでも言うように返されて、また戸惑う。


「良くはないんじゃないですか。流されているというだけで」

「じゃあ聞くけど」


 遮られ、緊張感のある声色で尋ねられた。


「お隣ちゃんと一緒にいるのは、嫌?」


 言葉に詰まる。

 すぐ答えを口にできるほど、その問いについて考えたことがなかった。


 どうなのだろう。

 胸に問いかける。


 少しして返って来た答えを、そのまま空気に乗せた。


「……嫌、ではないと思います」

「じゃあ、楽しい?」


 今度は朗らかな声色で、尋ねられる。

 これも即答できなかった。


 再び胸に問いかける。

 さっきより時間をかけて返ってきた答えを、口にした。


「……はい、多分」

「じゃあ、無問題じゃない」


 ぱあっと、奥村さんが表情に花を咲かせた。

 ぐっと握った拳には、何の意味が込められているのだろう。


「お隣ちゃんといたら楽しい、だから一緒にいる。ほら、ちゃんと筋が通ってる」


 確かに、論理的な整合性は取れていた。


 そして意外にも、自分の中に反論材料が少ない事に気づく。

 彼女と一緒にいると振り回されることも多いし、価値観の不一致からイラっとすることもある。


 反して、楽しいと思う瞬間も多い事に、気づいた。


「……確かに、仰る通りですね」


 呟くように言うと、奥村さんは満足げに頷き安心したような表情を浮かべた。


「でも、よかった」

「なにがです?」


 意図が汲み取れず、頭上に疑問符を浮かべる。


「お隣ちゃんのそばにいるのが、望月くんで」

「それは……どういう意味ですか?」


 まだ疑問符は浮かんだまま。 

 理解力のない僕に、奥村さんは懇切丁寧に説明してくれた。


「さっきも言ったように、人は他者に暗い部分があると知った途端、離れてしまう事もある。たとえそれが親しい友人でも。でもこれは人間の本能がそうさせているから、仕方がないとは思うけど……でもやっぱり、いざそうなったら寂しいじゃない?」


 目を伏せ、笑みに憂いを帯びた奥村さんの説明に、黙って耳を傾ける。

 

「お隣ちゃんも、そうなることがわかってて、怖くて言えないんだと思うの。だから、言わない。正確には、言えない」

「なるほど……」

「だからこそ、思うの。望月くんならきっと……お隣ちゃんがどんな問題を抱えていたとしても、きっと受け止められる」

「どうして、そう思うんですか?」


 自然に従って湧いた素朴な疑問を投げかけると、奥村さんは一転、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「それは秘密」

「ええ、そんな」

「こういうのは、望月くん自身が見つけていくべきだと思うの。それに……」


 前置きして、奥村さんは言い置く。


「望月くんなら、すぐわかると思うわ」


 とは言われたものの、いまいちピンと来なかった。

 ちゃんと目に見えるものでないと不安を覚えてしまう性分柄、余計に。


「……ちょっと考えてみます」


 奥村さんのことだから、何か考えのあっての判断なのだろう。

 そう納得させた。


「うん、その意気! あ、でも、なにか困ったことになったら、遠慮なく言ってね?」

「はい、ありがとうございます」


 結論として、特に具体的なアクションを取ればいいと言うわけではなく、今まで通り接していればいい、問題が起こったら相談すれば良い、という事でひと段落ついた。


 本質的な解決策では無いものの、なんとなく、気は楽になった気がする。


「じゃあ、評価シートに移るわね」

「よろしくお願いします」


 カタカタとキーボードを鳴らした後、奥村さんがディスプレイを見せてくる。


「はい、これが望月くんの、11月分の評価シートです」


 シートに記載された評価シートを上の項目から見ていく。


 ・仕事のアウトプット力:3/5

 ・仕事を捌くスピード:4/5

 ・特定の分野でNo1になろうとする力:3/5


 これらは先月と同じ数値だ。

 ずらりと15個ほどある項目のうち、僕は視線はある所で止まる。


 ・他人に興味関心を持ち、理解しようとする姿勢:2/5


「上がってません?」

「上がってるわね」


 ニコニコと、奥村さんは機嫌良さげに笑う。


「そんな短期間で上がるもんでしたっけ、この数値」


 先月、この項目は0から1に上がったばかりのはずだ。


「いいえ。普通なら、一つあげるのに数ヶ月、下手したら数年かかるわ」

「なら……」

「それだけ、望月くんの変化が速かったってこと」


 虚を突かれたような気持ちになった。

 応接室の空調の音が、やけにはっきり聞こえてくる。


「……実感がないです」

「私からすると、目に見えて変わったと思うわ。例えば……」


 白い人差し指が、空に弧を描く。


「最近出してくれてる資料、読み手に優しいレイアウトで組んでくれるようになったし、先日山崎さんが風邪で休んだ時、代わりに掃除をしてあげたり、あとは……」


 つらつらと述べられるにつれ、胸のあたりがむず痒くなってきた。


「確かに」


 空気に耐えきれなくなって、口を挟む。


「以前の僕なら、しなかったかもしれません」

「でしょう? 望月くんにとっては、すごい進歩だと思うの」


 ふと、脳裏を快活な笑顔が過った。

 考えないでもわかる。


 これも、彼女の影響だ。

 

「お隣ちゃんに、感謝しないとね」


 被った思考を言い当てられ、心臓がひやりとする。

 顔を上げると、奥村さんは微笑ましそうにしていた。


「この数値の上昇はもちろん、望月くん自身の成長でもあるわ。でも、きっかけをくれたのはお隣ちゃんだと思うの」

「それは……おっしゃる通り、だと思います」


 この数値の変化が自分がひとりの力じゃないことくらいわかる。

 彼女から受けた影響が、モロに反映された結果だろう。


 前回の1on1で、奥村さんは言った。

 彼女との交遊を深めることが、後に評価表の数値にも影響すると。


 それが、現実となったのだ。


 驚く。


「ここで、望月くんに朗報です」


 突然、奥村さんが子供に言うみたいに切り出した。


「今月から、望月くんの給与がアップします」


 棚からぼた餅が降ってきたかと思った。

 僕が呆けた顔をすると、奥村さんがくすりと笑ってディスプレイを指差す。


「この評価シート項目の数値が、給与にも紐づくって説明は前したよね?」

「ああ、理解しました」


 つまり一定の数値を満たせば、給与も上がるという仕組みだ。

 認識はしていたものの、インターン生という立場上、そう簡単に上がるものではないと思っていた。


「ちゃんと成果を出している人には、立場関係なくそれ相応の報酬を支払う。会社として当たり前のことよ。というわけで、おめでとう」


 にっこりと笑う奥村さんにぱちぱちと拍手された途端、僕の中である感情が湧いた。


 身体がふわふわと浮くような感覚。


 僕は珍しく、嬉しいと感じていた、

 給与が上がった事に対してじゃなく、自分の中で変わることがないと思っていた部分が目に見える形で変わっていたことを。


 嬉しいと、感じていた。


「ありがとうございます」

「お礼はお隣ちゃんにしてあげなさい」


 そう返された後、最後に奥村さんは、こう締めくくった。

 

「これからも、よろしくね。望月くんのさらなる成長に、期待しているわ」


 その後、仕事に関する業務連絡や軽い雑談を経て、11月の1on1は終了した。

 先月に比べてやけに長いぶん、学びや成長を感じられた中身のある面談だったと思う。

 

 これからすぐ会議があるとという奥村さんに一礼して、応接室から出ようとした時、


「あ、望月くん」


 呼び止められ、振り向くと、奥村さんは満面の笑みを浮かべて言った。

 

「お土産、美味しかったわ。ありがとうね」


 

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