第74話 日和とクリスマス③


「きれーい!」


 雪降る公園に、感激の声を響かせる日和。

 身体をくるくる回したり、軽快なステップを踏んだりしてはしゃぐその様はまるで、雪の中を舞う妖精のようだ。


「結構降ってるねー!」


 日和の言う「結構」は、「東京にしては」という注釈付きだろう。

 全体的に小ぶりサイズだし、量もちらほらといった具合だ。


 間違っても辺り一面が銀世界に、なんてことは無い。

 もしそのレベルの豪雪だったら、明日の都内の交通網は軒並みダウンしてしまう。


「元気だなあ」


 雪ときゃっきゃと戯れる日和を、傍のベンチに座ってぼんやりと眺める僕。


 僕にも有り余るエネルギーがあれば、あんな風にワルツを踊ることも可能だったんだろうか、いや無い。

 エネルギーというより、テンションの差の問題だろうから。


 ポケットに手を突っ込み、体温が外に逃げないよう背を丸める。


 案の定、寒かった。


 といっても、凍えるほどではない。

 日和から贈られたニットセーターが、刺すように冷たい外気を包み込むようにブロックしてくれていたから。


 とはいえ、


「傘……持って来ればよかった」


 なんたるポカミス。


 今更過ぎる後悔を、雪粒と共に溢す。

 意外にも北国ほど傘をささない傾向があるらしい。

 とはいえ関東の、このくらいの雪なら持ってきた方が良かった。

 

 後悔しても先は立たないので考えないことにする。


 公園には、僕ら以外にも人影がいた。

 カップルと思しき男女が1組。

 流石はクリスマスと言ったところか。

 手を繋ぎ、ロマンチックな光景に思いを馳せているようだった。


 はしゃぎ回る娘と、それを見つめる父親、みたいになってる僕らとはえらい違いだ。

 若干距離を取られているように感じるのは、きっと気のせいではあるまい。


「やー、動いた動いたー」


 気が済んだのか、満足げな表情を浮かべた日和が隣に座る。

 額はじんわりと汗ばんでいて、わずかに呼吸を乱していた。


「この極寒の中、よくそんなに騒げるね」

「寒いからこそだよ。身体を動かして対抗しなきゃ!」

「日和って、自然に喧嘩を売りがちだよね」

「んー、理不尽に対する反抗心が強いのかな?」


 理不尽に対する反抗。

 そのフレーズの裏側には、日和の生い立ちが潜んでいるように思えた。


「どしたの? 私の顔になんかついてる?」

「……頭に雪なら」

「んぁっ」


 日和の頭に着陸した雪たちを、手で払ってやる。

 冷んやりとした感覚と、水気を含んだ滑らかな手触り。


 気づく。

 日和がむむぅと、唇をへの字にしている事に。


「……ありがと」

「なんでちょっと不機嫌なの」

「別にー。あ、私も払ってあげる」

「いや、いいって、ちょ」

「こらー、逃げないの」


 窘められて大人しくなった僕と、楽しそうに笑いながら手を伸ばしてくる日和。

 繊細な手のひらが、僅かに身構えた僕の頭を二度、撫でるように払った。


 妙にくすぐったい、変な気分だった。


「ひゃー、冷たいね」


 引っ込めた右手を、日和がにぎにぎしている。

 いつにも増して手肌の色素が薄いように見えた。

  

 ふと思い立ち、その手を取る。

 予想通り、ひんやりしていた。


「へ?」


 不意に重ねられた僕の手を、日和が不思議そうに眺める。


「ずっとポケットに突っ込んでたから、多分温かいと思う」

「う、うん……すごく温かい、けど」


 視線をおよおよさせる日和。

 その表情に浮かぶ感情は驚きと……羞恥?


「自分で熱を生み出すより、僕の体温を共有した方が効率的だと思って」

「……いま治くん、自分が凄く凄く恥ずかしいこと言ってる自覚ある?」

「というと?」


 解説を求めた僕を、日和はじっと覗き込むように見つめた後、首をぶんぶんと横に振った。


「なんでもない! ありがとっ」


 ぎゅっと、日和の方から手を握ってきた。


 今度は僕の心臓がひんやりする。

 視線を投げかけると、日和は悪戯が成功した子供のように笑っていた。


 僕よりも小さくて柔らかい手が、徐々に温もりを帯びてくる。

 しばらく手を重ねたまま、二人でぼんやりしていた。


「来年のクリスマスは、二人でどっか行きたいねー」


 不意に日和が言った。

 その言葉に、どんな意図が含まれていたのかはわからない。


 ただ僕の脳内には、ひとつの事実が返答として浮かび上がった。


 逡巡して、ぎこちなく口を開く。


「来年、一緒にいれるかは、わからないよ」

「ええーっ、どうしてさ?」

「日和も知ってるでしょ」


 ほんの少しだけ、自分の口調が荒いでしまっていることに気づく。

 胸の中にもやっとした陰りが、太陽を隠す雲みたいに湧いた。


 先日、涼介と明太つけ麺を食べて別れた後、池袋駅のプラットホームで感じたモヤモヤ。

 なぜだかわからないけど珍しく、心持ちが良くなかった。


 その感覚に押されるようにして言葉を並べようとすると、

 

「もう少しで、帰っちゃうから?」


 先回りして、尋ねられた。

 なんでもない風にさらっと言いのけた日和に対し、僕は僅かに眉を潜め、何かに怯えるように頷いた。


 すくりと日和が立ち上がり、前にくるりと躍り出る。

 雪降る中、街灯をバックに照らされた日和の姿は、とても幻想的だった。

 

 日和はニコッと眩しく笑ってから、その口を大きく広げた。


「そんなの、些細な問題じゃん!」


 誰かを救ってしまいそうな声が、響く。

 

「些細って」


 返答しようとして、息を呑む。

 そこには、すべての困難を無に還してしまいそうな、力強い笑顔が浮かんでいた。


「江戸時代じゃあるまいし、物理的な距離なんてどうにかなるじゃん。大事なのは、心の距離だよ」

「心の、距離」

「そー」


 相槌を打ってからすぐ、次の語を口にする。


「私と治くんはもう、ちょっと距離が離れた程度で切れるような関係じゃないでしょう?」


 日和の言葉を、否定しなかった。

 日和との関係値を、肯定していた。


「だからさ」


 強い眼差しを向けられ、息を呑む。

 耳だけついた置物と化した僕に、日和は朗らかな声で宣言した。


「私は治くんと、来年のクリスマスも一緒に過ごしたい。治くんがこっちに来れないなら、私がそっちに行くよ」


 胸に、じんわりと熱が灯った。


 嬉しかった。

 日和が、来年も僕と一緒にいたいと言ってくれたことが。

 たとえ離れ離れになっても、会いに行きたいと言ってくれたことが。


 これが、他者に必要とされている感覚、というものなのだろうか。

 人との関わりを怠ってきた僕が初めて抱いたこの感覚はとても温かくて、病みつきになりそうな中毒性を孕んでいた。


「……ダメ、かな?」


 押し黙る僕に、日和は初めて不安そうな声を漏らした。

 なぜか、自分で自分の後頭部を殴りたい気分になった。

 こんな顔、させたくないと思った。


「だめじゃないよ」


 言いながら立ち上がる。

 今度は僕が日和を見下す形に。


 呼吸を整えてから、僕の心底から本心に当たる部分を取り出し、空気と雪に乗せる。

 

「僕も来年のクリスマス……日和と一緒に、いたいと、思ってる」


 途切れ途切れ気味にぎこちなく言ったら、顔が爆発するんじゃないかってくらい熱くなった。

 

 誰かと一緒にいたい。

 それを対象者に伝える行為が非常に気恥ずかしいという事を、僕は初めて知った。


 最近、初めてだらけだ。


 目の前の少女の顔を、恐る恐る伺う。


 日和は、破顔一笑させていた。

 大いなる嬉しさと、僅かな照れが混じりあった笑顔──でも少し、寂しげな成分も含んでいるような。


「じゃあ、約束!」


 僕にスッと、右手をパーにして差し出してくる日和。


「小指じゃなくて?」

「小指だけじゃ心もとないから、指5本切りげんまんしよう」

「指を5本切りげんまんって」


 たまに日和は、奇抜な造語を恥ずかしげもなく口にする。

 伝統とか固定観念とかを振り払った無理やりすぎる造語がなんだか可笑しく思えて……僕はほんの少しだけ、口角を上げてみせた。


「あーっ、笑った!」

「え」


 日和が、ツチノコでも発見したかのようなテンションで指差してくる。

 そしてまじまじと、珍しいものを見るように覗き込んできた。


「治くんの笑った顔、初めて見たかもしんない」

「んな大袈裟な」

「大袈裟じゃないんだよなー。だから凄く、得したきうあぅっ」


 日和から変な声が上がったのは、彼女の右手に僕のそれを巻き込んだからだ。


 指と指が、絡み合う。


 温かい。


 日和の視線が、固く繋がれた二つの手に注がれる。


 そのまま上下に振ると、日和は「おっ? おっ?」と奇妙な声をあげた。


 指切りって、こんなんでよかったんだっけ。

 確か奇妙な歌を口ずさむのが定番だった気がするが、これは5本切りげんまんなのでそのルールは適応外とさせてもらおう。

 

「約束、したからね?」


 日和が、表情にほんのりとシロップを染み込ませて見上げてくる。

 何かを確かめるような、声色。


「……うん」


 頷いた後、妙な間が生じる。

 手のひらから伝わってくる体温がくすぐったくなってきて、手を離そうとした。


 しかし、それは叶わなかった。


 ぎゅうぅと、日和の方から手を固く握り締められたから。

 指5本きりげんまんでも足りない、とでも言うように。


「手、繋いで帰ろ!」


 僕は日和の言うとおりにした。


 そのまま手を繋いで、二人で帰路に着いた。


 マンションに辿り着く頃には、日和の手のひらはすっかり熱くなっていた。


 人生で初めて家族以外と過ごしたクリスマスは、寒かったけど、温かかった。


 今まで過ごしてきたクリスマスの、どれよりも。

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